Ⅲ 謁見、クイーン・アメジスト

 圭介にとってはこの世界に来て初めての一夜明け、ということになる。

 しかし朝方早くからという話だったはずの女王――クイーン・アメジストとの謁見は、当初の予定とは異なり時間を大幅にずらして行われることとなった。

 というのも、エメラルドの助命についてあれこれ考えながら鼻息を荒くしていた圭介は、極度の緊張と興奮が覚めやらぬまま一睡もしないで謁見に臨もうと考えていたのだが、さすがにそれまでの疲労が限界に達していたらしく、いつのまにか深い眠りに落ちてしまっていたのだ。

 ジェイルが部屋を訪ねてきた時でさえ夜更けなどとうに過ぎ去っていた時間帯のこと。圭介が寝息を立て始めた頃にはすでに窓の外は明るくなり始めていて、鶏の鳴き声もどこからか聞こえていた。

 目を覚ました時にはとっくに太陽が昇りきっていたのだった。


「まさか昼まで待たせられるとはな……。ふん、陛下もお忙しい身だというに」


 迎えの馬車に乗せられた圭介は、そんな苦言を同乗していた貴族風の男から言われた。

 馬車に乗る直前、圭介のことを上から下まで眺めた後、馬鹿にするようなため息を吐いた男だ。

 だったら起こしてくれれば良かったのに――。

 寝過ごしたのは自分の落ち度だとわかっていても、目も合わさずに言うその男の言葉がひどく嫌味ったらしかったので圭介は少しムッとしてしまった。

 ただ、昨夜の意気込みは一体何だったのかと自分で自分が恥ずかしく思えるのは事実だし、寝坊のおかげでエメラルドの審判が朝のうちに行われてしまったのではないのかという焦燥感から何も言えないでいたのだが。

 そんな圭介の代わりに口を開いたのは、隣に座っていた付き添いの警備隊士だった。


「もし眠っているようであれば無理に起こす必要はないと、陛下から命じられていましたので」


 と、どうやら一国の女王であるクイーン・アメジストは圭介の体調を気遣い、その様なことをジェイルに伝えていたらしい。そのおかげで隊士たちは皆、一応約束の時間に部屋まで迎えに来たものの、圭介がぐっすり寝ているのを見て起こすに起こせなかったのだという。

 それを聞いた圭介はたちまち恐縮してしまい、改めて隊士に寝坊のことを含めて謝辞を述べた。


「いえ、陛下は気にしておられないでしょう。感謝なら我々ではなく、陛下に」


 笑いながら隊士は返してくれたのだが、向かいで偉そうに頬杖をついている男はふん、と鼻を鳴らして外を見た。


「くれぐれも粗相のない様にな」


 車輪の音が止んだのは、そんな捨て台詞が聞こえてきたのと同時だった。


 ♦ ♦ ♦


 荘厳にして壮麗――。

 城館から都を一望できるといわれるアメジストの城は、さすがに大国を治める女王の居城ということもあってか防衛機能たる城塞の要素をそのままに、しかしその優美で落ち着いた白亜の造りは、紅に色づく山々を背にして映える見事な外観を誇っていた。

 当然、敷地内の建物には王族の人間を始め、国の中枢を担う政治関係者や地方の有力貴族たちが多数訪れるらしく、それらに混じって城内に侵入しようとする不届き者がいないかを監視する衛兵がそこら中に立っている。

 だが、普段から来訪者を隙なく観察している彼らも、今だけは中央の中庭を通り過ぎる一人の男に目線を奪われていた。

 城の高官に連れられて歩いているのは、見た目からしてまだ子どもと呼ぶにふさわしい少年だ。

 後方を警備隊士が付き従っているのを見れば一定の要人であることはうかがえるのだが、さりとて貴族の子息とも思えぬその奇妙な風体に、自然、それぞれが目で追う形となる。

 そんな衛兵たちの視線を背中に感じながら、圭介が案内されたのは中庭の隅にひっそりと佇む小さな建物だった。


「ふーん、ここで女王さまと、か……」


 通された一室。椅子を引いてくれた控えのメイドらしき女の子に軽くお礼を告げた後、とりあえず腰掛けながら圭介は室内を見渡した。

 豪奢、というよりも、どちらかといえば城の外観と同じく落ち着いた感じのする部屋だった。天井から吊り下げられた中央のシャンデリアには目を惹かれたが、他は所々に質の良さそうな調度品が置かれているだけで、部屋全体の規模としてもさほど広いとは言い難い。

 恐らく圭介のような客人を迎える応接室として使われているのだろうが、てっきり衛兵が横並びに構える大仰な広間に通されると思っていたので、これは少し意外だった。

 ただ、メイドの女の子が部屋を出る際に「直に陛下がこられます」と言っていたので、ここで女王と会うのは間違いないらしい。圭介としてもあまり堅苦しい雰囲気の中であれこれ話をするよりは幾分か緊張が紛れて助かるのだが。

 もしかしたら、これも女王側の配慮によるものなのかもしれない。

 見れば、目の前の机には食器が置かれている。圭介の座る席、そして反対側の席にも同じように並べられているのは、ここで食事でもしながら歓談しようということなのだろうか。

 そういえば昨夜からなにも食べていなかったな、などと考えると、つい腹の音が鳴ってしまう。その音がやたらと響いて聞こえたため、圭介は慌てて腹を手で押さえたのだった。

 そして、同時に思い出す。

 いくら客人に対する気遣いが見え隠れするとはいえ、これから会う人物は大国と呼ばれるアメジストを運営する紛れもない傑物。この国に住む者にとってはもちろん、異世界から来た圭介にとってもはるか雲の上の存在だ。

 そういった人物と会う際の礼儀作法など、当然圭介は知識として持ち合わせていない。そればかりか、圭介は自分の帰国に関する問題、あるいはしばらくこの世界で生活をしなければならないということになったときの助言、そして昨晩から気を揉んでいるエメラルドの助命など、こちらから様々な願いを訴える予定だ。

 そうなると、やはり相手に与える印象というのはかなり重要な意味合いを持つことになる。

 警備隊の宿舎から城に向かう途中、馬車の中で大あくびをかまして睨み付けられた圭介だったが、もし女王の目の前でそんな真似をすればたちどころに首が飛んでもおかしくはないだろう。

 想像すると、急に顔が強張ってしまう。ついでにもう一度腹をさすっておいた。

 その後、どれくらいの程であったか。室内の静けさも相まって、かなりの時間が経過した後のように思える。

 後方から、ドアをノックする音が聞こえてきた。


「!」


 ついに来たか――。

 即座に緊張が走り、圭介はピンと背筋を伸ばす。

 同時に、入室をうながす返事をすべきかと一瞬迷ったのだが、どうやら来訪者はそのまま部屋に入ってきたらしい。ドアの閉まる音がした。

 圭介は正面を直視したまま唾を飲み込んだ。

 最大限の敬意と、それに相応しい振る舞いを。というのは先ほど心に誓ったことだ。

 だが、コツコツと足音を響かせながら席に向かうその人物の気配を追うように、圭介はつい視線を横に滑らせてしまう。そして視界の隅に姿が映った瞬間、圭介は思わず目を見開かざるを得なかった。

 はたして純白のドレスに身を包み、肩まで伸びた栗色を揺らすその人物はまさしく女性ではあるのだが――。


「あ」


 そこで声が漏れてしまったのは、驚きももちろん理由ではあるが、それよりも正面に立ち微笑む人物を前にして自分が座ったままであることに気付いたからだ。

 しかし慌てて椅子から立とうとするも、それより先に声が掛かかる。


「宜しいのですよ。どうぞそのままお掛けになって」

「い、いえ。あの……は、初めまして! お、俺、小津圭介といいます! 本日は、えと、し、城にお招きいただきまして誠にありがとうございます!」


 圭介がもう少し幼ければあるいは褒められたかもしれない。初対面での口上など、頭の中で散々反復していたはずなのにこれだった。

 用意していた台詞とも違う、なんともたどたどしい自己紹介になってしまったことに圭介は顔を赤くした。


「……あらあら、いけませんわね、お客様に先にご挨拶などをさせて。大変失礼致しました。私、東の国アメジストを統治しております、オリガ=フェブリウスと申します。オリガ、とお呼び頂ければ」


 そう言って優雅に会釈をした後、アメジスト国の女王オリガは再び圭介に着席を勧めてくれたのだった。


 ♦ ♦ ♦


 互いに机を間に挟んだまま、椅子に腰を掛ける。

 どうやら謁見は二人だけでということらしい。オリガと向き合う状態になっているのは予想通りだ。

 しかしある一点において、圭介の予想を大幅に覆すことがあった。最初に圭介が驚いてしまった理由がそれなのだが、すなわち目の前に座る人物、その人となりについててだ。

 オリガの口調や物腰には――顔を合わせてまだ二言程度しか会話を交わしていないものの、さすがに女王ということもあってか高貴なイメージに相応しい気品と落ち着きを備えた独特の雰囲気があるな、と圭介はすぐに肌で感じた。

 さらにはそれが装いにも現れているのかもしれない。最高位の身分でありながら、オリガは華美な装飾や宝石はあまり身につけておらず、パッと見目立つのは髪に留められたティアラと胸元に刺さるブローチくらいで、いわゆる悪趣味な金持ちの表現とされる嫌味などは一切感じられない。

 その上容姿も格段に優れているとくれば、誰も文句の付けようがないだろう。

 つまり、圭介の抱いた第一印象としてはまったくの好人物。……なのだが。

 それにしても、と圭介は胸中で呟く。

 若すぎるのだ。

 国を治める人物というくらいなのだから、それなりに年齢のいった女性の姿を圭介は想像していた。だが、現れたのは圭介とさほど年齢が変わらぬように見える一人の女。

 多少大人びた雰囲気があるといっても、せいぜい二十歳に届くか届かないかくらいか。若干下がり気味の目尻も、柔和な表情の一要素にはなっているのだが、見方を変えれば幼い印象を相手に与える手助けになっている。

 これで「とうに八十を越えていますが?」などと言われたら、エメラルドよりもよっぽど魔女だろう。とにかくその若々しい容貌に圭介は驚いてしまった。

 そんな圭介の様子を見て、オリガが笑いかける。


「ふふっ、どうかなさいましたか?」


 いつの間にか不躾な視線を送ってしまっていたらしい。

 慌てて目を伏せる圭介の頭に、オリガの声が続けて聞こえてきた。


「オズ殿、でしたわね。本日はこのような突然のお呼び立てをしてしまい誠に申し訳ございません。昨夜に至っては、我が国の警備隊の者たちが大変な無礼を働いたとか。こちらも合わせてお詫び申し上げます」

「きょ、恐縮です」

「さて、早速なのですが……」


 と、オリガはすぐに本題を始める様子だ。圭介も頭を上げて神妙な顔つきに戻る。


「聞くところによりますと、なんでもオズ殿は異国からいらっしゃったということですが?」

「はい、その通りです」

「……私個人といたしましても、そのような方をお迎えするのは初めてのことでして。寝耳に水と申しますか、正直そのお話をまだ素直に受けきれていないというのが実情なのです」


 そう言って、オリガが机の上に手を差し出した。


「加えて、お預かりしておりますこの緑の魔法石。すでにお聞き及びかと存じますが、こちらの魔法石に関しても我々が目にするのは初めてのことでして、何故オズ殿がこの魔法石をお持ちになられているのか……」


 ――その時だった。ふと、オリガの言葉を頭に入れつつも、圭介の意識はオリガの手許に向けられていた。

 掌の下には確かに圭介の見覚えのある物が置かれている。

 しかし、目を奪われたのは女王ですら魔法石と呼ぶ母親のネックレスではない。オリガの指で光る、紫の石が歪にあしらわれた指輪にだった。

 アメジスト――と、すぐに宝石の名を思い浮かべたのは、この国がそれとまったく同じ名前を冠していたからだ。

 何か関係があるのだろうか。そういえば、女王の瞳も同じ色をしている。

 オリガが、それがいつもの癖であるかのように指輪に触れているのを見て、圭介が何気なく思った直後である。 

 突如、鋭い閃光が圭介の瞳に突き刺さった。


「――――っ!? っく……っ!!」


 オリガの指輪から発せられた光であることは瞬時に理解できた。が、あまりに突然の眩しさに目をやられてしまう。


「……失礼。ですが、今お話した二点についてもう一度お聞かせ願えないかと思い本日はお招きした次第なのです。さあ、オズ殿お願いします。お話を、この魔法石の前で――この輝きの前で、もう一度」


 信じられないくらいに落ち着いた声。

 しかし、目が慣れるどころではない。さらに輝きを増す光の中、魔法石という言葉で圭介は気付く。

 まさか、魔法――?


「ええ、その通りです」

「!?」


 そんな馬鹿な。

 圭介は何も言葉を発していない。


「ふふっ、喋らずとも、私にはわかるのですよ?」


 その返答に、圭介は背筋が凍る思いがした。

 そして視界が徐々に開けてくるのと同時に、ジェイルが言っていた言葉の意味にも気付かされていく。


「ですが、喋っていただいたほうが<伝わり易い>のは事実です。さあ、どうぞお話を。オズ殿」


 わずかに開いた薄目で声の主を捉える。

 紫光の輝きの奥で、妖艶な笑みを浮かべる女王の姿が見えた。

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