Ⅶ 森での幕引き

 しかし剣の包囲は解けたものの、圭介に対する疑惑の目はまだ収まっていないようだった。


「貴様は」


 言いかけて男が口をつぐんだ後、ゴホンと咳払いをする。


「……伺いたい。貴殿は、トパーズ王室に何か縁をお持ちの方でありましょうか」


 圭介を見下ろしながら神妙な面持ちでたずねる男。その急に畏まった問いに圭介は気味の悪いモノを覚えたが、先ほどのエメラルドの言葉を思い出して男が態度を豹変させた理由に察しを付ける。

 どうやら、圭介が話に出てきたトパーズの王室関係者とやらである可能性を考えれば、男たちは圭介に対して相当マズイ扱いをしてしまったらしいのだ。もちろん何のことだかさっぱりわからなかったが。

 それにしても貴殿とは。男の仰々しい呼び方に圭介は苦笑いしてしまった。


「いえ、違いますけど」

「ど、どうだっ! 本人が違うと言っている!」


 男はすぐさまエメラルドのほうへ向き直り、嬉々として圭介の言葉を伝える。

 相変わらず圭介の目から見ても恐ろしい風貌をした男であるが、言質を取ったぞと勇むその姿はなかなかどうして、少し子どもっぽさを感じさせた。

 しかしエメラルド、


「だーかーら! その本人が自分は違う世界から来たって言ってるでしょ! 魔法石も持ってないって! 何でそれは信じてあげないのよ!」


 腰に手を当て男を叱りつける。


「いい? 私がさっき言った、彼がトパーズ王室関係者の可能性があるって話、 きっと女王様だって同じことを懸念されるに違いないと思うんだけど。あなた今回のこと、女王様にどう報告するつもりなの?」

「そ、それは……」

「彼は自分が異国から来たと必死に訴えていましたが信じませんでした。ですが彼がトパーズ王室の関係者であることを否定したのは信じましたのでご安心下さい」

「……」

「そして魔法石は輝いていませんでしたが、彼はきっと魔法を使ったに違いないので仕方なく命を奪いました――とでも報告するの?」

「……」

「こーんな筋の通ってない話、女王様が聞かれたらどうお思いになられるかしら。きっと激怒されるわよ?」


 脅すような口調で、お前たちもだぞと言わんばかりにエメラルドが周囲の兵士たちを見回した。

 突然矛先を向けられたことに対し、ギョッとした顔で狼狽する兵士たち。その姿を見てエメラルドがいたずらな笑みを浮かべる。


「……まさかあなたたち、ウソの報告なんてしないわよね?」

「ぶ、侮辱する気か貴様っ! 嘘の報告など――」


 と、一度は声を荒げたものの、そこで男は急に黙り込んでしまった。

 やはりエメラルドの言うとおりなのか、有りのままに今回の件を報告すれば分が悪くなるのは自分たちだと胸中では認めているらしい。

 口をへの字に曲げ、男がむむむと唸り始める。

 ただ、その横で二人の応酬を聞いていた圭介は一人内心ひやひやしていた。エメラルドの挑発的な言葉に男がいつか怒り出すのではないのかと。


「そりゃそうよね。女王様に<嘘は通用しない>もの」

「そ、そういう意味ではないっ! 俺はこの国に、女王陛下に忠誠を誓っているのだ! 陛下に偽りの報告をするなど……!」


叫んだ後、男が頭をかき乱す。


「ぐ、ぐぅ……っ! しかし先ほどの異常な力といい、建物のことといい、陛下に一体どう説明すれば……!」


 そんな台詞とともに葛藤する男は元来生真面目な性格をしているのかもしれない。あるいは隊長と呼ばれる肩書きを考えれば、こういう状況においては常に公平な判断を求められる立場なのかもしれないなと圭介は思った。

 それにしてもエメラルドだ。


「ふん。ありのままを説明すればいいじゃない。今さら何よ」


 ぷいと顔をそむけ、こともなげに言う姿は先ほどこの大人たちに怯えて逃げ出したとは思えないくらいの度胸だ。


「この大陸にだって、たくさんの魔法石、不思議な石があるんだから、外の世界にはまだまだ私たちの知らない不思議があるってこと。ただ、それだけよ。 現に彼は私たちの目の前にいるじゃない、異国から来たという彼が」


 エメラルドの言葉とともに、周りの視線が一斉に圭介へと注がれる。


「ほら。こーんな不思議なこと目の当たりにしちゃったら、異常な力とか、突然家が現れたとか、それが何って感じでしょ? 例えそれが魔法じゃなくてもね。ちっとも驚くことなんてないわ」


 呟きながら、空を仰ぐエメラルドの瞳は何を映しているのだろう。その目は遠く遥か、どこか違う場所を見据えながら語りかけているようだ。 

 ただ、これだけはいえる。


「ね、オズ」


 そう言って圭介に微笑みかけるエメラルドの顔は、全てを包み込むような、そんな優しさに満ち溢れていた。

 エメラルド――。

 思わず名前を呼びそうになった圭介は、自分の話を何の疑いもなく受け入れてくれたエメラルドに改めて感じ入ると同時に、こうして自分を擁護してくれていることにも強く、深く感謝したのだった。

 と、そこへ兵士の叫ぶ声が聞こえてきた。


「隊長! 大変ですっ!」

「……? どうした」

「取り急ぎお伝えすることが! あの建物内を捜索していましたところ……こ、このような物を発見しました!」


 慌てた様子で駆け寄る部下の姿に怪訝な表情を浮かべた男が、受け取ったモノを見た瞬間、すぐに驚きのそれへと変わる。


「こ、これは……っ!」

「?」


 同じく気になった圭介も横から覗き込む。そして見覚えのあるそれを見て、「あ」と小さく声を上げた。


「これは……魔法、石……か?」


 確かめるように呟く男の手――。

 そこには深い緑色の宝石であしらわれたネックレスがぶら下げられていた。


「はっ、我々もこれを発見したときには驚いたのですが、この質感、透き通るような美しさは間違いありません! 魔法石かと! た、ただ……」

「……見たことのない色をしている」

「そ、その通りです! 我々もこのような緑の魔法石を見るのは初めてです!」


 隣にいた他の兵士も真剣な顔で頷き、にわかに場が熱気を帯びてくる。次々と沸き起こる驚きの声。

 緑の魔法石だと? そう口にしながら兵士たちが我先にそれを見ようと互いに身体を押しのけ合う。その後方で、エメラルドも目を大きく見開いているのはやはり同じく驚いているからだろう。

 そんな中、圭介だけが一人、勘違いで騒ぎ立てる男たちを若干冷ややかな目線で眺めていた。

 何故ならそれの正体を知る者は、この場において圭介以外にいないのだ。


「……貴様、これは一体どういうことだ。自分は異国から来たと、魔法石など存在しない国から来たと、そう言っていたではないか!」


 だから、急に鋭い目に戻った男が声を荒げても、今度は落ち着いて答えることができる。


 「はあ、だってそれ、魔法石なんかじゃないですから。俺たちの国では宝石って呼ばれてる、ただの貴重な装飾品ですよ」


 圭介の言うとおり、男が持っているのはただの宝石だ。正確にはネックレス――圭介の父が母に贈ったエメラルドの首飾りである。確か、結婚記念日だか何だかの記念日に、父が外国で買って来た贈り物だったと圭介は記憶している。

 それを兵士がどこからか捜し当て、勝手に魔法石だと勘違いしているのだ。母は普段は身につけることなく、寝室の鏡台の中に大事にしまってると言っていたはずだが。


「とぼけるな!」

「とぼけてねーよ! ていうか、人ん家を勝手に漁らないでくれ!」


 親の寝室にまで入ったのかという呆れとともに、まだ俺を疑う気なのかと、圭介はこの堂々巡りを繰り返す尋問に対してさすがに苛立ちを感じ始めていた。


「じゃあさ、そんなに魔法石ってことにしたいなら、それで魔法を使って逆に証明して見せてくれよ。この大陸じゃ魔法が使えるんだろ?」

「……それは無理だ」

「はぁ?」


 意味がわからない、思わずそう言葉が続きそうになった。

 魔法石さえあれば魔法が使えるんじゃなかったのか、と。


「当たり前だろう。俺はこの魔法石に込められている魔力の内容を知らないのだからな。第一、このような色をした魔法石を見るのは初めてだ。特性すらわからん。そもそもが、錬成されている石なのかも」


 そう言って、男がネックレスを高くかざすと、先端で揺れる緑の石が月の光を湛えて一層強く輝き始めた。その濡れるような美しさと妖しさに周囲の兵士たちも息を呑み、感嘆の声を漏らす。


「――それこそ魔女でない限り、判断はつかないだろう、な」


 魔女、という言葉に釣られてつい圭介はエメラルドを見たのだが、当の本人は自分と同じ瞳の色をしたネックレスに目を奪われているみたいだった。

 練成、か――。

 言われてみれば確かにエメラルドから聞かされていた。魔法の行使には条件があるのだ。そのことをすっかり失念していた圭介は、男たちの主張を否定する決定打を得られなかったことに口を尖らせる。

 宝石は宝石。魔法を使えるはずがない。だからその時になって思いっきり馬鹿にしてやり返してやろうと圭介は考えていたのだが、思わぬ要素を盾にかわされてしまった。

 だが、ネックレスを宝石だと証明することが出来なくても、圭介にはそれ以上に証明しなければならない大切なことがある。


「見るのが初めて――」


 圭介の呟きに、男が気付く。


「それって、俺が外の世界から来た証明にならないかな」

「ん?」

「だって、あんたたちはその宝石を見たことがないんでしょ? たとえ魔法石だったとしてもだ。見たことがない、つまりこの大陸には存在しない石です。それを俺が持っていた。……どうです? これこそ違う世界から来たという動かぬ証拠じゃないですか」


 そんな風に圭介が言うと、男は目をしばたたかせた後、片眉を吊り上げて「むむ」と黙り込んだ。

 そこへ兵士の一人が口を挟む。


「た、隊長。実は建物内にはこの他にも、確かに我々が初めて目にする物が多数見受けられました」

「何っ!?」

「さらにあの建物自体、どうもこの大陸には存在しない物質で造られているようなのです。もしかしたら、この男の言っていることは本当なのかも……」


 思いもよらぬ助け舟だった。まさか兵士の口からそんな言葉が出てくるとは。

 圭介も胸の内で驚いたが、実際に家の中を見た人間にとっては珍しい物がそこかしこに転がっていたのだろう。兵士たちがそれぞれ目にしたものを興奮気味に男へ伝えていた。


「な……っ、ば、馬鹿者っ! 何故それをもっと早く報告せんのだ!」


 突然の身内からの横槍に、男も顔を赤くして部下たちを怒鳴りつける。

 そして圭介と目が合った後、口をパクパク開ける様は何事かを言い出そうとしても言えない、そんな感じのうろたえようだ。


「ね、言った通りでしょ」

「う」


 と、一言呻いてそれ以上は何も言い返せない様子を見れば、どうやら男も認めざるを得ないようであった。

 もっとも、圭介は何もこれまでのしつこい尋問の仕返しとばかりに本気で男を追い詰めようとしているわけではない。違う世界から来たという話を信じてくれさえすれば、圭介のほうから頭を下げて彼らに頼みたいことがあるのだ。

 だから圭介は、この話はもう終りだと早々に切り上げるのと同時に、部下の前でうろたえる男の顔を立てるつもりでこう切り出した。


「ちなみに。さっきは無理やりだったから抵抗しましたけど、ホントは俺も都に連れて行って欲しいんですよ。誰か俺の住んでる世界のことを知ってたり、帰る方法を知ってる人がいないか探したいんです」


 これは圭介の心からの願いだ。


「だからお願いします。どうか俺を都まで案内してください!」


 深々と頭を下げる圭介。その耳に、男を含めた周囲の兵士たちの戸惑う様子が聞こえてくる。


「連れて行ってあげればいいじゃない! これ以上彼の話を疑うものなんてないでしょ!」


 そんな野次に近い台詞を飛ばしたのはそれまで黙っていたエメラルドだ。

 突然あらわれたその声は、未だ躊躇する男たちの背を押すのに十分な力強さと響きを備えていて周囲を驚かせる。


「それに女王様だって、その緑の魔法石をご覧になられたら、きっと彼に興味をお持ちになるわ!」

「む、むむ……確かに……っ!」


 男が低く唸る。

 しかし圭介は聞き逃さなかった。……女王様?

 いきなり何の話だと驚いて圭介が頭を上げてみれば、男はなにやら目を瞑りながら黙考している様子だ。代わりにエメラルドに視線を向けると、これまた何を勘違いしたのか可愛い笑顔で小さく手を振り返してくる。

 いや、女王様がなんで俺に興味を――?

 だが、その気になる発言も、男の「ふむ」と納得したかのように呟いた後に続く言葉によってすぐに飛んでいった。


「よしわかった。貴様を都まで連れて行ってやろう」

「ほ、ホントですかっ!?」


 よしっ、と強く拳を握る。圭介はその場で飛び上がりそうになるくらいに喜んだ。

 やっと、だ。

 ここにきて、ようやく圭介は不毛に思えた押し問答から、生命の危機まで、全てを回避した挙句に目標としていた都にまで案内して貰える約束を取り付けたのだ。この一時は、圭介にとって随分と長く感じる時間であった。


「その代わり、この魔法石は暫くの間、我々が預からせて貰うぞ」

「……後で返していただけるなら」


 未だ魔法石と言い張る男に圭介は苦笑いしたものの、一応両親が大事にしている物だからと事情を説明した。

 男も必ず返すと約束してくれる。

 そんな圭介と男を見つめながら、エメラルドが涙をにじませうんうんと頷いていた。


「よかったぁ……。オズ、都に連れて行って貰えてホントによかったねー」


 ぐす、と鼻をすすって目を擦るエメラルドはどうやら感動してくれているみたいだ。圭介もエメラルドの所へ駆け寄り、命を救ってくれたことに感謝の気持ちを――

 と、思ったのだが。


「…………」


 気が付けば場がしんと静まり返っていた。おまけに妙な空気が流れている。

 それもそのはず。その場にいた全員の視線が、茂みに佇む少女ほうへと集まっていたのだから。

 度々口上で注目を集めていたエメラルドだ。今さらあえて誰も口にはしないが、兵士たちが何を言いたいのかはその目が語っていた。

 エメラルドもしばらくはキョトンとした顔でそれらを見つめていたものの、ハッと気づいた瞬間目を見開いて凍りつく。

 が、逃げ出すのが少し遅かった。


「……心配するな、貴様も一緒に連れて行ってやる」


 エメラルドが踵を返すより速く、いつのまにか後ろに回り込んでいた兵士に肩を掴まれてしまった。

 見る見るうちに顔から血の気が失われるエメラルド。それを確認して男が満足そうに頷く。


「ちょ、ちょっと待ってくださ――」


 圭介がしまったと思ったときにはもはや手遅れだった。


「よぉーし! 不審者を一名確保! 全員、速やかに撤収っ!」

「ギャーーーーーーーー!!」


 慌てて止めようとした圭介の声は、二つの叫びによって完全にかき消されたのだった。  

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