第22話 雪解け

18年間の人生が意味の無い物になってしまった様な気がする。

木々には若葉が茂る季節になっていた。

枯れ木だったのに今は色鮮やかな生まれたての緑に包まれている。

真っ白な教会の建物とのコントラストが見る者を惹きつける。

だけど今日の空はあいにくの曇天。

それは多分、雨女の私の所為。




オルコに連れられて教会のドアに手を掛けて重厚な木のドアを開けるとそこにはそれほど広くは無いが吹き抜けの空間が広がっていた。

中に入るまでは判らなかったけれど天井はドーム型になっていて。

質素と言うか素朴な感じのする木製の長椅子が真ん中の通路を挟むようにして並んでいる。

両側の壁には青や紫を基調とした大きなステンドグラスがありマリア様が優しく微笑みかけている。

祭壇の方に目を向けると鼓動が跳ね上がり何かに弾かれたように全身の毛が逆立った。



全く気配を感じられなかった。

スレンダーな体に真っ黒なスーツを纏った竜ヶ崎霧華が祭壇を背にしながら腕を組んで、全ての物を貫き通すかの様な冷たい視線で真っ直ぐに私を見据えていた。


「鳳条さん、お久しぶりね」


事もあろうか未だに私を生徒扱いしている。

心が乱れる、ここで飲み込まれてしまう訳にいかない。

そんな私の事など感知せず竜ヶ崎霧華は話を続けた。


「あなたと話がしたくって呼び出したの」


「やはりあなただったんですね」


「そうよ。オルコは私に使役する者だもの」


「私にはあなたと話す事など一切ありません」


「そう? 晴海についての話は聞きたいでしょ」


彼の名前を出され思わず心が大きく揺れてしまう。

信用は出来ないけど竜ヶ崎霧華からは殺気が全く感じられず話を聞いてからでもとなんとか怒りを押し殺した。

時間はいくらでもあるのだから。


私が返事をしないうちに彼女は勝手に口を開いた。


「晴海には不思議な力があるの。それは裏でも闇の力でもなく生まれ持った物なのかもしれない。それに気づいた晴海はその力を使って面白おかしく生きてきた。でも晴海の不思議な力に気づいた少女が居た。その少女に出会ってから晴海は変ったの」


「その少女って」


「そう、あなたも知っている東雲君の幼馴染の雪宮月音よ。本当に毎日が輝いて楽しそうだった。でもあの日、歯車が大きく外れてしまった。そして晴海は自分の不思議な力を呪ったの。でも見えてしまうのね」


「それってやはり予知って事ですか?」


「やはり? 誰からか聞いたことがあるようね。第六感が鋭いと言えば良いかしら。予知と言っても差し支えないものかもね。ほんの僅か先の事が100%判ってしまう。数分から次の瞬間まで。だから人を思った通りに動かす事も出来てしまうし、その人に目の前に迫る危機があれば回避させる事も出来る」


「でも、救えなかった」


「そう。だからこそ同じ事を2度と繰り返したくなかった」


竜ヶ崎霧華の言葉に引っ掛かるものがある。

同じ事? 

繰り返したくない?


「私には言っている意味が判りません」


「そうかしら、あなたの父親のカンパニーは晴海を消すことに加担して大口の融資を受けて表の世界で躍進しようとしている。失った対価は娘の信頼。まぁ、あなたの命を守るために半分脅されてというところかしらね。そして私は菜露と暮らす為にこうして日本に帰って来られた。お互いに失った物は大きいけど痛み分けよ」


「痛み分け? あなたは何を失ったというの?」


「私が失ったのは祖国と仕える者。そしてあなたは命を救われ、対価として大切なものを失い心に大きな傷を負った」


「それじゃハル君は何を失ったの? 全て失ってしまったじゃない」


「そうね、一番辛いのはあいつかもね」


そんな事を軽々しく言う、手を下した張本人の竜ヶ崎霧華の言葉に血が滾る。


呼吸が荒々しくなり。

どす黒い物が心の奥底から一気に体を突き抜けた。

体が闇と光の間を不安定に行き来している。

形振り構わずに一気に間合いを詰めた。


「貴様が! ハルを!」


紅椿の切っ先が一直線に竜ヶ崎霧華の顔を貫く。

激しい金属音がして微動だにしていない竜ヶ崎の黒髪が数本だけ舞い散った。


「麟堂 霞! 邪魔するな!」


「相変わらず直情的で直線的な攻撃だな。無茶をするな。心も刀もか」


不意に現れた人狼の姿になっている麟堂 霞の右腕には大きなサバイバルナイフが握られ。

紅椿は脆くも切っ先から3分の1の所で折れていた。


「何故、犬がここに居る?」


「いい加減にしろ。そんな状態でこの女に勝てると思っているのか。俺は晴海の匂いを追っていたらここに辿り着いたんだ」


「そんな筈無いじゃない。ハル君はもう……」


枯れ果てた涙が再び溢れ出し全身から力が抜けその場に崩れ落ちた。

すると鳴るはずの無い鐘の音が聞こえてくる。


「どうして鐘が?」


私と霞がドーム型の天井を見上げると鐘の音が聖堂にも響いている。

そして重厚な木のドアが開く音がした。




「遅い! 女の髪の対価は命に等しいのだぞ」


「そんなものこのカメオでチャラだ」


ドア越しに立つ男が竜ヶ崎先生に向けて何かを投げ、先生は難なく片手で掴んだ。

それは綺麗な女の人の肖像が浮き彫りにされたカメオの付いたネックレスだった。


「アリア様のカメオ……」


「お前が持っていた方が良いだろ。それと俺のスマートフォンを返せ、無いと何かと困る」


「アソシエーションはどうなった」


「ギャーギャー喚き散らす爺達の目の前でディオの肖像を粉々に砕き散らしてやったら大人しくなったよ」


「馬鹿が無茶苦茶をしやがって」


「黙らす為にやれと言ったのは霧華だろ」


有り得ない鐘の音に有り得ない人の声がする。

私の目の前で消えてしまったこの世で一番大切だった人の声が聞こえる。

それなのに私には何も言ってくれず、見てもくれない……そして。


「じゃな」


そう一言だけ告げると私に見向きもせずに踵を返した。

落ちている折れた紅椿を持ち、振り返ると同時に低い姿勢から有らん限りの力で足を蹴り出した。

一瞬にして男の背後から喉元に折れた刀を突きつけた。


「久しぶり。美雨先輩かな? それともミウかな?」


「ふざけるな!」


「好きにしろ。その前にこれを返しておく」


男がポケットから取り出し手にしていたのは金色で月の形をしたロケットペンダントだった。

それはママの写真が入っているロケットだった。


「先輩を騙し悲しませた対価は計り知れない。覚悟はとうに出来ている、煮るなり焼くなり好きにしろ」


今、どんな顔をしているの?

その瞳には何が?

竜ヶ崎先生の言葉が頭を過ぎる。

『同じ過ちを繰り返したくない』

それは愛する人を2度と失いたくないと言う事。

『一番辛いのはあいつか』

愛する人を偽り悲しませて一番辛いのは……


涙と共に折れた刀が落ち。

凍り付いていた心が融解し始め。

あの時と同じように彼の背中に頭を付けた。


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