第17話 ビーチ




昼食は良く冷えた素麺だった。

バランスも考えられていて豚シャブのサラダ付きでノンオイルの胡麻ドレッシングとピリ辛の中華風ドレッシングが用意されていた。

1年の私が主役に抜擢だなんてあまりにも衝撃的で今は考えも及ばない状態で考えるのを止めてしまっていた。

食堂ではマコお姉ちゃん達が配膳してくれている。

「マコお姉ちゃん。パパは?」

「どうかなさいましたか? 美奈様は元気が無いように見えますけど。優様は海に行かれましたよ。私、優様に我が侭を言って一緒に散歩に付き合って頂いちゃいました」

「お散歩?」

「はい、優様はなんと言えば良いのでしょう私の理想の父親ですから。優しくって大きくって包み込んでくれるそんなお方です」

「そっか、それじゃパパになってもらえば良いじゃん」

「ええ、それは出来ません」

「私がお願いしてみるね。パパが良いって言えばマコお姉ちゃんは良いんだよね」

「は、はい。それは優様がそれで良いとおっしゃるのなら、私は一向に構いませんが」

マコお姉ちゃんが赤くなってモジモジしている。

そんなマコお姉ちゃんを始めて見て、オバちゃん達が言おうとしていた事が少しだけ判った気がした。

恩義を感じて今まで一生懸命に仕事に打ち込んで来たのだろう。

パパの話ではこの保養所はあまり使われていない、そんな使われていない施設なのに埃一つ無いくらいに目が行き届いている。

だからこそパパは毎年でも合宿に使ってくださいと言ったんだと思う。

パパはちゃんとマコお姉ちゃんを認めている証拠だし、マコお姉ちゃんが恩義なんて重苦しいモノを背負って行く事を良しとは思わない筈だから。

昼食を食べ終わると私は直ぐに麻美に声をかけた。

「麻美、泳ぎに行こう!」

「へぇ? 立ち直り早!」

「早く行くよ」


水着に着替えて夏空が広がるプライベートビーチの様な砂浜に飛び出した。

ビーチを見るとパラソルが一本立っていて、パラソルの下でサマーベッドに座って海の方を見ているパパの姿が見えた。

「パパ!」

「美奈、待ってよ」

麻美と繋いでいた手を離して駆け出すと麻美が慌てて追い掛けてきた。

パラソルの下まで来てパパの顔を見ると海の方にいる先輩や同級生の水着姿を見ているようにしか見えなかった。

「パパ? 何をしているの?」

「ん? 目の保養かな」

「はぇ?」

思わず変な声を上げてしまう。

いつものパパからとんでもない事を聞かされたような気がしてもう一度聞いてみた。

「パパ、何をしているの?」

「ん? 目の保養だよ」

「…………」

聞き間違いじゃ無いみたい。なんだか判らないけど心の底から沸々と湧き上がってくる。

思わず、羽織っていたシャツを脱ぎ捨ててパパの目の前に仁王立ちになりパパの視線を遮断する。

私が着けている水着はパパのお勧めのシンプルな花柄のビキニだった。

「ミーナ、そんな所に立ったら見えなでしょ」

「そんなに見たいのなら私の水着姿を見れば良いでしょ!」

「どうして? 僕はミーナの一糸まとわぬ姿を何度も見た事があるんだよ」

「そ、それは赤ちゃんの頃でしょ」

「ええ、一緒にお風呂に入ってたのが……」

「駄目! どうしてそんな恥ずかしい事を友達の目の前で言うの? パパなんか……?」

大声で叫ぼうとして麻美を見るとお腹を抱えながら爆笑モードになっている。

語尾が尻すぼみになってしまった。

「酷いよ、麻美まで」

「ああ、苦しい。だってここのビーチってプライベートビーチみたいで監視員なんていないじゃん。それに大人の人も。ね、パパさん」

そこまで麻美に言われて気が付いた。

パパは昼食をオバちゃん達に任せて誰が泳ぎに来ても良い様に安全の事を考えてビーチに来ていたんだ。

でも、麻美が気付いて私がパパの行動に気付けないって……何だか凹むなぁ。

「それじゃ、パパは監視してたんだね。危険が無いように」

「ん? やっぱり保養かな? ここの海は遠浅だからね」

「それじゃ、一緒に泳ごうよ」

「ん? ここで座って」

「それは却下、自由時間はパパと一緒に居て良いんでしょ。せっかく海に来たんだから泳ぐの」

「しょうがないな、ミーナは」

そう言いながらパパは立ち上がって私の頭をクシャっと撫でてくれた。

パパはハイビスカス柄のサーフパンツを穿いている、筋肉質で凄く締まった体つきをしているのを不思議に思った。

だって、前まではもう少し柔らかそうな体つきだった記憶があるって変な意味じゃないよ。

ちょっとだけ恥ずかしくなってパラソルの方を見ると麻美はパラソルの下で座ったままだった。

「麻美、泳ごうよ」

「ちょっとだけ休憩しとく。食べ過ぎちゃった」

「もう」

仕方なくパパの腕を掴むといつの間に来たのかパラソルの下で尚先輩と麻美が何かを話しているのが見えた。


「あれじゃ、まるで恋人同士ね。あなたの言っていったとおり親子には見えないわね。それにお父様は普段はむしろ老けて見えるように心掛けている気がするのだけど」

「流石、部長ですね。パパさんは若いのに敢えて年上に見せようとしているんです。美奈と親子である為に」

「大久保さんは妙な言い方をするわね」

「白銀部長、ここだけの話ですよ。美奈とパパさんは血の繋がりが無くって、パパさんは19歳の頃から美奈のことを独りで育ててきたんです。美奈はそれを高校に上がる前に知ってギクシャクしていたのがやっと元通りになって。それでもお互いに意識しているんだと思いますよ、親子でいる為に」

「それじゃ、あなたはどうなの?」

「えへへ、私もパパさんの事は大好きですよ。私は父の顔も存在も知らないで生まれてきましたから。そんな私にもパパさんは凄く優しく接してくれますから」

「でも私はあの神楽坂さんには凄く黒い闇の様なモノを感じるんだけど」

「そうかもしれませんね。パパさんは誰にでも優しいですし。心に傷を持っていたり、闇を抱えている人に対しては特にです。それはパパさんが痛みを知っているからだと思うんです。パパさんの優しさの裏に何があろうと私は美奈とパパさんを信じますから」

「それがたとえ悪でも?」

「悪や正義なんて立ち位置の差じゃないんですか? 例えばある企業が大規模な開発をしようとしている。そんな企業に牙を向く人は企業から見れば悪かもしれない、でも開発されてしまう地域住民からしてみれば企業に牙を向く人は正義なんですよ」

「あなたは本当に高校生なの?」

「うふふ、尚先輩には言われたくないです」

「お互い様なのね」


「なんで、眼鏡を掛けて来るかなぁ。コンタクトにすれば良いのに」

「そうかな、眼鏡を掛けていると頭良さそうに見えるからかな」

「変なの」

ここのビーチは波が凄く静かで遠浅だったと思う、子どもの頃の記憶だからちょっと曖昧かもしれないけれど今日は少しだけ波がある様な気がした。

それでも他の海水浴場に比べれば静かな方なんだけど。

私がパパの手を引っ張りながら波打ち際に行くと同級生で一卵性双生児の山吹姉妹が居た。

2人は色違いのフリルが付いた水玉のお揃いのワンピースタイプの水着を着て大きな浮き輪につかまって遊んでいた。

「うわぁ、美奈ちゃんのパパだ」

「パパ、同級生の山吹さんだよ。声を掛けてくれたのがお姉ちゃんの瞳ちゃんでお姉ちゃんの後ろに隠れているのが妹の愛ちゃんだよ」

「はじめましてかな? 食堂で何度か会っているかな」

「はい」

瞳ちゃんと愛ちゃんは演劇部に入って最初に仲良くなった友達なんだ。

姉の瞳ちゃんは物怖じしない性格で妹の愛ちゃんは引っ込み思案な性格なの、妹の性格を少しでも直そうと瞳ちゃんが半ば強引に愛ちゃんを連れて演劇部に入部したんだって。

2人とも小柄でぱっと見たら高校生には見えないんだけど、天然パーマのクリンクリンのセミロングの髪の毛でまるで天使みたいに可愛いの。

でも2人の性格は正反対なんだよね。

「瞳、あっちに行こう」

「もう、愛はしょうがないな。それじゃ後でね、美奈ちゃん」

「うん」

浮き輪の中にいる愛ちゃんが消えそうな声で言うと瞳ちゃんがパパにお辞儀をして、浮き輪に付いているロープを掴んで沖に向って歩き出した。

「可愛いでしょ。天使みたいで」

「そうだね、演劇部には色々な人が居て楽しそうだね」

「凄く、楽しいんだよ。先輩も後輩も無く友達みたいで……えい!」

「ははん、ミーナはそう言うことをするんだ」

私の話を聞いていたパパに向ってふざけて両手で海水を掛けるとパパは頭から水を垂らしながら仕返しをしようとする。

「あっかんべーだ」

「ミーナ、覚えてろ!」

「鬼さんこちら」

子どもの頃の様にパパと海の中で追いかけっこをする。

パパが本気を出せば直ぐに追いつかれて捕まってしまうけど、パパはそれをしないで追い掛けてきてくれる。

そんな少しの事が嬉しくてはしゃいでしまう自分が居る。

波打ち際に走り出したり、泳いで逃げ回ったりしていると時間を忘れてしまう。

「ミーナ、ギブアップ!」

「もうなの? だらしが無いなぁ」

「あのね、ミーナの方が若いんだから敵うわけ無いだろ」

「嘘つき、本気なんて出してないくせに」

「あはは、バレバレか」

パパは波打ち際で座り込んで後ろに手を着いて空を見上げている。

私もパパに釣られて空を見上げると大きくって真っ白な綿菓子みたいな雲が青い空をゆっくりと泳いでいた。

太陽の光りが眩しくって思わず額に手を置いた。

「綺麗だね」

「気持ち良いよね」


そんな事をしていると柏木先輩の声が響いた。

「おーい、戻って来い! そんなに遠くに行くな!」

「柏木先輩?」

私が振り向いて海を見ると沖の方に浮き輪が見える、それは瞳ちゃんと愛ちゃんが遊んでいた浮き輪だった。

すると、急にパパが立ち上がった。

「パパ?」

「ここの沖は少し潮の流れがあるんだ。戻れないのかもしれない」

「ええ!」

私が声を上げるとパパが眼鏡と何かを手渡した。

「ミーナ、持ってて。僕が連れ戻してくる」

「パパ、危ないよ」

「柏木君、白銀さんに連絡を」

「は、はい」

柏木先輩の返事も聞かずにパパは走り出して海に飛び込んでいく。

そしてまるでライフガードの様に顔を出しながらクロールで沖に向っている。

波間にパパの頭が見えたり消えたりを繰り返している。

心配で腰まで海に入ると後ろで尚先輩を呼ぶ柏木先輩の声がした。

パパがあっという間に瞳ちゃんと愛ちゃんの浮き輪にたどり着いて声を掛けているのが見てとれた。

2人も必死になって砂浜に向って泳いでいたのだろう。

そして浜に向ってパパが泳ぎ始めて少しすると3人の姿がはっきりと見えてきた。

ホッとしてパパが海に飛び込む前に私に渡した物を見ると、それはパパの眼鏡とパパが履いていたハイビスカス柄のサーフパンツだった。

「うわぁ、パパの海パンじゃん。それじゃ今は……」

慌てて顔を上げるとパパが浮き輪のロープを引きながら胸まで海に浸かって歩いているのが見える。

そしてやっと浅瀬に戻ってくると尚先輩が白いワンピースのまま海に駆け込んだ。

心配で仕方が無かったんだと思う、無事な2人の姿を見て尚先輩がもの凄く怖い声で瞳ちゃんと愛ちゃんを叱り飛ばそうとした。

「あれほど注意したのに、あなた達は!」

「ストップ! 白銀さん落ち着いて」

「これが落ち着いていられますか?」

「ストップ」

パパが荒々しい声を上げる尚先輩の目の前に人差し指を上に向けて突き出して優しく言いながら微笑み返した。

「白銀さん、怒っちゃ駄目だよ。瞳ちゃんと愛ちゃんは十分反省しているし自分達が一番悪かった事を理解しているから」

「神楽坂さんは甘過ぎます!」

「それじゃ、白銀さん。一番怖かったのは誰なの? 怒って良いのは聞き分けが無く反省が見られない時だけだよ。彼女たちは十二分に反省しているでしょ」

パパの言葉で尚先輩の怒りの矛先が大きな青空に吸い込まれていった瞬間だった。

尚先輩の顔には安堵と優しさが戻っている。

それを確認したパパはしゃがみ込んで、疲れ切って放心状態の瞳ちゃんと愛ちゃんの頭を撫でながら2人に優しく声を掛けると2人は感情が爆発したように泣き出してパパに抱きついた。

「もう、大丈夫だからね」

「「ゴメンなさい!」」

「ん、怖くない、怖くない」

2人に抱き付かれてパパは尻餅を付いてしまったけど、まるで小さな子どもをあやすみたいに2人を包み込む様に抱きしめている。

しばらくすると瞳ちゃんと愛ちゃんはまだしゃくり上げているけれど落ち着きを取り戻したようだった。

「柏木君、2人を頼めるかな? かなり体力を消耗しているからね、宿で体を温めて休ませてもらえるかな」

「は、はい」

パパに呼ばれて柏木先輩と尚先輩が瞳ちゃんと愛ちゃんをバスタオルで抱えるようにして合宿先の紫月に連れて行く。

騒ぎで集まっていた先輩や同級生も心配しながら後を追うように紫月に戻っていった。


「はぁ~良かった。何事も無くて」

「そうだね。久しぶりに全力で泳いだから疲れたよ」

そんな事を言いながらパパは砂浜に倒れ込むように仰向けで大の字になった。

「でも、パパの事を見直しちゃった。凄く泳ぐのが早いんだね」

「僕が生まれ育った島じゃ泳ぐくらいしか遊びが無かったからね」

「そうなんだ、でもこんな物を女の子に持たせるかな」

「ん? ああ、サーフパンツね。仕方が無いでしょ緊急事態だったの、サーフパンツは足に絡み付くから泳ぎにくいんだよ。もしかして裸だと思ったの?」

「馬鹿! 思うわけ無いでしょ」

ちょっとだけ脳裏を掠めた事をずばり言われて恥ずかしくなって声を荒げちゃった、パパは競泳用のハーフスパッツの黒い水着をサーフパンツの下に穿いていたの。

パパにサーフパンツと眼鏡を渡すと無造作に砂浜に放り投げた。

仕方なくパパの側にしゃがみ込んでサーフパンツを簡単に畳んでその上に眼鏡を置いてパパの顔を見る。

眼鏡をしていないパパの顔をみるのって始めてかも。

髪の毛は濡れてしまって自然に後ろに流れてて、疲れて目は閉じているけれど睫が意外と長くて。

いつもと別人の顔に見えて思わず顔を近くに寄せてマジマジとパパの顔を覗き込んだ。

すると、突然パパの瞳が開いた。

「うわぁ! み、ミーナは何をしているの?」

「ご、ゴメン。眼鏡をしてないパパの顔が珍しくって」

「もう、キスされちゃうのかと思ったよ」

「そんな事をパパにする訳ないでしょ」

慌てて顔を離すけれど心臓の鼓動があり得ないくらいにドキドキしてる。

眼鏡を外し髪が自然のままのパパの顔はとても若く見えて、予想以上に衝撃的だった。

何故か判らないけれど、銀髪のオッドアイの男の人の顔とパパの顔がオーバーラップする。

もう、私ってば何を考えているんだろう……

「あの、ミーナ。親子と言うより馬鹿ップルにしか見えないんですけど」

「うわぁ、い、何時からいたの?」

急に麻美の声がして驚いて尻餅を付きそうになっちゃった。

麻美はシンプルな青いストライプのタンキニの水着を着て私とパパの事を覗き込むようにしていた。

「酷い言われ方だな。私だって心配だったから部長達とずっと居たでしょ」

「ゴメン、気付かなかった」

「そりゃそうか、大好きなパパさんの身に何かあったら大変だもんね」

「もう、麻美は本気で怒るよ」

私は立ち上がって照れ隠しの為に腕を振り上げて麻美を追い掛ける。

麻美が私をからかいながら紫月に向って走って逃げて行くのを追い掛けた。

「さぁ、僕もシャワーでも浴びて一休みかな」


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