Ⅲ ここはドコ?

「ウチには女物なんてないから、悪いが俺ので我慢してくれ」


 そう言いながら少女に渡したのは、普段圭介が部屋着として使っている上下一式のスウェットだ。

 女物がない、というのは正確には語弊があり、圭介には母親がいる。しかし、いくら家族といえど女性が使用するクローゼットを漁る様な真似は躊躇われたし、それに見れば少女は自分と歳の近そうな女の子だ。体裁的にもおばさん趣味の服よりは、という意味で圭介は男物しかないと告げたのだった。

 なにせ少女の話によれば、圭介の住んでいる家の下に彼女の着替えや何やらが丸ごと埋もれてしまっているらしいのだ。圭介自身に責められるべき落ち度はないとはいえ、裸のままでいる少女に衣服を提供することくらい当然やってしかるべきだろう。

 もちろん、そのまま恰好でいられたらこの先の会話がし辛いという理由もあるが。

 ついでに濡れた髪や身体を拭くためのタオルも付き添えておいた。


「俺でも少し大きいくらいのやつだけど大丈夫かな?」

「う、うん。ありがと……」


 なるべく少女の身体を直視しないようにしていたが、そんなお礼の言葉が聞こえてきた。そして「着替えてくるね」と告げ、少女はそのまま奥に消えていった。

 ふぅ、と圭介はこれで何度目になるかわからないため息をつく。

 先ほど着替えを取りに行くため家の中に入った圭介は、そこで改めて家中の惨状を目の当たりしたのだ。

 勝手知ったる部屋の中でさえ物が散らばりすぎていて、どこに何があるのか把握できないほどだった。当然電気も通っていなさそうなので、もはやブレーカーも意味をなさないだろう。カーテンを開き、月明かりの助けを借りなければ服を探すことさえ一苦労だったのだ。

 およそ文明的な生活とは程遠そうな森の中。


「マジでどこなんだよ……ここ」


 呟くと、頬に一筋の汗が流れるのを感じた。

 

「お待たせ」


 と、どうやら少女が着替えを終えたようだ。ただ、少し恥ずかしそうにおずおずと姿を現した少女を見て、圭介は思わず息を呑む。

 何故なら目の前に佇む少女の姿が――あまりに可愛いと、そう一言表現すること以外にできなかったからだ。

 特に目を引き、少なからず驚いたのは、圭介が渡したはずのズボンを少女が履いていなかったことだ。上はもちろん着ているのだが、大き目のサイズのパーカーがそのままワンピースのように機能していて、きわどい裾の下からは健康的な太ももが無防備にも露になっている。


「ど、どうかな? 変じゃ、ない?」


 普段から学校でミニスカートの類など飽きるほど目にしている圭介ではあるが、もじもじと内股をこすり合わせながら上目遣いでこちらに視線を向けてくる少女の姿に新鮮さを感じてしまう。

 もしかして腰周りを調整することを知らないのだろうか。丈は長くても紐を引っ張れば十分履けるはずなのに。圭介は少女に教えようかとも思ったが、ちらりと目にした少女の生脚に思わず顔を赤くする。

 まあ、これはこれで。と、結局何も言わずに置く圭介は立派な思春期の男子だ。


「へ、変じゃないぞ、うん。結構……似合ってる」


 ここでむしろ可愛いなどと褒めることが出来ればもう少し色のある学校生活を送れていたかもしれない。圭介は母親以外の異性に服の評価をたずねられたことがないのだ。

 しかしそんな圭介の言葉に少女はどこかホッと安堵した表情を浮かべ、嬉しそうにはにかむ。


「本当? 見たことない服だったから……よかった。ありがとね」

「う」


 少女が差し出すタオルとズボンを受け取りながら、圭介は不覚にもまたドキッとする。

 格好や仕草だけではないのだ。照れ笑いを湛える少女の顔も単純に可愛いらしいと思えた。どう見たって一般的には間違いなく美少女と呼ばれるレベルの容姿だろう。

 少女は圭介に似合っていると言われたことが本当に嬉しかったらしく、満足そうな顔で自身の装いを眺めていた。

 今となってはどうしてこの少女を幽霊ではないかと疑っていたのか圭介自身も理解できない。

 ついでに家の壁を叩いて足蹴にしていた光景を思い返せば、脳裏には少女の裸姿がはっきりと残っている。

 するとたちまち頭に血が上る感覚に襲われるのであった。

 そんな圭介を怪訝な顔で見つめる少女に気付く。


「あ。そ、そうだったスマン。さっきの質問の続き」


 何かを誤魔化すかのようにコホンと咳をして場を取り直してみる。圭介にとって大事な話はここからなのだ。

 少女も心得ているとばかりに頷く。


「えーと、まず聞きたいのが、ここがどこなのかってことなんだけど……」

「ここって、この森のこと?」

「あー、まあそれでも」


 と、圭介は言葉を濁らせ、ふと考える。

 異世界。明らかに住んでいた地域とは異なる場所ではありそうなのだが、しかしひょっとしたらということもある。


「……ついでに、どこの国の森なのか教えて貰えるとありがたいかな。あと一応確認なんだけど、ここって日本じゃないよな? どう見ても」

「……ニホン?」

「そ、俺の住んでる国の名前。あれ、知らない?」

「聞いたことないけど……ニホン? この大陸にそんな名前の国あったかしら」


 少女の反応を見る限り、どうやら圭介の考えは当てが外れたようであった。

 世界のどこかには月がこれほど近くに見える国があるのかもしれない。この森ですら外国ではもちろん、国内においても場所が場所ならば特別珍しい光景ではないのだ。湖だって同じことがいえるだろう。

 つまり、全く別の世界に来てしまったというわけではないのでは? という思いを圭介は抱いたのだ。


「うーん、おばあちゃんにも教えて貰った記憶がない……」


 だが、首を傾げる少女の続く発言とともに、やはり圭介の希望的観測はあえなく崩れ去る。


「ね、そのニホンってどんな<魔法石>が採れるの?」

「……はい?」

「あ、ち、違うのよ? わたしは<魔法石>なんて、も、持ってないんだから。誤解しないで。た、ただね、それがわかればどこの国なのか、もしかしたら思い出せるかもーって……」


 言いながら、何故だか少女は焦り始めた。急にそわそわと落ち着きなく、目も泳いでいる。

 一方の圭介はというと、


「…………」


 少女との会話に臨む前にある程度の覚悟はしていたが、いきなりこれなのだ。

 文字通り、何ともいえない表情になっていた。


「ほ、ホントよ? 持ってないんだから」


 しかし少女は一人で必死だ。

 何も答えずにいる圭介が自分の言葉を疑っていると思ったのか、上目遣いにそう訴えてくる。

 圭介としてはどう反応すればいいのか考えあぐねているだけなのだが。


「……そ、そうなんだ。持ってないんだ。うん、大丈夫……信じるよ」


 頬を引きつらせ、苦笑いを交えたまま圭介は答える。

 正直何が大丈夫なのかは圭介自身もわかっていない。さらには何に対して信じると言ったのかも。

 ただ、とりあえず沈黙を続けても仕方なかったので、適当に場を取り繕うための返しだけはするのであった。


 ♦ ♦ ♦


 圭介が聞きたかった話はそんなことではない。今まさに自分が立つこの場所が一体どこなのか、それをたずねているのだ。

 少女が口にした「まほうせき」――が何なのかは当然理解し得なかったし、もちろん圭介にそんな言葉の知識はない。確かに気になる言葉でもあったし、むしろ語感的には圭介の興味を沸かせるに十分な響きを備えていたが、しかしその前に把握しておかねばならないことは山ほどあるのだ。

 だが、そんな横道に逸れた圭介の問いに対する答えは、意外にも少女のほうから本題へと戻してくれた。


「ここはアメジストに属する辺境の森よ。確かえーと、国の北西辺りだったかしら。ちょうど大陸の真ん中に位置してるの」

「……アメジスト?」

「そ。あ、さすがにアメジストがどこにあるのかわからない、なーんて言い出さないわよね?」


 言いながら、少女がさも当たり前のような体で圭介に問い返す。

 が、そのとおり言葉に窮してしまった。少女の言葉に動揺した圭介は、正直に「わからない」と口にすることができなかったのだ。

 自ら異世界に来たのだと一度は結論づけた圭介ではあるが、やはり心の奥底ではそうであって欲しくないという願いが当然あった。

 最悪、突拍子もない場所の名を告げられたとして、せめて海外の地名――できれば国内の都道府県名を挙げてくれていればまだ希望は持てただろう。

 しかし、少女の今の話を鵜呑みにするのであれば、ここは地球のどこかというわけではなさそうなのだ。ある意味、圭介の意に沿わない答えであった。

 ただ、その中でも一つ、圭介が耳にしたことのある単語が混じっていたことが気になる。


「アメジストって、確か……」

「そう、東の大国アメジストよ! でね、そのアメジストにある森って聞いて、キミは何かピーンとこない? この森には結構有名な呼び名があるんだけど、知ってるかなぁ?」


 呟いたのは自問に近いものであったが、少女は何かを勘違いしたらしい。圭介の言葉にすかさず食いついてきた。おまけに何も知るはずのない圭介に新たな質問までしてくる。


「……」


 どうしたものか、と圭介は心の中で呟いた。前置きとして自分は違う世界から来たみたいだと、少女には伝えたはずなのだが。……もしかして伝わっていなかったのだろうか。


「教えて欲しい?」


 そんな得意満面の笑顔でたずねる少女に、圭介は「いや」、とだけ返して別の考えを巡らす。

 他にも人がいるはずだよな?

 圭介はそう思った。

 なにも少女が虚言を吐いていると疑っているわけではない。恐らく彼女なりに圭介の問いに答えてくれているつもりだとも思う。

 ただ、それならそれで、単純に話を裏付ける証拠が欲しかった。例えば他の者がいたとして、同じく身の上を語った場合、少女と同じような答えが返ってくるのかを確かめたかったのだ。


「いや。位置はだいたいわかったんで、もういいかな。どうもありがとう」


 圭介は少女に背を向け、どこか他に行けそうな場所はないかと探す。


 が、


「あ、や、ちょっと待って! どこ行くのよ!」


 少女に回りこまれてしまった。


「……他に誰かいないのか?」

「い、いないわよ。この森に人なんているわけないでしょ。それにこの時間よ? みんな寝てるに決まってるじゃない」


 だったら君はどうしてここにいるんだ、と思ったが、あえて口にはしなかった。


「私しかいないの。だから、ね。お話聞くだけ……聞くだけでいいから……っ!」


 ありったけの力で圭介を押し留めようと踏ん張る少女。ついには眠くなるまで話し相手になってくれなどと、とんでもないことを言い出し始めた。


「あ、あのなぁ、」


 圭介は心底嫌そうな表情とともに、呆れるような声でそう言った。

 久々に人と会話をしたわけでもあるまい。あるいは女の子だからお喋りを好むのかもしれなかった。

 だが、圭介は今それどころではないのだ。

 俺は君の暇つぶしの相手になるつもりはないんだぞと、目で少女に訴える。

 しかし、またも何を思ったのか、少女は構わず話を続け始めた。


「じ、実はこの森にはね、かつてとある一人の“魔女”が住んでいたことで数多くの人々にその名を知られているの。ほら、ちょうどキミの家が建ってるその場所。そこに彼女の根城があったわ」


 少女が指差す方向に振り返ると、そこには圭介の家がある。

 言われてみれば、確かに家を真ん中に、圭介たちのいる場所だけ更地になっていた。上空から見下ろせば、森の中にポッカリと穴が出来ている感じだろうか。

 ただ、それよりもはるかに気になる言葉が。


「……魔女?」


圭介はもう一度少女の顔を見つめる。

 ちょうど月明かりを背に、照らし出される光で少女の顔がはっきりと見えた。

 そこで圭介は、初めて少女の目が自分のそれとは違う色をしていることに今さらながら気付く。

 緑色の双眸が、じっと圭介を捉えていたのだ。 


「――“エメラルドの森”」

「え?」

「人々はその魔女への尊敬と畏敬の念を込めてそう呼んでいるわ」


 そう言って、目を細める少女はどこか遠くを見つめているように感じられる。

 が、圭介はそれとは別に驚くことがあった。不意に、少女に心を読まれたのではないかと思ったのだ。

 少女の透き通るように美しく輝くその瞳を見て、圭介はとある宝石の名を思い浮かべていたからだ。


「エメ、ラルド……?」

「そう、やっと気づいたみたいね。……そうなの。何を隠そう今キミがいるこの森に、あの伝説の魔女! 偉大なる『エメラルド』が住んでいたのでしたー! キャー、素敵ー」


 パチパチパチ、と。

 語るだけ語って、最後に自ら拍手まで添えて話を締めくくる少女。

 見ればこれ以上にないというくらい満面の笑みを圭介に向けている。


「えへへー、驚いた?」

「……それはもう」


 驚く以外、他に何があるというのだろう。

 先ほどの「まほうせき」に続き、今度は「魔女」だ。圭介はそれらの言葉をアニメや漫画、そしてゲームの舞台となるファンタジーの世界でしか聞いたことがない。

 いや。でも、まさか――


「ね、ね、キミも当然知ってるでしょ? 魔女『エメラルド』。今や伝説になってるもんねー。私の憧れの人なの……」


 話の余韻に浸る少女を見つめ、圭介は意を決してたずねることにした。


「あー、話の途中でスマン。さっき君、大陸って言葉を口にしてたよね? 最初に伝えたと思うけど……俺、どうやら君たちの住んでる大陸――こことは違う場所から来たみたいなんだよ」

「……え?」

「だからずっと黙ってたんだけど、さっきから君の言ってることがさっぱり理解できてない。唯一わかるのは、アメジストとかエメラルド……宝石の名前くらいだ」

「ほう、せき……? 魔法石じゃなくて?」

「違う。俺はこの大陸とは違う島国から来たんだ。魔女とか魔法石とか、そんなファンタジーが実在しない国。ていうか、こことはもう、全然異なる世界から来たんじゃないかなって今は考えている」


 圭介が強くそう言うと、これまでの表情を一転、少女が口をぽかんと開ける。


「え、ウソ、違う世界って、そういう意味……」


 そして、ふと何かを考える素振りを見せ、


「だったらどうして私とお喋りできるの?」

「……!」


その言葉に心臓を掴まれる思いがした。

確かにそうだ。


「――っ、……俺が聞きたい」


 少女に言われるまで、なぜこんな簡単なことに気が付かなかったのだろう。日本という国の存在を知らないと言っていた目の前の相手は、こうして自然に自分と会話を交わしているじゃないか!


「それに、あの家」

「……わからない。普通に生活してたはずなのに、いきなりこんなとこに来ちまった」

「魔法を使ったとかじゃなく?」

「違う! 俺の住む世界には魔法なんてないんだ! さっきも言っただろう!」


 頼むから俺の話も聞いてくれ。

 自然、少女を責めるような口調になってしまったことを少し後悔しながら、それでも圭介はどうしても理解して欲しかったのだ。


「す、すごい」


 そんな圭介に対し、少女は言葉を紡ぐ。


「は、初めて会った。大陸の外から来た人なんて……! す、すごいすごい! どおりで何も知らないはずだわ! キャー、初体験!」


 ピョンピョンと飛び跳ね、驚きと喜びを一緒くたに声を上げる少女。

 その意外な反応に、圭介も思わず気勢を削がれる。


「じゃ、じゃあキミって、たとえ魔法石を持ってる人がいてもお城に通報したり、魔女狩りなんてヒドイことなんかもしないわよね?」

「しねーよ! いつの時代の話だそれ!?」


 またも強い口調で突っ込みを入れてしまったが、圭介は先ほどまでとは違う、自分の素性をすんなり受け入れてくれた少女にどこか安心感を得た気がした。

 ただ、だからといって圭介の置かれている状況が変わるわけではもちろんない。


「うわー、もう意味わからん! 魔法石って何、魔女って何、君は誰で、ここはどこなんだああああっ!!」


 ありったけの思いを声に出して、圭介は叫んだ。

 が、そんな圭介を余所に少女はどこ吹く風。


「ふっふーん、キミがこの大陸の人間じゃないならもう隠す必要はないわね」


 腰に手を当て不敵に微笑む。


「私の名前はエメラルド――。偉大なる魔女の名を継ぐ正当後継者よ。ゆくゆくはその名に恥じぬよう、立派な魔女になるため今は日々精進中。……伝説の『エメラルド』はね、私のおばあちゃんなの 」


 そう言い終えてニコッ、と。楽しげに言葉を重ねる少女に、圭介はただただ情けない顔を向けていた。


「キミの名前は? まだ名前を聞いてなかったわ」

「……」

「……」

「……」

「キ、ミ、の、な、ま、え!」


 真っ白になった圭介の頭に、少女の言葉が飛んでくる。


「あ、ああ……お、俺は、俺の名前は小津圭介」


 弱々しく、振り絞って出した自らの名。

 力強く堂々と名乗りを済ませた少女――エメラルドとは対照的に、圭介はそう答えるだけで精一杯であった。


「オズ、ケイスケ……んー、じゃあ『オズ』でいいかな?」


 呼ばれた苗字のアクセントに若干違和感はあったものの、今の圭介にとっては些細なことだ。

 魔法、魔法石、魔女――。

 まさか、本当に自分がファンタジーの世界に来ていたとは。

 そしてエメラルドは腕を広げ、その名にふさわしい、緑色の瞳を輝かせて圭介にこう言うのであった。


「ふふっ、オズ、歓迎するわ。美しくも不思議な魔法石が輝く大陸――――『ブリリアント』へようこそっ!」  

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