第5話 暗澹

 「まるで偽善者だな。今更になって弱者の味方を気取って恥ずかしくないのか?

所詮、貴様はどこまで行っても、裏切り者の人殺しさ。」

 今や整った顔立ちも憎悪で歪み、爽やかな青年の面影も消え失せてしまっている。


 「偽善者だろうと、人殺しだろうと、それを否定する気はない。また、貴様が誰に復讐しようとも勝手だが、感情論にも興味はない。裏切られたと思っているならば、それはお前の責任だ。勝手に他人を信じた愚かな己を呪え。」

 冷酷な殺人鬼であるかの如く名指しされた彼の表情からは、人間的な温かみが色褪せ、心ない暗殺者に豹変してしまったかのような佇まいをしている。

 だがそれでも尚、ぼくは彼が人殺しであることを納得できない理由があった。


 「勘違いするな。すでに貴様など眼中にない。これは復讐ではなく粛清さ。一度、軍を逃げ出した貴様に語る資格も抗う資格もない。軍令により貴様を処分する。」

 「語る台詞を覚えても、台詞を紡ぐ哲学を持たぬ軍の犬が。軍令でしか、人を殺せねぇおまえは犬以下だよ。」

 彼は拳銃を持つ相手に対して、一歩も引くそぶりを見せず、至って冷静である。

 一方で、銃を構えた青年は苛立ち、更に声を荒げて彼を挑発する。

 「一人の女さえ救うこともできなかった奴が軍の批判か、反吐が出るぜ。貴様といい、あの女といい、思い上がりも甚だしい。あの女の末路はまさに天罰さ。そして、貴様も今日ここで果てる。マリアとかいうあの女がいる所に貴様も送ってやるよ。」


 だが、その挑発が行われた次の瞬間、そこにいる全ての人に悪寒が走り、室内に異様な空気と湿気が漂った。そして瞬時に、その発生源が彼だということに気付いた誰もが危険を察知し、彼を焚きつけた青年も焦りを消すかのごとく強気に笑う他ない。


「どっちがいい?彼女に詫びてから死ぬか、今すぐ死んで命で詫びるか、選べよ。」

 マリアという女性の話はタブーであったのだろう。空気は異様なほど重く、言いようのない不安を前にしたぼくは彼を直視することができない。

 そんな中、危機を感じ取った青年の銃口は彼に向けられる。青年は躊躇なく引き金を引くと、容赦ない銃声が辺り一面に響き渡り、彼は体育館の底に沈む。室内を満たしていた緊張の糸は解れ、青年は勝利に安堵する。

 「減らず口も、もう叩けまい。」

 ホッとして背を向ける青年とは裏腹に、ぼくは言葉を失う。眼前に起こっていく出来事に頭が追いつかず、戦慄の中、めまいに襲われていた。

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 体育館が制圧されてから2時間が経ち、徐々に穂高と落ち着きを取り戻しつつある中で、ぼくは今朝の夢の事を思い出していた。しかしながら、再び冷静さを取り戻し始めた穂高とぼくとは対照的に、全体の状況は悪くなる一方に思えて仕方なかった。


 まず犯人たちは大量の物資を運び込み、出入り口や窓などの脱出経路を全て木材で塞ぎ、体育館を光の届かぬ牢獄へと変貌させた。そして手足を縛られ、別室に押し込まれていく先生たちは、さながら懲罰房に入れられる囚人のように思えた。

 また、生徒の中でもアベ・リュウジだけが拘束され、連れていかれてしまった際には、彼と仲の良かった川室が犯人たちとリュウジの間に割って入る姿も見えたが、自分たちはどうすることもできず、その場に呆然と立ちすくんでいた。

 そして、立派な体躯をした川室さえも素手で押さえ込まれる姿を遠目に見ながら、只々みずからの無力さを嘆いている自分に対して嫌気を感じずにはいられなかった。



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 ぼくの名は丸岡大粋(だいき)、勉強嫌いで筋トレ好きの高校三年生である。

 今年の夏までは、放課後も部活漬けの毎日だったが、部活引退後は穂高か川室を誘って、ジムに通うのが日課であった。ぼくらは三人とも自由人であったという点で相性が良かったが、冷静な川室とは異なり、ぼくと穂高はヒートアップしやすい質(たち)だったので、喧嘩になる事も日常茶飯事だった。高校生活を通じて、何だかんだお互いをよく理解するようになってもいったが、誤解から時に擦れ違いを生むことも度々あり、その度にぼくらの結束は試されたと言っても過言ではなかった。

 そして、あの日ぼくらを待ち受けていたのは深い深い混沌であり、三人が選び取る未来への岐路が着々と各人に迫ってきていた事は、避けようのない事実であった。

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 「我々はブリヤート解放戦線であり、我々からロシア・日本両政府への要求は3つである。」

 突如、犯人グループのメンバーたちが体育教官室での政府とのやり取りを体育館全体に流し始めたことで、体育館内がざわつき始める。

 ぼくは穂高と顔を見合わせ、その内容を注意深く聞き取ろうと神経を集中させる。


 「要求の一つ目は、北方領土返還の際に、両政府で密約が結ばれた事実を認め、その全てを公表すること。二つ目は、密約の中の一文にある『今後ロシアから独立を主張する地域に、ロシア政府がいかなる対抗策を講じても日本政府は一切これを黙認する。』という文言を破棄すること。三つ目は、シベリアに抑留されているメルゲン・ハダ氏をすぐさま釈放すること。これら3つの要求を断れば、この学校に通っているプーチネ大統領の隠し子であるアベ・ウラジミール・リュウジを直ちに殺害する。」

 体育館内からは嗚咽が漏れだし、皆々の表情は一層、曇ってゆく。


 「また、要求が達成されていかない限り、12時間おきに、この学校の生徒を1人ずつ殺害する。現時刻が14時であるから、明日の朝2時に最初の犠牲者が出ないことを祈る。我々からは以上だ。」

 体育館全体に向けた拡声器での放送が終わると、泣き出す者も現れ、辺りは絶望に包まれていった。ぼくは体育館内に響く犯人グループの要求を聞き終えたとき、自分自身の人生を主観的に見ることの本当の意味を、ようやく知った気がした。そして、ぼくらの行く末を受け入れらずにいる中で、ぼくは祈りに近い気持ちで、今朝の夢の結末を思い出そうとしていた。

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