第34話 〇ニスの王子様

 そして昼食……クラブハウスのカフェ。


「死ぬ……」

「だらしが無い」

「藤堂は良いよな。楽しそうで」

「楽しいだろ」

「楽しくないわ!」


 こうなるであろう予測はしていたものの、流石に現実となると凹んでいた。

 食事を済ませてテーブルに突っ伏す。


「珈琲でも飲もうかしら」

「私はアイスティーが良いかなぁ」


 人を扱きまくった双葉さんと御手洗さんは俺を横目に見ながら素知らぬ顔をしていた。


「それじゃ、私はホットアップルパイのセットで紅茶が良い」

「疲れたからアイスクリームのバニラ」

「子どもか野神は」

「うるさい、それじゃウイスキーボトルで」

「あるかそんなものが」

「じゃあ、バニラアイス」


 そんな馬鹿な事を言っていると注文した食後のドリンクが運ばれてきて。

 一ノ瀬さんの焼きたてのアップルパイの香りが立ち込めていた。


「本当に凛子は甘い物が好きね」

「凛子さん太りますよ」


 双葉さんと御手洗さんの忠告にもどこ吹く風だった。


「私、食べても太らないから」

「「それは喧嘩を売っているのかしら?」」


 2人の声が揃った。


「野神、アイスが溶けるぞ」

「うんにゃ、こうする」


 一ノ瀬さんのホットアップルパイの横にアイスを乗せた。


「うふふ、ありがとう。美味しいよね。はい、あ~ん」

「はぐ」


 テーブルに突っ伏したまま口を開けると一ノ瀬さんがスプーンで口の中に運んでくれた。


「あの……見ているこっちが恥ずかしいんだけど」

「まぁ、大目に見てあげましょう。今日は」


 双葉さんの言葉が正解だった。せっかくの週末に何が楽しくてやりたくもないテニスなんかせにゃいかんのか……



 そんな事をしているとこんな日に限って一番聞きたくない声が聞こえてきた。


「おや、藍花商事の秘書課の面々じゃないですか」


 声の主は、住倉の営業部のエース『王子様』こと中原真治だった。


「うへぇ~」


 思わず顔を背けた。


「おや、藍花の営業部1課の藤堂君とおまけの人」

「なんだ、おまけに負けた中原王子様じゃないですか」


 爽やかな笑顔でさらっと嫌味な事を言われ。

 テーブルに突っ伏したまま嫌味を言い返すと中原の顔が引き攣っているのが判った。

 顔を上げると中原の後ろに住倉の秘書課の女の人が3名立っていた。


「ああ、もしかして。中原さんを三球三振にとってホームスチールを決めた人って」

「こいつですよ。営業成績は程ほど、運動神経はそこそこ。でもいざと言う時は頼りになる野神です」


 藤堂が嫌な紹介をすると住倉の秘書課の3名がキャッキャッと飛び跳ねて喜んでいる。

 ますます中原の顔が引き攣り始めた。

 火に油を注いでどうする、標的にされるのは俺なんだぞ。

 そんな事を考えていると中原が口を開いた。


「どうですか、午後はご一緒に試合でも」

「うんにゃ、嫌……」

「ええ。是非」


 双葉さんの即答に椅子から崩れ落ちそうになり。

 住倉の方々が食事を終えるまで待つ事になってしまった。


「なんで、〇ニスの王子様と試合をしなきゃならんのだ? 藤堂」

「野神、変なところを〇するな」

「にゃんで?」

「タ行なら良いが……」

「中原はある意味、パ行だろ」

「パ行言うな」


 藤堂に頭を小突かれた。


「野神君も下ネタなんて言うんだ」

「今日はそんな気分なんです」

「そんな顔をしていると凛子に嫌われるわよ」

「凛子さんを餌に釣られたのは俺ですから」

「そんなにテニスが嫌なの?」

「はい! ウィンブルドンを目指せとか言われて散々扱かれましたから。扱かれたと言うよりおもちゃ扱いですね。今日みたいに」


 双葉さんが溜息をつき頬杖をついて俺の顔を冷たい視線で見ている。


「楽しくは無いみたいね、野神君は。両腕に着けているリストバンドは伊達なの?」

「まぁ、しんどいですから。でも、女性には花を持たせるようにって教え込まれていますから。今日だって……」


 そこで住倉の面々から声がかかった。


「お待たせしました。行きましょうか」

「行ってらっしゃーい」

「野神も来るんだ」

「うにゃ~」




 藤堂に首根っこを掴まれて猫以下のぞんざいな扱われ方でテニスコートまで拉致られた。

 テニスコートのベンチに体を投げ出して藍花VS住倉の秘書課対決を眺めていた。


「皆、上手いな」

「んん、そうだな。一ノ瀬さんも中々やるじゃん」


 かなり慌てん坊でドジな面があるので運動が苦手なのかと思っていたが結構上手くラリーを続けている。

 双葉さんは優雅と言うか可憐と言うかそれでいて上手かった。

 そして御手洗さんはアグレッシブなテニスだった。


 しばらくすると中原が一ノ瀬さんと何かを話していて。

 そして一ノ瀬さんが俺の方に真っ直ぐに走り寄ってきた。


「瑞貴君、一緒にダブルスをして」

「へぇ? だぶるすぅ~?」

「うん、中原さんに試合を申し込まれたんだけど、ダブルスなら良いですって言っちゃったの」

「うはぁ、マジデスカ……」


 無下に断るわけにもいかず渋々、コートに向う。

 ワンセットマッチつまり6ゲーム取った方が勝ちになる。


「ってマジですか? 6ゲーム先取って……」

「うぅ、ゴメンね」

「いや、一ノ瀬さんが悪い訳じゃないけど」

「う、一ノ瀬さんなんだ」

「あの……睨まれているんですけど」


 中原にガンガンに睨みつけられている。

 さすが〇ニスの王子様……

 主審は双葉さんがすることになった。

 因みに今日も眼鏡をかけてキャップを深く被っていた。


 試合が始まってしまう。

 最初の内はお互い様子見と言う感じでラリーを続けている。そしてお互いに3ゲームを取っていた。


「暑っちぃ、それにしんどい。午前中の扱きが効いている……」

「大丈夫?」

「なんも、なんも。別に負けたって良いからね」

「ええ、勝ちたいよ」

「はにゃ? 勝ちに行くの? あれに? いや、今日くらいは花を持たせてあげようよ」

「もう、瑞貴君がそう言うなら良いけどさぁ」


 あちゃぁ、言っちゃった。態々、俺が苗字で呼んでいるのに……

 王子様を見るとピクピクと引き攣りながら聞き耳を立てている、その仮面の様な顔の下は苦虫を噛み潰しているのだろう。


「一ノ瀬さん、あれ」

「あっ……ごめん」


 一ノ瀬さんに小声で王子様を見るように言うと黒いオーラに気付いた様だった。




 軽く水分を取り後半戦とも言えるゲームを開始するが、完璧に王子様の照準が俺にロックオンされていた。

 そしてフォアサイドに居た一ノ瀬さんの少し前にボールが落ちて、慌てた一ノ瀬さんが辛うじて掬い上げた。

 ボールがヒョロヒョロと王子様の頭上に舞い上がると王子様がニヤリと笑って目が光った。

 完全にロックオンされていた。


 スパーーン!

 硬式ボールが唸りを上げながら俺の顔面目掛けてぶっ飛んできて。

 後ろに弾き飛ばされて被っていたキャップが吹き飛んだ。


「瑞貴君!」

「野神!」


 尻餅を着いた所に一ノ瀬さんが駆け寄ってきた。


「だ、大丈夫なの?」

「はにゃ? なんも。ちょっと驚いただけ」

「驚いただけって……」

「2度は同じ手は喰わないですよ」

「はぁ~ 野球の時と同じだったから……あれ? ボールは?」


 王子様の顔を見上げると舌打ちが聞こえてきて、ボールが王子様の頭の上に落ちた。


「信じられない……」


 審判台に居る双葉さんの声だった。


「すいませんでした。ボールしか見てなかったんで」

「いえ、一応試合ですからね」


 王子様が白々しく言ってきたので社交辞令を返しておいた。


「なんで、あんな事を言うの?」

「スポーツだからね」

「スポーツなら何をしても良いの?」

「うんにゃ、そんな事は無いけど怪我して無いんだから一ノ瀬さんが……」


 そこで一ノ瀬さんの手が俺の口を塞いだ。


「まだ、一ノ瀬さんって言うんだ」

「ゴメン、凛子さんが気にする事じゃないから」


 その時、気付くべきだった。

 俺が凛子さんを守りたい様に凛子さんも俺を守りたいと思っている事に。



 その後、お互いに1ゲームを取って王子様のサービス。

 流石に長丁場はきつくなってきた。

 ラリーを続け40―30になり王子のサーブを何とか返す。

 すると王子様が俺の前にドロップボレーを落とした。


「クソ! 届け!」


 走りこんでラケットを辛うじてボールの下に入れ掬い上げる。

 ヒョロヒョロとボールが上がり。

 そこに王子様が走りこんできてラケットを振り上げる。

 駄目だ、今度は避けられない。

 前傾姿勢になり頭から突っ込んだ俺は格好の標的になった。

 硬式テニスのボールが王子のラケットに叩きつけられる音がする。


 避けられないと思い身構えるとラケットがコートに落ちる音がした。

 ……カランカラン……カラン?


「痛い……」


 前のめりに倒れて頭を上げるとラケットが俺の横に落ちて一ノ瀬さんが尻餅を着いていた。


「凛子さん?」


 俺の前に飛び出してボールを受けようとしたらしい。


「な、なんて事をするんですか?」

「わ、私は瑞貴君のパートナーでしょ!」

「怪我は無いですか?」

「少し手首を捻っただけだから」


 念の為にベンチに行きコールドスプレーを一ノ瀬さんの手首にかける。


「本当に大丈夫なの? 凛子」

「もう、双葉さんまで。私はそんなに運動音痴じゃありません」

「凛子さん、ここは……」

「嫌だ! 絶対に棄権なんかしない!」

「でも、これは遊びなんだからね」


 一ノ瀬さんが俺の顔を真っ直ぐに睨み付けた。


「本当に凛子さんは変なところで頑固ですよね」

「御手洗さん、止めてくださいよ」

「のっち、無理ね。こうなった凛子さんは誰も止められないわよ」

「はぁ~ 凛子さんがこんなに頑固だなんて知らなかった……」


 すると藤堂が俺にシューズケースを投げつけた。


「ウダウダ言って無いで売られた喧嘩は倍返しにして来い!」

「もう、一弥。お前まで」

「これ以上、ミス侍の綺麗な顔に傷が付いたらどうするんだ」

「はぁ? 顔に傷?」


 一ノ瀬さんの頬を見ると確かに少し赤くなり擦り剥けた様になっていた。


「凛子さん、その傷は」

「ラケットがぶつかったの。瑞貴君の責任じゃないからね」

「勝てば良いんですね」

「う、うん。瑞貴君?」


 俺が少し投げやりに言うと一ノ瀬さんが俺の顔を覗き込んだ。

 リストバンドを外して藤堂が投げたシューズケースに入っていたシューズに履き替える。


「それじゃ、やりますか」

「瑞貴君、怒っているの?」

「怒っていますよ。自分自身に、滅茶苦茶ね」


 コートに戻ると王子様がホッとしたような顔をした。誰の所為だと思っているんだ? 

 パ行の王子様は。


 ゲームカウントは5―4で負けている2ゲーム取らないと勝てない。

 そしてサーブは俺の順番だった。


「野神、冷静になれ」

「うんにゃ、嫌だ。こうなったらタ行の王子様になってやる」




 私の後ろでトントンとボールをバウンドさせている音がする。

 瑞貴君が本気になっていた。

 野球で怪我をした時、それに沖縄の基地でトラブルに巻き込まれた時と同じ顔。

 普段は見せない裏の顔なのかな? 

 時々怖くなる時があるけれど、瑞貴君が本気になる時は決まって私を守ろうとする時。

 嬉しいけれど、凄く心配。

 無理はしないで……


「はっ!」


 瑞貴君の気合の入った声が聞こえた瞬間。

 レーザービームみたいに中原さんの足元にボールが突き刺さった。

 す、凄いサーブ……

 相手コートを見ると信じられないと言う顔をしていた。


「ふ、フィフティーン ラブ」


 双葉さんの驚いた様なカウントが聞こえてきた。

 トントンとボールをバウンドさせる音だけが聞こえる。


「はっ!」


 瑞貴君の声が聞こえる。

 バウンドしたボールが今度はフォアハンドで構える中原さんの顔目掛けて飛び跳ねた。


「な、なんなんだ?」


 中原さんが尻餅を着いて驚いて声を上げた。


「ツイストサーブ?」

「サーティ ラブ」


 双葉さんの声に続いて瑞貴君が低い声でカウントした。


「み、瑞貴君……」

「何ですか? 凛子さん。大丈夫ですよ、これはスポーツですよ」


 瑞貴君は笑っているけど口角が上がっているだけで背中に真っ黒い物が見えた。

 次のサーブは普通のサーブだった。

 中原さんが難なく返すと瑞貴君が走りこんできて右足でジャンプしてバックハンドでラケットを振り抜く。

 瑞貴君が打った球は中原さんのラケットを吹き飛ばした。


「じゃ、ジャックナイフ?」

「フォーティ ラブ」


 驚いている中原さんの声の後を瑞貴君の低い声のカウントが続く。

 最後のサーブもレーザービームみたいなサーブだった。

 最終ゲームも瑞貴君の独壇場だった。

 どこにこんなパワーを秘めているんだろう。

 スプリットステップにライジングショット……

 殆ど私が出る幕は無かった。


「凛子さん、スマッシュ!」

「へぇ?」


 瑞貴君の声に我に返りボールを見ると私の上に舞い上がっている。


「わぁ! へぇ?」


 慌ててラケットに何とかボールを当てる事しか出来なかった。


「ゲームセット ウォン バイ 野神、一ノ瀬 6ゲーム トゥ5」


 双葉さんのコールでワンセットマッチが終わった。


「キャー、な、何するの? 瑞貴君?」

「暴れない!」

「は、はい……」


 相手チームとの挨拶もそこそこに私は瑞貴君にお姫様抱っこをされてベンチに座らされた。


「どうしたの? のっち?」

「御手洗さん。どうもこうも無いです」

「何を怒っているの?」


 瑞貴君が私のシューズを脱がせて靴下を剥ぎ取った。


「あ、うぅ……」

「…………」

「ゴメンなさい」


 私がうな垂れると瑞貴君が腫れている足首にクーラーボックスに入っていた氷をタオルに包んで患部をアイシングしてくれている。


「野神君、いつ気付いたの?」

「違和感を覚えたのは、ゲームを再開して直ぐです」

「本当に凛子は。でも野神君も大概よね、最初に狙われたスマッシュをグリップエンドで返すなんて」

「あれは、まぐれです。偶然ですよ」

「本当に猫を被るのね」

「うにゃ~」

「殴って良い?」

「すいません……双葉さん」





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