Ⅵ 命の危機だ

 思いもよらぬ出来事に目を丸くし、驚く様を見せたのは圭介一人ではない。

 静まり返る周りに目をやれば、やはり何が起きたのか信じられないといった面持ちで皆一様に口を開けていた。


「う、ぐう……っ」


 呻き声をあげながら地面に転がっているのは、先ほどまで圭介を捕らえようとしていた兵士たちだ。そのほとんどが弾け飛ぶような衝撃に受身をとることも叶わず、地に叩きつけられた痛みに悶え苦しんでいる。中には身体を木にぶつけ、そのまま気を失っている者の姿もあった。


「お、おい大丈夫かっ!」


 ハッと我に返った一部の兵士たちが仲間の元に駆け寄り、再び一帯が騒然とし始める。

 その光景を横目に、束縛から解放された圭介は、今しがた兵士たちを薙ぎ払った自分の両手を確かめるように見つめていた。

 今、俺は一体何を……? 自分でもそう不思議に思えるくらいの力で、確かに圭介は数人の大人を吹き飛ばしたのだ。それも圭介よりはるかに鍛え上げられているであろう屈強な兵士たちの身体を。

 体躯の差を考えれば、到底理屈に合わぬ力――。 

 周囲もざわめきも、それと同様の驚きに満ちているようだった。


「――っ、全員剣を抜いて囲め!」


 突如、男の怒号が隊の混乱を切り裂く。

 その言葉に、唖然と手を眺めていた圭介も驚きの表情を見せたのだが、気がつけばそれよりも速い動きで兵士たちに周りを囲まれてしまった。


「う」


 またも一瞬にして張り詰める空気。再びその場に留まることを強いられた圭介は、すぐに恐怖と緊張に身体を強張らせる。

 それもそのはず。再度向けられる視線はそれまでとは違う、明らかな敵意に目をぎらつかせる兵士たちが手にしているのは抜き身の剣だ。鈍く、不気味に光る切っ先がそれぞれに圭介を捉えていた。


「た、隊長……気をつけてください。この男、尋常な力じゃ……」


 呻く部下を一瞥した後、微かにうなずく素振りを見せた男は圭介を睨みつける。


「そのまま距離を置け! 気をつけろ、もはや一個人が相手だと思うな! お前たちも見ただろう、あの膂力。この男……トパーズ産の魔法石を所持している可能性が高い!」

「と、トパーズ産……っ!?」


 男の声に、何故か兵士たちが色めき立つ。


「で、ではこの建物もまさか!」

「うむ、トパーズの<力>ならあるいは合点がいく。かの国の石を使えば建物の一つや二つ移動させることなど造作ない。だとすればかなり厄介な相手だぞ」


 苦々しげにそう呟いて、舌打ちをする男。その姿を見て部下たちにも緊張が伝わったようだ。握り締める剣の柄、革篭手のこすれ合う音が圭介の耳にも聞こえてくる。

 だが、それよりも――。

 汗が頬を伝うのを感じながら、圭介は周りをもう一度見渡した。


「……っ」


 改めて息を飲んだのはどちらであろう。圭介とも兵士とも区別がつかないくらいだ。

 それほど切迫した雰囲気の中、圭介は今や自分がこの男たちにとって脅威の存在であると認識されていることだけは理解していた。

 理由は――明らかに先ほど自分が見せた抵抗であり、兵士を投げ飛ばした圭介の予想だにしなかった力が原因であるのだが。

 どうもその点について、男たちは少し何かを勘違いしているようだった。


「……やはり貴様は嘘をついていたな。異国から来たなどと……たわけたことを!」

「ウソじゃねーよっ! ホントなんですって! お願いだから信じてくれ!」

「黙れっ! 魔法石を無許可で所持している可能性がある以上、どの道貴様は連行される身だ! それとも貴様、使用許可状を持っているというのかっ!」


 野獣の咆哮さながら男が声を荒げる。つまりは圭介が魔法の力を使ったに違いないと。魔法石を隠し持っているのではと、そう言うのだ。

 しかし、それが誤解であることは圭介本人しか知り得ない上に、弁明する時間、余裕はどう考えてもない。

 剣を構えた兵士たちがにじり寄り、徐々に距離を詰めてきている。


「持ってないから……頼むよ……っ」


 たとえ大の大人を簡単に振り払うことのできる腕力を備えていたとしても、これほどの人数に刃物を向けられていてはどうすることもできない。魔法石はおろか、圭介は武器の類すら所持していない丸腰なのだ。

 生まれて初めて経験する生命の危機。その恐怖に圭介はギュッと目を瞑り、そして後悔した。

 抵抗するんじゃなかった――。

 が、そんな圭介の頭に聞こえてきたのは男の無慈悲な台詞だった。


「俺が合図を出す。一斉にかかれ。もし魔法を使うようであれば……かまわん、斬れ!」


 こうなってしまっては、もはや圭介に出来ることは恭順の意を示すことくらいだ。腕を降ろし、抵抗する気概など自分にはないのだと。


「お願い、します……ウソなんかじゃ……」


 震える口からは許しを乞うように、しかし同時に圭介の目に映るのは、ゆっくりと片手を挙げる男の姿――。


「よし! 今だ、かか――」


 まさに男が合図を出そうとした、その瞬間だった。


「ダメーーーーーーーーーーーーっ!!」


 耳をつんざくような、そんな悲鳴にも近い大きな声が突然割って入ってきた。

 その声の主を見て、周囲の兵士たちよりも圭介のほうが驚いたくらいだ。


「だ、ダメっ! ダメなんだから! そ、その人に乱暴なことしないでっ。その人の言ってることは本当よ! 彼は魔法石なんて持ってないわ!」


 森の茂み――木の影から姿を現していたのは一人の少女。なんとそこには、先ほどこの場から逃げ出していたはずのエメラルドが立っていたのだ。


「……誰だ貴様。こんな所で何をしている」


 ジロリと睨みをきかせる男の問いに怯むことなく、エメラルドは言葉を重ねる。


「ひ、ひ、光らなかったじゃない、彼の体……! 魔法を使ったなら光るはずよ! 体のどこかにある魔法石が……輝くはずでしょ!」


 力強く、はっきりと男に言い返すエメラルドはいつのまにここに戻って来ていたのか。もしかすると最初からずっと茂みに隠れていたのかもしれない。

 だが、必死に物怖じを隠そうとする強気の口調を聞く限り、やはり兵士たちの前に姿を現すのは本意ではなかったのだろう。

 エメラルドの身体は小さく震えていた。


「あ、あの強い輝きは、どんなに隠そうとしたって隠しきれるものじゃないわ。 いい年齢した大人がこんなに集まって、何でそんな簡単なことに気が付かないのよっ!」


 エメラルドの指摘を受け、にわかに兵士たちが騒然とし始める。「確かに」「光らなかったぞ」などと、聞けばそのようなさざめきが場を覆っていた。

 兵士の後ろに控える男もエメラルドの言葉に何か思い当たる節があったのだろう、圭介と目が合うと気まずそうに視線を逸らす。そして掌で顔を半分隠すのであったが、その様はまるで己の不覚を悟っているかのようだった。

 そんな男たちにエメラルドが畳み掛ける。


「それにもし、さっきのがトパーズの<力>だっていうのなら……家と自分に、彼は少なくともニつの魔法石を持っているってことになるわ。これがどういう意味か、あなたたちにもわかるでしょ?」

「う……」

「このご時勢、そんなことが普通にあると思う? 一つだけならまだしも、個人が二つなんて。しかも片方はあんな大きな家を移動させる程の魔法よ? そんな貴重な魔法石を所持していて、しかも人目を気にせず使う人物。そう、もしも彼がトパーズ王室の関係者だったら、どうするつもりなの? 大問題よ!?」

「う、ぐ……っ」

「さっき“斬れ”とか言ってたけど、あの大陸最強の軍事大国を敵に回して、あなた責任取れるんでしょうね!」


 詰め寄るエメラルドの言葉に男も一歩後ずさる。鋭く研ぎ澄まされた眼光も、情けないほどうろたえを見せる顔から隠れてしまい、今やその威圧感を消し去っていた。完全にぐうの音も出ないといった感じだ。


「た、隊長……」


 周りの兵士たちも、なにやら風向きがおかしくなってきたことに戸惑いの表情を浮かべている。それぞれの目が、我々はどうすれば良いのかと男に指示を仰いでいるようだった。


「と、とりあえず剣を収めろ」


 そんな部下の視線に気付いたのか、あるいは男の瞬時の判断であったのかはわからない。

 男の命令に、どこかホッとした顔で剣を鞘に収める兵士たち。

 

「た、助かった……」


 そして、それまでの緊張の糸が一気に切れた圭介は、へなへなとその場に座り込む。

 とにかくエメラルドのおかげで、圭介はからくもこの窮地から救い出されたのだ。

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