Ⅱ 魔女の末路

 魔女――。

 もちろん圭介が動揺したのは今更そんな言葉に驚いたからではない。

 ただ、エメラルドが魔女だとして、それが一体どういう意味を持つのか。少なくともエメラルドを「そうだ」と疑うジェイルたちが、魔女に対して良い印象を抱いているとは到底思えなかった。

 だからこそ正体を知る圭介にとっては尚更その事実が重くのしかかる。


「おや、ひょっとしてご存知でしたか?」

「え?」

「いえ、あまり驚かれていないようなので。魔女についてもご存知なのかと」 「あ、いえ……」


 不意の質問に一瞬ドキリとしたが、すぐにそういう意味かと思い直す。

 すでに圭介は、自分の住む世界でも魔法や魔法石などが多少認知されていると伝えている。ジェイルが「も」、と言ったのはそういうことだろう。

 だが、一度嘘を吐いてしまっているのであれば通すしかない。それに、もしかしたらまだ圭介を疑っていて、その上であえて試そうとしているのかもしれないのだ。


「……聞いたことがある程度ですけど。魔法石に、彼女たちが色々と関わっているってことくらいには。隊長さんも、確かそんな感じのことを口にしてましたよね」

「ふむ? 言いましたかな、そのようなこと」


 はて、とジェイルが首を傾げる。


「ええ、魔女でなければ石の見分けがつかないとか、なんとか」

「……まぁ、仰る通りです。ヤツら魔女の存在なくして魔法石は語れませんからな」


 そう言って、表情を変えぬままジェイルが部屋の隅の方を見つめ始めた。


「ですが、やはりその程度でしたか。それならあの森のことを知らなくとも無理はありません」

「……森? 俺たちがさっきまでいた森のことですか?」

「はい。このブリリアントに住む者であるならば、誰しもが当然知っているはず。何故ならあの森は、かつてとある一人の大魔女が棲家としていたいわくつきの地でしてな」


 恐らくエメラルドのおばあさんのことだ。聞いていた話とも一致する。ただ、正直あの時はエメラルドが多少大げさに身内自慢をしているのだろうくらいに思っていたので、本当に有名な人物だったことに圭介は驚いた。

 だからこそ、だ。いわくつきという言葉に、どうしても不安を感じてしまう。


「他の魔女たちにとっても縁のある土地です。普通の者であるならば決して足を踏み入れません。ですから、そういった事情もありまして」


 照れくさそうに、ジェイルが苦笑いを交えた顔を向けてきた。

 自分たちが執拗に圭介に詰め寄ったのには、一応理由があってのこと――。

そんな風に言いたいのかもしれない。しかし、ジェイルははっきりとは口にせず、代わりに咳払いをして続けた。


「先ほど、あの娘のことをお訊ねになりましたが……これでおわかり頂けたでしょう。あの森に、女がいた。これを疑うなというほうがどうかしています。ヤツは魔女に違いない」


 改めて、そう強く主張するジェイル。

 なるほど事情を説明されると、それなりに納得のできる部分はある。事実、エメラルドは魔女なのだから間違ってはいない。

 だが、圭介が一番気にしているのはそこから先のことだ。


「そ、それで……あの子がその……魔女だった場合、どうなっちゃうんですか?」


 会話の流れからいって、ここでたずねても不自然ではないはず。あらぬ疑いを持たれぬよう、焦れる本音もなるべく隠したつもりだった。

 だからこそ、余計に衝撃を受けたのかもしれない。


「もちろん、これでしょうな」


 そう言って、親指で首を真横に斬るジェイルの仕草が、それが意味する非情な内容とは裏腹に、あまりにも自然過ぎたからだった。


「まさか、殺す、とか……?」

「その通りです」

「……! そ、そんな……!」


 ぐらりと身体が傾く感覚に襲われる。

 あるいはそうではないか、と嫌な予感はしていた。しかし、改めてはっきりと言葉にされるとやはりその衝撃は測り知れない。

 今、圭介はエメラルドに対する死の宣告を聞かされたに等しい。

 理由はいたって簡単。エメラルドが魔女だから――捕まってしまったからだ。

 では、なぜそんなことになったのか? それを考えると圭介は胃の奥が締め付けられてしまう。森でエメラルドが警備隊士たちの前に躍り出た理由は明らかに圭介を庇うためであり、それが故に彼女は捕らえられてしまったのだ。

 エメラルドだって、自分が捕まればどうなるかは理解していたはずだ。だからこそ一度は逃げ去った。にも関わらず、あの場に再び姿を現したのは圭介を危機から救うために他ならない。自らの危険を承知の上で、出会ったばかりの、まだ何の関り合いを持たぬ異世界の人間を救うために。

 あの時、剣に囲まれる圭介を見てエメラルドの瞳は何を感じたのだろう。確かにエメラルドがいなければ、圭介も今こうして無事に立っていられたとは限らないのだ。

 だが、その結果がこれではあまりにも――。

 納得できるはずがない。

 抜けかけていた膝の力をグッと入れ直し、圭介はジェイルを真正面から見据えた。


「でも、どうやったらあの子が魔女だってわかるんです。もし本人が違うって言ったら?」

「初めはそう言います。もっとも、ヤツらの身体を調べればすぐにわかることですが。決まって出てくるのですよ、魔法石が。これまで捕らえた魔女は皆、必ずといっていいくらい石を所持してました」

「……なるほど、魔法石……」


 思わずほくそ笑んだのは、エメラルドに限ってその心配がないからだ。なぜならエメラルドは魔法石を持っていない。いや、正確にいえば持ってはいたのだろうが、それらの石は今や圭介の家の下敷きになっている。

 だとすれば、例え素性の知れぬ女だからといって、本人が魔女であることを否定しさえすれば、それ以上の追求をしようがないのでは? 魔女と呼ばれる者に固有の、なにかしらの外見的特徴などがあるならまだしも、どう見たってエメラルドはそこらにいそうな普通の女の子だ。見分けがつくはずがない。

 圭介はそう考えた。

 つまり、エメラルドが魔女だと露見しなければなにも問題はない。エメラルドも命だけは助かるのではないか、と。

 しかし、この希望的観測はあえなく崩れ去ることとなる。


「――それに魔法石が出てこずとも、どの道すぐに吐くことになるでしょう」

「! ど、どうして……!」


 ジェイルの言葉に愕然とする。そして同時に、ふと、とある光景が圭介の頭を過ぎった。


「ま、まさか拷問とか、無理やり口を割らすような乱暴なことをするんじゃないでしょうね!?」


 圭介のいた世界でも、中世ヨーロッパにおける「魔女狩り」の歴史にはそういった行為が数多く行われていたと習ったことがある。すなわち様々な拷問器具によって責め苦を与えられた者は、例え事実と違う罪に問われていたとしても痛みに耐えかね口を割ってしまうのだ。

 エメラルドみたいな小さな女の子がそのような目に遭うなど、あまり想像したくない話ではあるが、なにせ相手は最初から疑ってかかってきている。森での一件を思い返せば十分にあり得る話だった。


「そういう手段を用いる国も確かにありますが」


 と、少し仰け反るジェイルを見て、圭介はいつの間にか自分がジェイルに詰め寄る姿勢になっていたことに気付く。

 しまった、と思ったが、ジェイルは特に気にする素振りもなく言葉を続けた。


「ですが、我がアメジストではそのようなことはしておりません。というより、必要ないのです」

「……?」

「ふっ、貴殿が何故あの娘の心配をされているのかはわかりませんがご安心くだされ。魔女である可能性がある者には決して手荒な真似はするなと、この国では女王陛下に厳命されています。その者が魔女であるかどうかの判断は女王陛下の手によって行われますので」


 そう言って、ジェイルが大げさに腕を広げながら顎を引いたのは一種の合図だろう。圭介も促されるように一歩下ったものの、当然今の話だけで安堵するわけにはいかない。


「……女王様なら、わかるんですか?」

「ええ、確実に」


 はっきりと、強く答えるジェイル。 

 ニヤリと口端を吊り上げたのは余程の自信の表れだろうか、だからこそ魔女を判別可能と言い切る理由よりもその先が気になる。


「それで、もし魔女だとわかった場合は……」

「先ほども申し上げましたように、即刻縛り首です」

「っ……」


 やはり、結果は同じということか。

 結局命を奪われるのであれば意味がない。

 だったらなぜ、さっきは圭介に安心しろなどと期待させるような台詞を口にしたのか。

 もはや圭介がエメラルドの処遇について気を揉んでいることにジェイルも気づいているはずだ。まさか本気で拷問の心配だけは要らないという意味だったのだとすれば、それはあまりにも無神経な発言だろう。それとも単に圭介をからかっただけなのだろうか……?

 そんな風に考えると、途端目の前で笑みを浮かべるジェイルのことが腹立たしく思えて、握った拳に再度力が込められる。

 しかし、当のジェイルはこれで話は終わったとばかりに会話を切り上げ始めた。


「まぁ、あの娘のことよりも、今はご自身の心配をされたほうがよろしいかと。貴殿も見知らぬ土地へ来てなにかとご不便なこともあるでしょう、これからが大変だと思いますぞ」

 

 言いながら、部屋の扉を開けて退出しようとするジェイルの背中に恨めしい視線を向けたまま、圭介は何も答えず無言でいたのだが、特にそれが気になった様子でもなくジェイルがもう一度圭介のほうを振り返る。


「それでは明朝の件、確かにお伝えいたしましたので私はこれにて失礼します。貴殿が無事、国許へ帰れるよう願っておりますぞ。……では」


 そして軽い一礼とともに、そのまま部屋を後にしたのだった。


 ♦ ♦ ♦


 扉の閉まる音を聞いた後も、圭介はしばらく同じ場所に突っ立っていた。

 だが、その顔色は少し前のそれとは異なり、まるでこの世界のことを初めて聞かされた時以上に真っ青になっていた。

 もっとも、本来ならジェイルとの会話中、ずっと蒼白な顔をしていてもおかしくはなかったのだが――それをおくびにも出さなかったのは、圭介が努めてひた隠しにしていたというよりも、無意識のうちに抗っていたからといったほうが正しいのかもしれない。会話の後半、ジェイルに負の感情を抱いたのも一見理由があってのことのように思えるが、その実不安に押しつぶされそうになる胸中を咄嗟に誤魔化すためであったと考えれば、怒りの矛先がいなくなった今、言い知れぬ衝撃と恐怖に全身が支配されているのにも納得がいく。

 そう、圭介にしてみればある種の恐怖――。

 ただでさえ死を間近に経験することなど、一介の高校生である圭介にとっては皆無であるのに、数刻前に会話をしていた人間が下手をすれば明日にでも殺されようとしているのだ。

 それも、圭介を窮地から救ってくれた命の恩人が。

 圭介を助けたが故に、代わりに命を落とそうとしている。

 圭介が、警備隊士と揉めたおかげで。

 自分のせいで――。

 少なくとも圭介はそう考えていた。


「なんで、だよ……魔女だからなんだっつーんだ……っ」


 ギュッと目を閉じれば、無邪気に笑う一人の魔女の姿が思い浮かぶ。

 今頃、エメラルドはどんな気持ちでいるのだろう。森から都に連れて行かれている間、エメラルドを乗せた馬の周りは他の隊士たちが四方を固めていたため表情はうかがえなかったが、あの時エメラルドは一体どんな顔をしていたのだろうか。

 都に着いてそれぞれが別の場所に向かうと知らされた時、エメラルドはどんな顔をしてそれを聞いていたのだろう。

 想像しただけで胃液がせり上がってくるのを感じる。


「助けないと……どうにかして……」


 希望は、まだある。

 それはジェイルの言った、魔女審判の最終判断を下すとされる女王だ。

 完全に話を鵜呑みにするわけではないが、ジェイルいわく心優しき女王らしい。その人物に、幸い圭介は謁見の約束を取り付けられている。一縷の望みに賭けるとしたら、そこしかない。

 エメラルドの助命を嘆願するのだ。

 どうにかして、いや、なんとしてでもエメラルドの命を救わなければ。

 それによって再び圭介が危険に晒されようとも、だ。


「エメラルド……絶対に、助けるからな……っ」


 エメラルドには命を救われた。

 次は、圭介が気概を見せる番なのだ――。

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