第一章 オズとエメラルドの魔女
Ⅰ 気が付いたら
「うわ、なんだこれ!?」
玄関のドアを開けただけなのに、そんな驚きの声が出てしまう。それに、これほど呆気にとられる出来事に遭遇するのも生まれて初めてのことだった。
出来事、というよりは光景というべきだろうか。我が家の目の前に、見たこともない巨大な木々が
一瞬、まだ夢でも見ているのかと、そう錯覚させるくらいに突然で、あまりに大きな変わり様に唖然とする。
草木が生えていただけならまだなんとか理解できたかもしれない。
しかし向かいに住んでいる母と仲の良いおばさんの家も、その隣に建っていたはずの学生マンションもその姿はなく、辺りを見渡せば代わりにいびつな形をした幹の木がずらりと立ち並んでいた。
理解もできなければ、もちろん理由すらもわからない。
「え、ここ俺ん家、だよな……?」
後ろを振り返るも、そこにあるのは見慣れた間取りの玄関。
やはり自分の住んでいる家に間違いはない。問題は、何故そこから先の外の景色が急に別世界となっているのかだ。
「これって、森の中……?」
歳にして十七。今年で高校生活二年目となる
♦ ♦ ♦
数時間前。
圭介が机に向かいながら大あくびをしていた時のことだ。
就寝前の時間をだらだらと過ごした後、さてそろそろ寝るかと椅子から立ち上がった瞬間、不意に圭介は身体が揺れる感覚に襲われた。
長時間とはいえないまでも、それまでずっと座りっぱなしだったのだ。一瞬、立ちくらみでも起きたのかと思った直後、しかしすぐにそうではないと気付く。
見れば机の上に置いてある物がカタカタと音を立てて揺れているのだ。
次第に、揺れているのが部屋全体であることに圭介は気が付いた。
「お、おお……!?」
咄嗟に椅子の背を掴み、ぐらっと傾く身体をなんとか抑えながら、すぐに頭に思い浮かんだのは地震の二文字。
だが、それに思い至るやいなや、圭介の頭にもう一つ襲い来るものがあった。
「――――っ!?」
突如として訪れる頭痛。耳鳴りとともに、視界がぐにゃりと歪む。
あまりの鋭い痛みに意識が遠のきそうになったが、口を堅く結んでなんとか持ちこたえる。そして椅子の背を握る手を強め、崩れそうになる身体をしっかり支えようとした。
しかし、部屋中の揺れはまだ続いている。それも先ほどとは打って変わり、床に立っていられることが不可能なくらいにますます激しさを増す。
その所為か、あるいは頭の痛みによるものか、圭介はとうとう膝を床につけ、その場にうずくまってしまった。
「ぐ……う、うぅ……」
耐えるように目を瞑る圭介には、もはや周囲の様子を見る余裕もない。それでも部屋中の家具が乱雑に音を立て、色々な物が床に落ちていく様は聞き取れた。
意識と、それに呼応するかのように崩れていく部屋の全てが。
頭を抱えながら、圭介自身、何度も床の上を転がる。
身体に様々な物がぶつかり衝撃を与えていた。
そして――
次に圭介が意識を取り戻したとき、最初に目に飛び込んできたのは暗闇だった。
部屋に点いていたはずのあらゆる光は消え、辺りは不気味なほど静寂に包まれていた。
「……っ、痛てて……」
どうやらあの後、床に仰向けに倒れたまま気を失っていたらしい。身体を起こそうとするも背中に走る痛みに遮られてしまった。ひどく寝違えたときのような激しい筋肉の痛み。もちろん、むき出しのフローリングに寝転がっていた、という理由だけではないだろう。
痛みが引くまでもう少しこのままでいるか、と深くため息をついた。ついでに手探りで周りの床を確認してみると、見事なまでに物が散らかってくれているようだ。
また別の意味でため息が出てしまう。
「……それにしても、静かだな……」
部屋の中と同じく、外からも騒がしい声は聞こえて来ない。多分、そこまでの大事には至らなかったのだろうと圭介は考えた。
もっとも、他の県や別の地域ではどうなっているかまではわからないが。
もしかすると
そんな風に思いを巡らせていると、やがて目も暗闇に慣れてきた。首を横にすれば部屋の隅まで視界が開けている。
あれこれ考えても仕方がない。状況を含め、実際に何が起きたのかはどうせすぐにわかるのだから。
まだ若干痛みが残る身体を押して、圭介はよろよろと立ち上がった。そのまま壁際にある部屋の電気のスイッチを入れようとしたが、しかしすぐに、気を失う前まで部屋の明かりが点いていたことを思い出す。
もしや、とスイッチを押してみれば、やはり乾いた音がするばかりで電気が点く気配は一向になかった。
「……マジかよ。ブレーカーって」
確か、一階の洗面台に設置されていたはずだ。
圭介は面倒だなと思いながらも自室を後にした。
部屋の外は、思いのほか明るかった。
階段の踊り場にある天窓から月明かりが差し込んでいたからだ。
それも、強く、光が階下までをも照らし出している。
そういえばここ最近、当たり前のように空に浮かぶ月を特別意識することなんてなかった。都会に住んでいるということもあり、夜であろうと目線には嫌でも光が溢れてくるのだ。
だからことさら空を見上げ、月の輝きを眺めるなど、いつの頃からか全くしなくなっていた。
月、か――。
階段を下りながら圭介は、ふと、急に、外に出てみようかと考えた。
なにも全身に注がれる青白い光の光原を確かめに行こうというのではない。外はどうなっているのか、自分の家以外の近隣の建物が等しく灯りを失っているのかを単純に知りたかったのだ。
ひょっとすると、街全体で電気の復旧作業が必要な事態に陥っているのかもしれない。
隣や向かいの家、マンション、はたまた通りの端に構えるコンビニの灯りも全て消えているとすれば、ブレーカーを上げても意味はないだろう。
そう思い、圭介は予定を変更して玄関の方へ向かったのであった。
♦ ♦ ♦
すっかり変わり果ててしまった周囲の光景を目の当たりにして、先ほどから圭介は頭を振り、何度も目をこすってはもう一度何かが変わるのを期待していた。
しかしそんな圭介の想いもむなしく、この悪夢のような状況が変わる気配は全くと言っていいほどない。巡る思考と重なり合うかのように、家の周りをぐるりと木が取り囲んで辺りを覆いつくしているのだ。
まるで森の中にいるとしか思えない光景。
唯一変化があるとすれば、落ち着きを取り戻しつつあった頭に夜鳥や虫の鳴き声が響いてくることと、少しだけ目尻に、いつの間にか涙を溜めているのに気付いたことくらいだ。
どうやら夢ではないらしい。ただ、どうしても信じられなかった。
この場合、認めたくなかったと言うほうが正しいのかもしれないが。
しかし、ごしごしと再び目をこすった後、圭介は、もう一つのとある変化に気付く。
視界の片隅で、なにやら動く影を捉えたのだ。
自然、追うように視線を向け、「それ」を目にした瞬間。
圭介の心臓は止まりそうになった。
「…………!」
驚きが声となって出たかどうかはわからない。
背中を駆け上がる悪寒が、言葉より先に口に着いたのかも。
しかし、先ほどまでとは異なる種類の恐怖を圭介が感じたことに間違いはなかった。
なぜなら圭介の視線の先――普段は自転車を止めていたはずの家の壁際の隅に人が隠れているのだ。
そして目が合う。
暗闇の向こうで、何者かが顔を半分覗かせ、じっとこちらの様子をうかがっていた。
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