Ⅰ まずは基本の買い物から
水と食料、それに照明と、パッと思いつくのはそれくらいか。生活に必要そうなものを頭の中で書き出した後、意外に少ないなともう一度首を捻っていたら、隣から欠伸をする声が聞こえてきた。
「あれだけ寝たのにまだ眠いのか?」
圭介がそう言うと、隣を歩くそいつはあふ、と息をついて、自身の名前と同じ宝石の色をした双眸をごしごしとこする。
妙な縁でともに暮らすことになった魔女エメラルドだが、昨夜は圭介と一緒になって荒れた家の中を片付けると張り切っていた直後にはもうソファの上で寝息を立てていた。
それまでの疲れが溜まっていたんだろうと、その時は毛布をかけてそのまま寝かせてやったのだが、未だに起きているのか寝ているのか曖昧な状態で歩いているのはそれだけが原因ではないらしい。
「オズは……ん……早起きなのね」
そう言って、太陽の日差しをむずがるようにして顔をしかめるエメラルドは、どうやら昼夜逆転でない生活に慣れていないようだ。
今朝方ソファの上でうつらうつらとしていた所に圭介が朝の挨拶をすると、エメラルドはもうこんな時間と呟きながらふらふらと二階へ上がっていった。寝呆けているんだろうか? と思ってついていくと、圭介が使っていたベッドの中に潜り込み、そこでおやすみなさいと返事をしたのだった。
「……おかげ様で昨日の残りは全部片付いたよ」
すっかり昇りきった太陽に向かって手をかざしながら、少しだけチクリとしてやると、隣からまた欠伸をする声が聞こえてきた。
ただ、その直後に「よかった」と、こちらも負けないくらいの眩しい笑顔を見せるエメラルドに対し、圭介はため息を吐いて降参としたのだった。
「それで? 今日は……あふ、ぅ……町で情報を集めるの?」
エメラルドが聞いてきたので、そういえば都に行く目的をまだ伝えていなかったなと思い出す。
「もちろんそれもある。けど、今日はどっちかっていうと買い物がメインかな。とりあえず生活に必要なものを揃えないと」
「必要なものって?」
「まずは水だろ。食料だろ。あとは…………照明かな」
答えながら指折り数えてみたものの、やはり頭に浮かんでくるのはそれくらいだった。
「食べ物に関しては基本、町に出た時に済ますつもりだけど、一応買いだめくらいはしとかなきゃな。それよりも問題は水だ。ないと地味に困るんだよ。飲むだけならともかく他にも色々使うし……そもそも水って売ってんのか?」
「売ってないわよ水なんて。井戸がそこら中にあるんだから、そんなの商売にならないわ」
「井戸? そんなのがあるのか」
「あの森にはないけどね。そのかわり近くに湖があるわ。あそこの水もすっごく綺麗よ?」
言われて湖か、と圭介は黙考する。
泥水や毒が入っているとかではない限り、たしかに飲む分には問題なさそうだが。
「そういやお前、水浴びしてたんだっけ。それってやっぱり風呂代わりなのか?」
「? そうよ」
圭介がたずねると、エメラルドは逆にそれ以外になにがあるの? といった表情でこちらを見上げてくる。
「いや、こっち来てからまだ風呂に入れてないからな、俺。お湯をどうしたものかと思って」
さすがに二日も風呂なしというのは耐えられない。
しかし、その風呂をどうやって用意するかだ。湖から水を汲んできたとして、それを沸かすための火は? 一応家にはライターはある。ただ、風呂として使える量の水を温めるくらいの火力がはたして本当に出せるのかという疑問と、そもそも浴槽の代わりになる物をどこで調達してくるのかという問題があった。
「へえ、オズはいつも湯浴みしてるのね」
「湯浴み……とはちょっと違うかな。それってシャワーだけで済ませる感じだろ? 俺は肩までしっかり湯船に浸かる派だ。身体の芯まで温まらないと一日に終わりを感じない」
圭介が真面目くさってそう答えると、エメラルドはよくわからないとばかりに肩をすくめた。
「町でもお湯を使ってる人はいるにはいるわよ。大抵お金持ちの裕福な人たちだけど。……けど、そうね、魔法石を自由に使えた頃はたしかにみんなお湯を使ってた気がする。トルマリン産の魔法石、町の人たちに大人気だったもの」
「トルマリン産?」
これまた聞き覚えがありつつ、ある意味で新しい宝石の名前だ。
「そ、トルマリンの魔法石よ。あそこで採れる石の特性、《蓄積》を利用すれば、火をおこさなくたって広範囲の水を温めることができるの。寒い季節には暖炉の代わりにもなるし、照明としても使えるから、生活する上ではこの上なく便利な魔法石ってわけ。人気があるのもうなずけるわ」
まるで我が事を自慢気に語るかのように胸を張るエメラルド。
しかしそれを聞いた途端、圭介ははたと立ち止まった。
「どうやったら手に入るんだ? それ。すっげえ欲しいんだけど」
「ど、どうやったらって……」
急に真剣な顔つきに変わった圭介の迫力に押されたのか、エメラルドは少しだけ後ずさった。
「て、手に入れてどうするの?」
「使うに決まってんだろ」
「だ、ダメよ。ちゃんと使用許可を貰わないと」
「ん? これじゃ駄目なのか?」
そう言って、服の中にしまってある特権状をぽんと叩く。
それに対してエメラルドは呆れたように眉をひそめた。
「それはあくまでもアメジスト国内での特権を付与されてますってことでしょ? 通常の魔法石の使用許可状とは違うわ。トルマリンの魔法石を使いたければトルマリンの王室、産地国が発行する許可状を得ないと。まずはそこからよ」
言われてみればオリガからも同じようなことを教えられていた気がする。
「む……これじゃ駄目なのか」
「他の国の石に関してはね。けど、その書状に記されてる特権には自国の魔法石を自由に扱うことも含まれているはずよ。だからこの場合、オズもアメジストの魔法石ならいつでも好きに使って許されるってことね。これってすごいことなんだから」
「…………」
出会った時にも似たようなやり取りをした記憶が早くも懐かしい。しかし、エメラルドはそう言ってくれるが圭介としては不満だった。
アメジストの魔法石。《伝達》の特性を駆使した魔法の力はオリガの手によって経験済みだが、そこはそれ。いざ生活していく上での想像に当てはめた場合、その特性が一体なんの役目を果たすのだろう。すぐに思いつくのは電話の代わりになりそうだということくらいだが、唯一の話し相手が常に側にいる分、別に今はなくったって困ることはない。あとはせいぜい……と考えた時、他になにも浮かんでこないのだからお察しだ。いずれにせよトルマリンの魔法石の利便性を聞いた後だと、どうしたって耳劣りする。
ただ、そんな不満な胸の内が顔に出ていたのかもしれない。
「魔法石の扱いは今や国家が関わってくる問題だもん。仕方がないわ」
少し寂しそうな表情を浮べたエメラルドが、だから諦めてと暗に告げてきたのだった。
魔法が身近にあるのに魔法を気軽に使えない。そこに複雑な事情が絡んでいるとはいえ、なんとも馬鹿げた話だと改めて思う。しかしエメラルドの前でそれを言うのは憚られた。魔女たちからすれば、もっと馬鹿げた話に違いないのだから。
「はあ……じゃあ、諦めるしかねえか。俺もしばらくは水浴びで我慢しよう」
がっくりと肩を落とした後、圭介はとぼとぼと歩き出す。
まだ少しだけトルマリンの石の魅力に後ろ髪を引かれる心地だが、駄々をこねたってしょうがない。それに、後ろ髪ではなく袖を引っ張るやつがいた。一緒になって隣を歩き始めたエメラルドだ。湖の場所、帰ったら教えてあげるね。そう言って嬉しそうにエメラルドが腕にこつんと頭をぶつけてきたので、まあそれはそれで悪くないか、と圭介は思ったのだった。
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