第十六話・君の罪、私の罪。

「し、シグルド、君……。ひとつ、いいか?」


「ん?」


「まさか、とは思うが……、君は、じょ、女性と、……その、は、裸の付き合いを、する、事に……、慣れている、という事、だろうかっ」


 混血の天使を見下し、差別する者もいれば、彼の生まれ持った美しさや立場に惹かれる者もいるだろう。

 特に、女達が目の色を変えて関係を求める確率は、相当に高いのではないだろうか。

 シグルドが大勢の美人天使達に囲まれて裸のお付き合いをしている図を思い浮かべってしまったシャルロットは、何やらモヤモヤとした不快感を覚えてしまう。

 だが、シグルドの方は一瞬意味がわからない、という顔をし、顎先に小さく握った拳の先を添え、答えた。


「慣れている、というか……。向こうから裸で迫ってくる事はあるな。今までに何百回か」


「なっ!! ……そ、そうか。やはり、君はモテるんだな、シグルド君」


「俺の家、父親の立場のせいだろう。大天使の補佐官だからな。息子の俺に近づき、その恩恵にあずかろうとする者が多いだけだ。別に俺自身に興味があるわけじゃない」


「いやいや、御父上の功績だけではないだろう。シグルド君はかなりのイケメンだからな。一挙両得を狙っているに違いない。……で、好奇心で聞いてすまないが、その、……迫ってくる女性達の事は、やはり……、お、おいしく、頂いてしまうのか?」


「は?」


 自分の事は例外だと思っているが、シグルドの方は違うだろう。

 なにせ、百年以上の時を生きている人外美形男子だ。

 健全な男なら、据え膳食わぬは男の恥と、美人や可愛い子を、遠慮なくパクリと頂いた経験も……。

 恐る恐る聞いてみたシャルロットだったが、ちらりと背けていた視線を戻してみると。


「…………」


「し、シグルド、君?」


 不味い事を質問してしまった。直感的にそう思ったのは、シグルドが浮かべた表情のせいだ。

 心底何かを嫌悪しているかのような歪んだ表情を見せ、彼は吐き捨てるように言う。


「あんなもの……、気色が悪いだけだ」


「……それは、女全てに対してか?」


「あぁ」


「……そうか。すまないな、嫌な事を聞いてしまったようだ。本を返してくれ。部屋に戻る」


「運ぶ」


 女の事を気色悪いと、迷いなく言い切ったくせに、何故自分に関わるのか。

 シグルドが……、恐らく、過去に経験した嫌悪感を抱く出来事。

 シャルロットはおおよその想像だけでその意味を補完し、改めて決意した。

 やはり、――シグルドを自分に近づけるべきではない。

 女が嫌いで、気色悪いとまで言う男がやっている矛盾した行動の意味に危機感を覚えながら、シャルロットは手を伸ばして本を取り返そうとする。だが……。


「運ぶと言っている。部屋に戻ったら、お前と話の続きをしたい」


「断る。シグルド君、自分が何故この魔界にいるのか、それを思い出してくれ。私と遊ぶ事が君の仕事か? もっと魔界の事を見てまわって、もうすぐ開催されるイベントの事を考えたり、やる事は幾らでもあるだろう?」


「シャルロット……?」


「私は王女だ。一天使にばかり割く時間はない。天界に戻るその日まで、もう私に近づかないでくれ」


 自分よりも背の高い天使の澄み切った瞳を見上げ、今までで一番冷ややかな視線を突き刺すシャルロット。

 陽の下では、時に黒くも見えるアメジストの煌めきをじっと見下ろしながら、シグルドは首を振って繰り返す。

 

「仕事なら、きちんとこなしている。シャルロットが心配する事は何も」


「別に心配などしていない。立場を弁えろと言っているだけだ」


「立場、だと?」


「そうだ。エリートとはいえ、君はただの天使に過ぎない。王女たる私に関わろうとする事自体が、身の程を弁えない無礼だ。あぁ、そうだ。魔界では混血に対する差別は昔ほどないが、友とするのに半端者は遠慮願いたいものだ。貴様のような、犬風情は特に、な」


「――っ!!」


 嘲りの言葉を、最低最悪の悪女顔で突きつけるシャルロットに、シグルドの瞳の奥である感情が揺らめいた。

 侮辱を受け、ほんの一瞬だけ抱いた……、敵意と、激しい殺意の情。

 シグルドが何度もぶつけられただろう、その生まれに関する心ない言葉を発してしまった自分を軽蔑しながら、シャルロットは本を無視して、回廊に向かい始める。

 

(すまないな……、シグルド君)


 面倒がさらに加速する前に、いっそ憎まれ嫌われた方がいい。

 シグルドが自分の心に気づき、その想いを自覚した時点でアウトだ。

 シャルロットが巻き込みたくない、その生を縛りたくないと懇願しても、……きっと彼は、覚悟を決めて飛び込んでくるに違いないから。

 だから、いっそ殺したい程に憎まれた方が楽だ。

 ――だが、回廊に踏み入った直後、シャルロットの小柄な身体は、逞しい両腕によって背後に引き戻された。

 縋り付くかのように掻き抱かれる身体。耳元に落ちた、呻くような低い音。


「シグ、ルド……、君?」


「……違う。違うっ」


「は、離すんだっ!! 私に触れるな、とっ、シグっ、ルド!! うわぁああっ!!」


 戦士の身体つきをしている男の重みで前に倒れこんだシャルロットに、シグルドが覆い被さる形でさらに力を籠めて囁く。


「嘘を吐くな……。お前は、今まで俺に対して、……一度だって、嫌悪や差別の情を向けた事はない。俺が近づくと、友達になりたいと思う事で、何がお前の重荷になるんだ? 俺は、お前を傷付けたり、魔石を狙う奴らとは違う。俺の心が求めているのは、お前自身なのに」


「うぅうううっ!! それが困ると言っているんだ!!」


「何故? お前は俺を拒むばかりで、理由を言わない。俺の何が、お前を困らせる?」


「ひぃいいいっ!! そ、そんな声で囁くなぁあああああっ!! このケダモノがぁあああああっ!!」


「狼族の血を引いているからな。それは間違いない」


「ちがぁああああああう!! わ、私が言いたいのはっ、ちょっ、どこを触ってるんだ!! ぎゃああああっ!! み、耳を舐めるな!! 痛っ!! 噛むのも駄目だぁああああああああああ!!」


 今までは、人の匂いを嗅ぎまくったり、手を舐めるくらいで済んでいたある種の行動。

 それが、今度はもう一段階進んだらしく、シャルロットの耳や首筋にまで及んでいる!!

 シグルドは自分の身体をシャルロットに押し付け、傍(はた)から見たら大変危険過ぎる行為を!!

 

「……さっさと吐けっ。心にない事をこの口に言わせる程、俺の何が、お前をっ」


「あれ~? シグルド、大胆だなぁ~!! こんな場所で何、繁殖行動やってんだよ~!!」


「「――っ!!」」


 場の空気を読まぬ暢気な声に二人が振り向けば、先程空の彼方に吹っ飛ばされた天使、クリスウェルトがそこにいた。……しかし、シグルドは彼を一瞥しただけでまたシャルロットの首筋に顔を埋め、尋問の続きに入ってしまう。いやいや!! ギャラリーいるのにお前は何やってんだ!! シャルロットの脳内絶叫は誰にも聞こえない。


「た、助けっ、クリスウェルト君!! 助けてくれぇええええっ!! わんこ天使に喰われるぅううっ!!」


「え~? いやぁ、でも、ほら~、シグルドってば、すっごく本気みたいだし? 俺としては、大事な親友の繁殖行動を祝して見守りたいっていうか!! ねぇっ!!」


「繁殖行動じゃなぁあああああああい!!」


「クリス、邪魔だ」


「いいじゃ~ん! 女に全く興味なしのお前が、ようやく!! なんだぞ~。親友として応援したいっつーか、余裕なしのお前を観察したいっつーか……。ってか、絵的に犯罪っぽいよな、お前ら」


 少女に覆い被さっている大人の男。ここが現代日本だったら、確実にアウトだ!! 警察に連行だ!!

 だが、背後にいる天使は助ける気皆無らしく、――THE役立たず!!

 

「うぐぐっ!! いい加減に――!!」


「あらぁ~? シャルちゃんじゃない。何やってるのぉ~?」


 神は我を見放してはいなかった!!

 回廊の向こうから優雅な足取りで歩いてきた人物を目に留め、シャルロットは大声で叫ぶ。

 

「へるぷみぃ~!! エリィちゃぁああああああん!!」


「あらあら。もしかしなくても、同意の上、じゃないのねぇ。ふふ、駄目じゃないの、シグルドちゃんてばぁ~!! 嫌がってる女に無理強いとはどういう了見だ? この駄犬が!!」


「――っ!!」


 ピンチの時はいつも神タイミングで現れてくれる親友的存在!!

 手を伸ばし助けを求めたシャルロットの声に応え、オネェ、いや、今だけは何だか凶悪的な男らしさを発揮したエリィが、その手から衝撃波を放ってシグルドだけをその背後に吹っ飛ばした。

 勿論、傍観者に徹しようとした役立たずも巻き込まれて一緒に吹っ飛んでいく。


「ふぅ~。お姫様救出完了っと! シャルちゃん、大丈夫~?」


「あぁ……。ひ、酷い目に遭った。ありがとう、エリィちゃん」


 もう少しで、全年齢にあるまじき禁断のあれこれが起きるところだった。ふぅ……。

 エリィの助けを借りて立ち上がったシャルロットは、今の衝撃波でぐったりと倒れこんでいる二名の天使を見やり、絶対零度の声で宣告した。


「二度と私の前に顔を出すな。このド変態痴漢野郎共」


 口が悪くなったが、仕方がない。シグルドがあのまま暴走していれば、王宮のど真ん中で醜態を晒していたのかもしれないのだから。

 

「シャルロ」


「大嫌いだ」


「――っ」


「ふんっ!」


 乙女の怒りは凄まじき……。

 普段抑え込んでいる力を容赦なく全身から溢れさせ、鬼の形相で睨みつけた魔界の姫に……、二人の天使は何も言えずに、だんまりとその姿を見送るのだった。

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