第15話 カレーライス


演劇部恒例の伝統行事の夏合宿が始まろうとしていた。

移動は前もって予約してあった大型観光バスだった。

まぁこのくらいは当たり前なのかもしれない。

私立の高校で演劇部は色々な賞を受賞していて、青城の演劇部はそれなりに有名なのだから部費だってそれなりにあるのだろう。

不貞腐れて私はバスに乗っている、隣では麻美が楽しそうにライトノベルを読んでいると部長の尚先輩が声を掛けてきた。

私は何となく聞いていると麻美が話し始めた。

「神楽坂さんには感謝しているのになんでそんなに機嫌が悪いの?」

「自業自得な事をするからでしょ、いい加減に機嫌を直しな。大体ね、パパさんに合宿の話なんかしなければ旅行に行けたかもしれないのに」

「あら、そうだったわね。でも珍しいわね高校生になって父親との旅行が楽しみだなんて」

「ふふふ、美奈はパパさんラブだもんね。尚先輩も美奈のパパさんを見たら判りますよ」

「へぇ、そんなに素敵なお父様なんだ」

「もちろん、優しいし背も高くて素敵だしね」

「あら? 大久保さんは何を読んでいるの?」

「ああ、これはライトノベルです」

「う~ん、私はちょっと苦手かな。異世界やら魔法やら漫画みたいなのでしょ」

「でも、これは異色ですよ。剣も魔法もないファンタジーで経済活動の争いが書かれていて」

「そうなの経済活動のライトノベルなんてちょっと興味があるわね」

「それじゃ、とりあえず1巻をお貸ししますので読んでみてください」

そう言いながら麻美は尚先輩にライトノベルを貸している。

私は気にせずに窓の外を眺めていた。

パパは独りで何をしているのかなぁ? 

会社の女の子は海外旅行だって言ってたし、小夜ちゃんは夏休み返上で飛び込みの翻訳の仕事だって言ってたもんね。

私が居なくて寂しくないのかな?

「ほら、ミーナもそろそろ機嫌を直して。到着するよ」

「うん」

力なく返事をする。


程なくしてバスはパパが予約してくれた研修所兼保養所に到着した。

そこは大きな企業の見るからに豪華な保養所ではなく。

パパが言うとおり質素な平屋建てのコンクリート打ちぱなしで敷地は大企業だけあって無駄に広くってまさしく研修所兼保養所だった。

そしてコンクリート打ちぱなしの入り口には『紫月』と彫られる様に書かれていた。

バスから降りて荷物を持ってロビーに行くと外観とは裏腹に中は結構綺麗だった。

落ち着いた藤色のジュータンが敷かれ、ロビーから見える窓の外には目の前にある浜辺と海が広がっている。

部長や部員達もキョロキョロと館内を見渡していた。

「凄い素敵な所ね。本当にここで良いのかしら?」

「えっ? 尚部長、今まではどんな所で合宿していたんですか?」

「普通の海の近くの民宿よ」

尚先輩の言葉に耳を疑ってしまう普通の民宿って……

「天国だ」

「クーラーが効いてる!」

「もしかして会議室あり?」

「炎天下の発声練習なし?」

そんな声が先輩達から聞こえる。すると綺麗な女の人が声を掛けてきた。

その女の人の格好はメイドさんといえば良いのだろうか落ち着いたグレーのロングドレスを着てエプロンをしている。

長い髪の毛を後ろで一纏めにして、秋葉なんかで流行のメイドさんとは違うけどメイドさんとしか良い様が無い格好だった。

「ご予約者の神楽坂様はどちらに?」

「はい、私です」

慌てて女の人の前に出ると満面の笑顔で抱きつかれてしまった。

面食らっていると体を離して両肩に手をおいて嬉しそうな顔をしている。

「美奈様、お久しぶりです。素敵なレディーになられて」

「ええ?」

「覚えていらっしゃらないのも仕方がありませんね。私がお会いしたのはまだ美奈様がご幼少の頃ですから。失礼いたしました。私はここのハウスキーパーを任されている諏訪真琴すわまことと申します」

「もしかしてマコお姉ちゃんなの?」

「はい!」

僅かに記憶にある。子どもの頃に毎年の様にパパと海に来た時に一緒に遊んでくれたお姉ちゃんがマコお姉ちゃんだった。

「マコお姉ちゃん、あの頃はお母さんの手伝いって言ってたよね」

「はい、母は今も元気で居ますよ。母の代わりにここのハウスキーパーを任されて、久しぶりのお客様が美奈様だって聞いて嬉しくてつい」

「もう、美奈様は止めてよ。美奈で良いから」

「そういわれましてもお父様の優様には母共々お世話になっていますので」

「マコお姉ちゃん。部屋を案内してほしんだけど」

「畏まりました」

マコお姉ちゃんの案内で館内を案内された。

質素を地で行くような外見とは裏腹に館内は落ち着いた感じの造りになっていて海が見渡せる大きな浴場もあり、部屋もホテルに引けを取らないような部屋だった。

とりあえず各自部屋に荷物を置いて食堂に集合するように尚先輩に言われて、時間通りに食堂に集まった。

「それでは今日から3日間の恒例の夏合宿が始まります。今回はちょっとしたトラブルで開催が危ぶまれたが神楽坂さんの紹介でこのような素敵な施設で合宿が出来る事になりました。くれぐれも従業員方々の迷惑にならないようにすること。良いわね」

全員が返事をする。

そう言うところはしっかりと上下関係が見て取れるのだけど部活動から少しでも離れると和気藹々としてチームワークの良さを感じられた。

「しかしミーナの自業自得とは言ってもこんな場所が格安で宿泊できるのなら毎年ここで合宿すれば良いのに」

「まぁ、その話は神楽坂さん次第だよね」

麻美がそんな事を言うと尚先輩が私の顔を見ながら優しそうな目でそう言う。

「私もマコお姉ちゃんには毎年でも会いたいけれど……」

「ミーナはパパさん命だもんね」

「そんなんじゃ無いよ。パパの事は大好きだよ、でもいつまでも一緒に居られる訳じゃないんだし思い出はいっぱいあった方が良いでしょ」

そんな事を話しているとマコお姉ちゃんが嬉しそうに笑いを堪えている。

ちょっと不思議に思ったけれど久しぶりに会ったからだと思ってた。


一旦、解散して昼食まで自由時間になった。

私は麻美とマコお姉ちゃんの3人で目の前の浜辺を散歩していた。

「美奈様は相変わらずお父様が大好きなのですね」

「うん!」

「でも諏訪さんは昔からミーナとパパさんの事を知っているんですね」

「ええ、命の恩人の様な方ですから」

「命の恩人?」

「はい。美奈様はご存じないと思いますが初めて美奈様にお会いした時は命を助けられた直後の事なんです。優様が美奈様とこの『紫月』に遊びに来られていて美奈様がお昼寝されている時に優様はお一人で散歩をなさっていたんです。ちょうどこの先の岬の上を」

マコお姉ちゃんが指差す先には確かに灯台がある岬が見えた。

私は昔のパパの話が聞けるのがちょっとだけ嬉しかった。

「パパって本当に独りでブラブラするのが好きだもんね。で、迷子になって道を覚えて帰ってくるんだよね。だから誰も知らない裏道とかに詳しいの」

「そうだったんですね。確かにあの岬の道は地元でも限られた人間しか知りませんでしたから」

「でも、どうして岬なんかに居たの?」

「それは母が私を連れて心中をしようとしていたのです。私の父は酒に溺れて借金を繰り返し生活は火の車で母がどれだけ働いても酒と返済に消えてしまい。もう限界だったのでしょ、父は幼い私にすら手をあげて幼心にも母の心情が良く判りました。そしてあの岬から飛び降りようとした所を優様に止められたのです。あの時に言われた言葉は今も忘れません」

「パパは何て言ったの?」

「こんな可愛い娘が居るのに娘の人生まで終わらす権利は親には無いはずだ、人生に遅いなんて事は無いんだよ。どんなに歳を重ねてもやり直そうと思った時がリ・スタートなんだと。もしやり直す気があるのなら微力だけど力になるからと言われていました。母は泣き崩れ優様に連れられてこの『紫月』に来たのです」

「そうだったんだ」

マコお姉ちゃんは表情一つ変えずにサラッとそんな辛い過去の話をしている。

そんな話を聞いてちょっとだけパパの昔の事を聞けると嬉しくなっていた事に恥ずかしくなった。

「優様は直ぐに行動に移されて会社に直談判して母と私を住み込みで働けるようにしてくださって。その後で美奈様に初めてお会いしたんです」

「でも、あの時は楽しそうに遊んでくれたよね。そんな死のうとしてたなんて」

「母は優様に。私は美奈様に救われたのです。優様に連れられて美奈様に紹介して頂いた時に美奈様は優しい笑顔で私を『お姉ちゃん』と呼んでくれたんです。その私に向けられた笑顔がただ嬉しくって。父がこの敷地に入らないように警備も厳重にして頂き、美奈様のお爺様とお婆様のお力添えもあって借金の方も清算して頂いたお陰で今の母と私があるのです。ですから美奈様と呼ぶ事をお許しください」

「マコお姉ちゃん! マコお姉ちゃんはパパのお爺ちゃんとお婆ちゃんの事を知っているの?」

思っても見なかった言葉がマコお姉ちゃんの口から飛び出して私は興奮のあまりマコちゃんの両肩を掴んで詰め寄ってしまった。

するとマコお姉ちゃんは少しだけ不思議そうな顔をしてから真っ直ぐに私の目を見て答えてくれた。

「優様のお爺様とお婆様ですか? 美奈様は優様から何も聞かれてないのですね。それならば私が美奈様にこれ以上申し上げる事は何もありません」

「そんな、教えてよ」

「ミーナ、駄目だよ。真琴さんが困ってるじゃない。命の恩人が娘に言わない事を真琴さんが言える訳無いでしょ」

「そうだね、パパにも家族がちゃんと居たんだね。それが判っただけでも十分かな」

麻美に言われてざわついていた心がストンと落ち着いた。

すると隣からお腹が鳴る大きな音が聞こえてきた。

「もう、麻美でしょ」

「えへへ、ばれたか。だって凄く美味しそうなカレーの匂いがするんだもん」

「そろそろ昼食の時間ですね。今日はシェフ特製のカレーですよ。参りましょう」

「「はーい」」


紫月に戻り食堂に行くと学食の様なビュフェスタイルになっていて、サラダやフルーツが食べ放題で女の子には嬉しい限りのスタイルだった。

食堂に時間通りに全員が集まり昼食が始まる。

各々で好きなだけ食べられる量を考えてお皿に取っていき、皆が取り終えてテーブルに着くと副部長の柏木先輩が声をかけた。

「いただきます」

その声を合図に一斉に皆が食事を始める。

麻美は私の前でカレーをスプーンで掬って口に運んで不思議そうな顔をしている。

「麻美? どうしたの? 美味しくないの?」

「このカレー凄く美味しいんだけれど、どこかで食べたことがある味がする」

「どこかの有名なシェフの味なんじゃないの?」

「違うな、この味はミーナなら絶対に判るはず」

「どれどれ」

麻美がスプーンで掬ったカレーを私の前に突き出した。

スプーンを口に入れるとカレーの味が口いっぱいに広がり思わず椅子を倒しながら立ち上がってしまった。

「神楽坂さん? 食事中にどうしたの?」

「パパだ!」

「へぇ、お父様?」

椅子が倒れる音に驚いた部員や尚先輩の言葉は耳に届かずキッチンに駆け出していた。

だってあのカレーの味はパパが作ってくれるカレーとそっくりな味だったから。

そしてマコお姉ちゃんが笑いを堪えていた理由もそれなら納得が出来る。

キッチンに駆け込むと優しい笑顔でパパが立っている。

それもコックさんの格好までして。

「ははは、やっぱり判ったか」

「パパ!」

私が飛びつくように抱きつくと優しく受け止めてくれる。

「当たり前でしょ。パパの作ったカレーの味が判らないようじゃ、パパの娘失格だもん」

「まぁ、シェフ特製のカレーだからね」

「どうしてここに居るの?」

「ん? ミーナの機嫌を損ねちゃったからね。僕がここに居るからって合宿をサボっちゃ駄目だよ。自由時間は僕に会いに来ても構わないけれど」

「うん!」

「それともう一つ。皆が居る前ではあんまり抱きつかないでね。恥ずかしいから」

「へぇ?」

パパが私の体を離して食堂の方を見ている。

思わず振り返ると演劇部の皆がキッチンを覗き込んでいた。

顔が真っ赤になるのが判る。

パパが居ると思ったら合宿しに来ていた事なんて吹き飛んでいた。

するとパパが私の腰に手を回してキッチンから食堂の方に向って歩き出した。

「パパ?」

「ちゃんと皆に挨拶しないとね」

食堂に行くと皆は既にテーブルに座っていた。

パパが皆を見渡してから挨拶をしてくれた。

「なんだか大騒ぎになってしまってすいませんでした。私が神楽坂美奈の父親の優です、こんな娘ですが宜しくお願いいたします。ここは私の会社の保養所なので遠慮なく使ってください。もし皆さんがよろしければ毎年でも構わないですよ。最近は海外が人気で余りここは使用されなくなってスタッフも寂しい思いをしていると思いますので」

「それはありがたいお言葉です。私が演劇部部長の白銀 尚と申します。神楽坂さんとはどこかでお見受けした事があるような気がするのですが?」

「あれれ、白銀ファイナンシャルグループのお嬢様じゃないですか。藍花商事の営業をしているのでどこかでお会いした事があるのかもしれませんね」

尚先輩とパパとの間に一瞬だけ緊張感が走った気がするけれど直ぐにいつもの尚先輩とパパに戻っていた。

パパが挨拶を済ませてキッチンに戻ると中断していた昼食を皆が食べ始めた。

「相変わらず、パパさんの前だとミーナは見事に壊れるよね」

「だって……」

「これでミーナがファザコンなのを皆が知った訳だ」

「うう、そうだよね。私が迂闊だった」

「だって、それがミーナだもん」

麻美からの酷い言われ様なんだけれど仕方がないよね。

どうしてパパの事が絡むと見境が無くなっちゃうんだろう。

「それが恋よ」

「へぇ?」

耳元で声がして私が素っ頓狂な声を出して振り返るとそこには誰も居なくて、同級生の部員が突然振り返った私の顔をみて不思議そうな顔をしていた。






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