第77話

「歩人、起きろ」


 その声と共に軽く頬を叩かれた歩人は目を開けるが、部屋の中はまだ暗く、目が慣れるにつれレスティナが目の前に立っているのが分かった。


「どうしたの、トイレ?」


「バカ、違う」


 歩人が時計を見ると時刻は午前1時40分という時間であった。欠伸を堪えながらレスティナを見ると、彼女は怖い位に真剣な表情を見せる。


「どうしたの?」


「敵だ」


「敵?」


 その言葉で一気に目が覚めた歩人は、外の様子を見ようと窓に向かおうとするが、レスティナにパジャマの袖口を掴まれ制止される。


「下手に顔を出すと危ないぞ」


「でも、どうして分かったの?」


「この気配、戦場にいれば何度となく感じるものだからな」


 その時ドアをノックする音が室内に響き、歩人は思わず飛び上がりそうになる。


「姫様」


 ドアを開けて入って来たのはオルハンで、やはりその表情から事の重大さが理解出来るものであった。


「どう見る?」


「敵は家の前に集結しておりますな。隣家と塀のおかげで包囲は免れましたが、それは我らの退路が無いのと同じ事」


「そうか」


 オルハンの言葉に、レスティナは慌てる事無く冷静さを保っていた。


「今となってはオルハン、お前だけが頼りだ」


「御意」


 オルハンはそう言ってレスティナに一礼すると、そのまま部屋を後にした。


「歩人、杏奈やクロエが心配だ」


「わ、分かった」


 歩人はレスティナを抱え上げると1階に移動するが、途中の廊下でオルハンとクロエが揉めている場面に出くわす。


「何をしておる!」


 レスティナは思わず声を荒げるが、それによってオルハンとの口論を止めたクロエは、思いつめた表情をレスティナに向ける。


「わたくしも出ます」


「その身体でか?」


 レスティナはクロエに対して無表情かつ冷たい口調で告げる。今までの2人には考えられなかった光景に、歩人は思わず息を呑んだ。


「大丈夫です」


「駄目だ、今のお前ではオルハンの足を引っ張るだけだ」


「しかし」


「思い上がるなクロエ、これは命令だ」


 その言葉に、クロエはうつむいた。


「そんな言い方しなくても」


「良いのです歩人様、姫様の言うとおりですから」


「クロエさん」


「どうしたの、みんな」


 その声に皆の視線が一方へ集中するが、その先には杏奈が立っていた。


「母さん」


「大変な事が起きているみたいね」


「騒がして申し訳ない」


「良いのよ、それでどういう状況なの?」


「家の前に敵が集まっている」


「だったら警察を呼んではどうかしら?」


 歩人は杏奈のアイデアを良いものと思い、電話に向かおうとしたが、その前にオルハンが口を開く。


「お言葉ですが、敵に居場所を知られてしまった以上、仮に今夜をしのいだとしても、明日も明後日も奴等はやって来ますし、特に杏奈様や歩人殿が1人になった時の事を考えれば、早めに潰しておくのが得策と存じます」


「オルハンの言う通りです」


 オルハンの言葉をクロエが肯定すると、杏奈の表情は困惑したものに変わる。


「それなら、みんなで他に泊まって」


「奴等はどういう手を使っても、我々の居場所を嗅ぎつけるだろう」


 レスティナの口調はやはり冷たいものであった。

 

「それだけ奴等は追い詰められて必死だ。この間の歩人がやられた件でも容易に想像出来るはずだ」


「じゃあ」


「あなたが優しいのは知っている。でも、こればかりはそれだけで解決は出来ない」


 その言葉に杏奈は口をつぐんだ。


「オルハン頼んだぞ」


 オルハンは無言で頷くと、玄関へ向かう。


「皆は歩人の部屋へ、歩人はクロエに肩を貸してやってくれ」


 歩人はレスティナを杏奈に渡すと、クロエに肩を貸し、ゆっくり2階へ上がって行った。

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