Ⅳ やっぱり異世界なのか…

 まずは状況を整理しよう。

 家の傍にあった大きな石に腰掛けながら、そう強く意気込んだつもりの圭介だったが、その目は虚ろで覇気はなく、視線がどこに定まっているのか正直傍から見てもわからないくらいだった。おまけにだらしなく半開きになった口からは、冷静に状況を分析しているというよりはどちらかというと己の境遇を嘆く声がブツブツと垂れ流されている。

 最初は気休め程度に、むしろ興奮と歓迎の意を口にしながらはしゃいでいたエメラルドも、そんな圭介のあまりの落胆ぶりを見てさすがにコレはと思ったらしい。今は必死になって掛ける言葉を探しては、なんとか圭介を慰めようとしていた。

 ただ、励ましの言葉は耳に届いているのか圭介の様子は相変わらずである。学校が、異世界が、帰りたい、などなど、聞けば先ほどからそのような台詞がうわ言のように繰り返されていた。

 そんな圭介を見下ろしながら、自らを魔女と名乗る少女、エメラルドもやはり困り果てた表情を見せるのであった。


 ♦ ♦ ♦


 圭介は、まだ年端も行かぬ十七の高校生だ。

 学力はさほど高くないものの、普通の高校に進学し、普通に出来た友人たちと遊び、普通に恋もする。そんな普通の日常を送っていた。

 それが一転、住んでいる家とともに預かり知らぬ土地に一人で放り出されたのだ。しかも理由もわからないまま、突然に。

 恐怖と途惑いの念に押しつぶされるには十分すぎる内容だろう。それでも圭介は耐えていた。襲い来る感情を必死に抑えようと努めた。自分に起きたあらゆる出来事になんとか理由を付け、異世界に来たという結論に至った時も、およそ歳に似つかわしくない落ち着きを払っていたつもりだ。

 ただ、物事には限度があるように、若い圭介が耐え得る精神負荷にも同じく限界があった。家先で出会った少女から、この世界が御伽噺に出て来るようなファンタジーの要素に包まれた場所だとはっきり聞かされた圭介は、それまで溜め込んでいた感情が堰を切って流れてしまったのだ。

 私は魔女だ。こともなげにエメラルドはそう言った。圭介に魔法を使ったのではないのかともたずねてきた。その口ぶりからは、当たり前のように魔法が飛び交うこの世界の姿が容易に想像できた。

 そんな世界で、普通の暮らしをしていた圭介が、一体どうすればこの状況を手放しで喜ぶことができるというのか。ここに来た経緯も未だ把握していない上に、元の世界に帰る手段もとんと見当がつかないのだ。過ぎる不安に心を締められ、絶望のまま途方にくれるのも無理はない。 

 ここは、普通の世界ではないのだから。


「ち、違う世界かぁ。魔法石のない世界。いいなぁ、私も一度行ってみたいなー、オズの住んでる国」


 うなだれる圭介の頭に、そんな言葉が聞こえてきた。エメラルドの声だ。

 だが、何気なく放ったかのように思えたその台詞に、圭介は一瞬瞳を炎で燃え上がらせエメラルドを睨みつける。

 他人事だと思って適当なことを……っ!

 思わずそう口にしそうになった矢先、エメラルドの顔を見た圭介は、しかしすぐにそれが間違いであることに気付く。

 そう、彼女には何の罪もないのだ。なにも彼女が圭介をこんな地に連れて来たわけではない。それどころか、多少の紆余曲折があったものの、彼女は圭介の問いにちゃんと答え、最終的には圭介の身の上を何の疑いもなく信じてくれたこの世界で初めての人物だ。そんな彼女に、自分の置かれた状況を恨み節に言葉尻を捕らえて責めるなど、ただの身勝手で理不尽な八つ当たりでしかなかった。

 それに――

 圭介は思い出す。

 先ほどから延々と自分に声を掛けていたのは、なんとか圭介を元気付けようと必死になっていた、このエメラルドに他ならない。エメラルドは、彼女なりに圭介を励まそうとあれやこれやと台詞を変え、ずっと圭介を慰めようとしてくれていたのだ。意気消沈していたとはいえ、それくらいは圭介の耳にも残っている。

 だとすれば、恐らくさっきの台詞も同じことだろう。彼女は――エメラルドは圭介に立ち直って欲しいだけなのだ。

 だったら、と。そんな彼女の想いに応えるべく、圭介はかぶりを振り、ぱしっと頬を叩いて立ち上がる。

 確かに落ち込んでいる場合ではない。まだまだ聞きたいことは他にたくさんあるのだ。そう思い直した圭介は、次こそしっかりとエメラルドの顔を見据えて聞き返した。


「そうだ、その魔法石だよ! 君が言ってることが本当なら、今、俺の前でその魔法とやらを使って見せてくれよ! 魔女なんだろ!? 俺はな、この目で確かめない限り魔女とか魔法とか、そんな話は一切信じねーからなっ!」


 語気を強め、声を荒げたのは圭介なりの復帰合図であった。どうやらエメラルドもそれを感じとったらしい。どこか安堵した表情を浮かべた後、すぐに澄ました顔でエメラルドは答える。


「んー、残念。今は無理ね」

「ほ、ほら見ろやっぱり使えないじゃん! は、はは、そりゃそうだよな、魔法なんてあるわけ……」

「ちーがーうーの。オズは勘違いしてるわ」


 指をピンと立て、そしてエメエラルドは続ける。


「正真正銘、私は魔女よ。けどね、だからといって魔法石なしで魔法を使うことはできないの」


 その言葉に、圭介は妙に納得してしまった。

 魔法石。わざわざそんな名前が付いているくらいだ。つまり魔法石とは魔法を使う際などに必要な、何かアイテム的な役割を担っていてもおかしくはない。


「じゃ、じゃあその魔法石とやらをはやく!」

「……あのね、オズ。もう忘れたの? あれ」

「あ」


 そういえばそうだった。

 呆れたように顔を向けるエメラルドの視線の先を見なくても、圭介はエメラルドが何を言いたいのかをすぐに理解した。


「あそこには私の大事な魔法石も下敷きになってるんだからね。もう」


 そんな風に咎める口調で圭介を見るエメラルドも、もはや本気で圭介を責めているわけではなさそうだ。しかし圭介は、そのことをすっかり忘れてしまっていた自分の発言に少し恥ずかしさを覚え、誤魔化すように口を尖らせる。


「そ、そもそも魔法石って何だ? さっきからその言葉を口にしてたけど」

「魔法石はこの大陸で採れる石のことよ。すっごく綺麗な色をしてて、透き通っていて……眺めてるだけでも思わず魅了されちゃいそうになる不思議な石」


 言いながら、エメラルドは圭介の隣に腰を下ろした。


「地域や国によって採れる魔法石はそれぞれ異なっていてね、色、形、性質、そして匂いも様々。例えばこのアメジストで採れる魔法石なんかは、紫の色をした独特の結晶体で、魔法石としてはもちろん、錬成されていない原石のままでも装飾品や調度品として使われるため人気が高いわ」

「……錬成?」


 少しだけ離れ気味に、端のほうに寄りながら圭介はたずねた。


「そ、錬成。採掘された魔法石は、そのままの状態では魔力を発揮することができないの。魔法を使うためには膨大な時間、卓越した技術、そして共鳴する魂を石に注いで錬成することが必要でね、それらを可能とするのがこの大陸で唯一、私たち魔女の一族のみってわけ」


 ふふん、と鼻を鳴らして誇らしげに語るエメラルド。

 なるほどそういうことか、と圭介も心の中でうなずく。つまり魔法を使うためには魔法石が必要で、その魔法石も魔女が練成を行わなければ魔法を使うことができないただの綺麗な石ころに過ぎないわけだ。


「その代わり錬成後の魔法石さえあれば、別に魔女じゃなくったって誰でも魔法を使うことが可能よ。つまりオズ、キミだって魔法使いになれるんだから」

「お、俺が魔法使いに……?」

「ふっふーん、どう? ちょっと魅力的な話なんじゃない?」

「それは……まあ」


 と、すぐに圭介は漫画やアニメの主人公さながらに魔法を駆使する自分の姿を思い浮かべた。

 圭介だって、少し前まではよくそれらファンタジーの世界に登場する魔法などの描写に心を奪われ、憧れていた時期があったのだ。普通の人間とは違う、不思議な力を持つ自分が現実においても活躍し、人々から驚きと羨望の眼差しを向けられるという妄想をしたことなど一度や二度ではない。

 確かに悪くないな。

 ニヤ気顔でそう思った瞬間、いやいや違うとすぐに圭介は頭を振る。


「――じゃなくてっ! 俺は家に帰りたいんだよ! こことは違う世界に! 魔法の存在に魅力を感じてる場合じゃないんだって!」

「お、オズが聞いたんじゃない。だから答えたのに」


 大声を上げる圭介に、エメラルドは首をすくめて口をへの字に曲げた。


「とにかく」


 圭介は立ち上がり、エメラルドに背を向けて呟く。


「俺は元の世界に帰んなきゃなんねーんだ。その方法をこれから探さないと」

「探すって……どうやって?」

「ああ、問題はそこだ」


 考えると深いため息が出る。その唯一にして最大の問題を打開する術が今の所さっぱり思いつかないのだ。


「魔法で、どうにかならないのか?」

「え?」

「魔法だよ。魔法を使えば異なる世界を行き来することが可能なんじゃないか? どうだ?」


 圭介がそうたずねたのは、自分がこの地に立っていること自体が不可思議で、まさに不思議の塊である魔法を使えばこうして異世界に移動することが出来るのではないかと思ったからだ。

 空間転移。そのような魔法の名前を、圭介はどこかで聞いたことがあった。

 だが、


「無理よ」


 ふるふると首を振って、エメラルドは答える。


「オズの住んでる世界。というより、その異世界という存在自体、私はまだはっきりと理解できていないもの。場所を指定するなら場所を正確に、効果を現したいのなら効果を詳細に把握しなければ魔法は使えないし、そもそも……そんな特性を持った魔法石なんて聞いたことがないの。だから、」


 ごめんなさい。そう言って、エメラルドはしゅんと肩を落とした。その姿に圭介も慌ててフォローを入れる。


「――けど、確かにオズはここにいるものね。オズの住んでる世界とこの世界。片方からは行けたのに片方には帰れないなんて、そんなの理屈に合わないわ。要は行き来する手段の問題だと思う」

「……手段つっても、こっちに来た経緯すらあんま覚えてねーんだよな。気ぃ失ってたから」


 ため息交じりに、圭介は森に佇む我が家を見つめる。

 相変わらず場に相応しくない、異質な存在感を放つこの家は圭介とともに異世界にやって来た。いわば自分と同じ運命をともにしているわけだが、圭介と違うのは己の境遇に悩むことなどないであろう。そのことに、少しだけ恨めしい目を向ける。


「じゃあ、誰か知ってる人を探すとか? 都に行ってみたらどうかしら。人も多いし」

「都……? 何を探しに?」

「何をって、この大陸にもたくさんの人が住んでるんだから、誰か一人くらいオズの住んでる世界のことを知ってる人がいても不思議じゃないわ。そうすれば帰る方法だって見つかるかもしれないわよ?」

「……ふむ」


 都、か。


「どう? アメジストの都にはいーっぱい人がいるんだから。まずはそこから始めれば、意外とすぐ見つかったりして。オズの住んでる世界のことを知ってる人」


 エメラルドの提案は、確かに圭介の考えることと一致している。すなわち誰かの力を借りなければ、今の状況は一向に変わらないであろうことを圭介は理解していた。こんな辺鄙な場所にいつまでも留まって、いたずらに時を費やしたところで何かが変わるとも思えない。その上すぐに帰るわけではないだろうから、明日からの生活のことを考えればこの世界について多少なりとも知識を持たなければ生きていくことさえ難しそうだ。

 そしてもう一つ――。

 ちらっ、と圭介は横目でエメラルドを見る。


「?」


 実はエメラルドには悪いと思いながらも、圭介は一つだけ彼女を疑い、かつ希望を見出していることがあった。

 例の転移魔法の件だ。

 圭介は、エメラルドがはっきりと異世界を通ずる魔法はないと断言したことに違和感を覚えたのだ。というよりは、エメラルドを侮ったと言ったほうが正しいかもしれない。自分と変わらぬ歳に見える、まだあどけない顔をした少女に、どうして世の全てを知り得るのだろう、と。

 エメラルドは自分を偉大なる魔女の名を受け継ぐそれはそれは立派な魔女であるかのように語っていたが、精進中の身であることも付け加えていた。となると、今はまだ見習いのひよっこ魔女といったところだろうか。圭介はそう捉えた。

 だとすれば、エメラルドの知らない魔法が他にあったとしても不思議ではない。この世界には空間を繋ぐ魔法を操る――エメラルドの言葉を借りれば、「魔法石を練成」する高名な魔女がどこかにいるのでは?

 そんな風に圭介は考えたのだ。

 もしそのような人物がいるとすれば、まさしく圭介が求める救いの手に他ならない。なにせここはファンタジーの世界。あらゆる可能性がないとは言い切れないのだから。


「都か……人が多いのなら、確かに探すのにうってつけだな。行ってみる価値はありそうだ」


 などと偉そうに言う圭介には、先ほどまで情けなくうろたえていた姿は微塵も感じられない。


「うんうん! そう、その調子よ、オズ。前向きに頑張るの!」


 そしてエメラルドも、自分が軽く見られたことなど知るはずもなく、壮気みなぎる圭介に賛辞を送るのであった。


「――で? その都にはどうやって行けばいいんだ?」


 圭介が、エメラルドにたずねた時である。


「おーい、あったぞー! 見つけた、ここだぁ!」


 突如、間に割って入る人の声が聞こえた。


「――っ!」


 その瞬間、エメラルドの身体が強張るのを圭介は見逃さなかった。


「例の建物らしきものを発見! 隊長、こちらですっ!」


 森の中に響き渡る複数の男たちの声。

 建物、という言葉に圭介も、誰かがこちらに近付いて来ていることを察する。


「な、何だ? 誰か来たみたいだぞ? それも一人じゃないっぽいけど」

「あわ、あわわ……た、多分都の兵士たちよ。誰かが通報したんだわ、きっと」


 震える声で、エメラルドは何故か怯えるように後ずさる。


「か、隠れなきゃ……っ! オズ、見つかったら大変よ、キミも隠れてっ!」「え……な、何で? 都の兵士ならちょうどいいじゃん。事情を説明してそのまま案内して貰えば」


 エメラルドのうろたえように理由もわからず、圭介は戸惑い気味に答えた。


「そ、それはそうなんだけど……でも、私……」

「誰かいるみたいだぞ!」


 次に声が飛んできた時、エメラルドは振り絞った矢のごとくその場を離れ、茂みのほうに逃げ出した。


「お、おい、エメラルド!? 何で逃げ――」  


 だが、背中を追うようにかけた圭介の声は不意の怒号によってかき消される。


「おい、貴様っ! ここで何をしているっ!」


 叫び声に圭介が振り返ると、地面の小枝を踏み潰す複数の足音が暗闇から現れた。

 視界に映るその姿は――

 やはり男たちであった。きっと都の兵士だろうとエメラルドが呟いていたように、見れば全員甲冑に身を包み、腰には剣らしき得物をぶら下げている。

 ここから見えるだけでも四、五人――いや、後ろにもまだ何人か控えているようだ。

 そしてガチャガチャと金属音を鳴らしながら、兵士たちがたちまち圭介を取り囲む。


「え? え……?」


 いきなり現れたかと思えば一体なんのつもりだ。問う間もなく、圭介はあっさり囲まれてしまった。


「え、と……これは一体……」


 鋭い眼光が四方から突き刺さる。

 決して穏やかとは言い難い、その物々しい雰囲気に、圭介は何となく嫌な予感を覚えるのだった。

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