第3話 お仕事
あれは、小学校の時に小夜ちゃんとパパの会社に見学に行って、パパの格好悪い掃除姿を見た後のことだった。
私はヘソを曲げてしまって、パパの仕事姿を見ずに帰ってきて。
友達の真弓ちゃんちに行って約束どおり真弓ちゃんちのリビングで作文を書いていた。
だけどパパの仕事がお掃除屋さんだなんて書けるわけも無く、書いていたってと言うより書く振りをしていた。
「ミーナちゃんのパパも私のパパとは違うけど『そうごうそうしゃ』でお仕事をしているんでしょ」
「う、うん。そうだよ」
「どんな事をしているの?」
「『えいぎょう2か』って言う所で働いてるんだって、小夜ちゃんが教えてくれたんだ」
「小夜ちゃんって誰なの?」
「パパとママのお友達だよ。今日、一緒にパパの会社に行ってきたの」
「ふうん、それでどんなお仕事をしてたの」
「あ、あのね。お掃除してた」
「お掃除?」
「う、うん」
私は恥ずかしくなって唇を噛み締めて俯いてしまった。
そこに仕事がお休みだった真弓ちゃんのパパがやってきたの。
真弓ちゃんのパパは熊さんみたいに大きな体でポロシャツにズボンを穿いて、リラックスした格好だったんだよ。
私のパパとは大違い、大人の人って感じだった。
「いらっしゃい、美奈ちゃんだったかな」
「こんにちは」
私は真弓ちゃんのパパに挨拶するのが精一杯だった。
「おや、真弓と宿題でもしているのかな?」
「うん、パパの事を作文に書くの。ミーナちゃんはパパの仕事を見てきたら掃除をしてたんって」
「お掃除か、美奈ちゃんのパパも大変な仕事をしているんだね」
凄く優しそうに微笑んでくれるんだけど、真弓ちゃんも真弓ちゃんのパパもなんだか感じ違う気がしたの。
なんだか恥ずかしくって悲しくなってきちゃった。
「あれ? でも美奈ちゃんのパパは営業のお仕事じゃなかったかな?」
「うん、『あいかしょうじ えいぎょう2か』って言う所でお仕事をしているの」
「藍花商事の営業2課と言えば、私の会社と大きなプロジェクトを争っている会社じゃないか。確かそこに若手の凄腕係長が居るって噂を聞いた事があるな、たしか『かぐらざか』って言ったかな」
「パパだ!」
「へぇ? 美奈ちゃんって」
「私、神楽坂美奈だもん」
「か、神楽坂係長が掃除って……それじゃ……」
子どもだったから何で真弓ちゃんのパパがその場に腰を抜かした様にしゃがみ込んで頭を抱えてしまったのか判らなかった。
その後は真弓ちゃんのママが現れて大騒ぎになって宿題どころじゃなくなっちゃったの。
マンションに帰るとパパが凄くしょんぼりしてソファーに座ってて。
パパの前には凄い怖い顔をした小夜ちゃんがパパに何か言ってたの。
「ただいま」
「おかえり、ミーナ。今日はゴメンね」
「う、うん……」
「本当に優は、いくら大きなプロジェクトを勝ち取ったからって掃除は無いでしょ」
「仕方が無いだろ、癖なんだよ。大きな仕事をした後の息抜きなんだから」
「美奈、宿題はどうしたの?」
「もう書いちゃったもん!」
それだけ言ってその場に居るのが嫌で自分の部屋に逃げ込んでしまった。
その時に小夜ちゃんが『本当に優は美奈に嫌われるような事しかしないわね』そんな言葉が聞こえてきた気がしたけれど宿題の作文の事で頭がいっぱいだった。
自分の部屋でベッドに突っ伏しているとドアをノックして小夜ちゃんが私の部屋に入ってきたの。
「美奈、宿題はいつまでなの?」
「金曜日の授業参観まで」
「授業参観があるの?」
「あっ。う、うん」
「その口振りは、パパに言ってないんでしょ。授業参観の事を」
思わず口に出してしまい口を噤むと小夜ちゃんに睨まれてしまった。
未だにパパに授業参観があるってプリントを渡せないでいたから。
「本当に親子そろってしょうがないんだから。なんでそんなにお互いに気を使うのかしら、美奈はパパがお仕事大変だからなんて思っているんでしょ」
「だって私にはママが居ないしパパがママの分も頑張ってくれるんだもん」
「それで、パパが迷惑でもすると? 本当に美奈はそう思っているの? 私がパパの立場だったら凄く悲しいけどな」
「悲しい?」
「そう、大好きな美奈が何も言ってくれないなんて悲しいでしょ」
「だって、パパは美奈の為に夜遅くまでお家でお仕事してるんだもん」
子どもの頃から何となく判ってた。
自分の為にどれだけパパが無理をしているか。
運動会にも遠足にも行事があると必ずパパは来てくれた。
でも時々携帯で難しい話をしている時がある、それは仕事のことだと思う。
それに行事の後は疲れた顔をしているのを知っている。
それは今だから判るのだけど休んだ分の仕事をしているからだって。
だから授業参観くらい来てくれなくて良いと思ってた。
「判ったわ、それじゃ授業参観の事はパパに内緒にしてあげる。その代わり月曜日の午前中は私と出かける事、判った?」
「学校は?」
「私が連絡を入れておくから、良いわね」
「うん!」
小夜ちゃんがパパに内緒にしてくれる、それでパパに迷惑をかけないで済むと子供心に思ってた。
月曜日の午前中に小夜ちゃんに連れて行かれたのはパパの会社の藍花商事だった。
玄関ホールに入るとこの間の受付のお姉さんが笑顔で手を振ってくれる。
そして前から優しそうなスーツを着た男の人が女の人を後ろに連れてエレベーターから出てきた。
すると周りにいる人達の感じが変ってその男の人に挨拶をしている。
「代表、おはよう御座います」
「おはよう」
優しそうにきちんと返事をしながら、代表って呼ばれている人が私の顔を見るとしゃがみ込んで話しかけてきた。
「おはよう、お嬢さん。今日はどうしたのかな?」
「今日はパパのお仕事を見に来たの」
「そうか、お嬢さんのお名前は?」
「神楽坂美奈です」
「おお、2課の神楽坂君の娘さんか。可愛らしいな。そう言えば凛子君と瑞樹君の子どもはまだなのかな? 凄く可愛らしい子どもになると思うんだが、期待して待っているのだけどなぁ」
「もう、だ、代表。お、お時間が」
代表って呼ばれている男の人の後ろで黒い髪の毛をポニーテールにして、黒ぽいスーツ姿の女の人が真っ赤な顔をしている。
「そうだな、時間か。美奈ちゃん、またね」
「うん! バイバイ。おじさん」
私がそう言うとおじさんは優しそうに私を見て手を降ってくれた。
真っ赤な顔をしていた凛子さんって言う女の人が何だか必死に笑いを堪えているように見えて、代表って呼ばれているおじさんが居なくなると周りから笑いが零れた。
「もう、社長さんにおじさんなんて言ったら駄目じゃない」
「ええ、あのおじさんが社長さんなの? だって社長さんってお腹が出てて剥げてるんじゃないの?」
「あのね、漫画の見すぎです。恥ずかしいから行くわよ」
「変なの」
エレベーターで3階に行くと営業フロアーって案内があって、営業1課と営業2課に真ん中の通路を挟んで分かれていて、小夜ちゃんに連れられてパパの居る営業2課に行ったの。
「おはようございます。今日は宜しくお願いします」
「いらっしゃい」
小夜ちゃんが挨拶をすると直ぐに入り口の近くにいたスーツ姿の男の人が声を掛けてくれたの。
なんだか私達が来るのを知っていたみたい。
奥の机ではパパがスーツ姿で優しい目をして手を振ってくれたの。
「ああ、パパだ」
私が嬉しくって思わず声を上げるとフロアーにどよめきが上がったの。
「う、嘘! 係長の娘さん?」
「メチャ、可愛い!」
「で、隣にいる可憐なお嬢さんは? 係長の……」
ちょっとした騒ぎになって隣の営業1課の人たちも何事かと覗きに来てて……
「ほら、仕事をしろ。仕事! 娘の美奈は僕の職場を見に来ただけだし、小夜は僕と美雪の古い友人だ。ちょっかいを出す奴は情け容赦しないから覚悟しておけよ」
「うわぁ、怖!」
「係長! 黒い物が出てます」
「良いんだ、いくらでも黒いモノを放出してやる」
「そ、外回り行って来まーす!」
パパの職場は凄く楽しそうな所だった、和気藹々としていて皆が優しくって。
パパもなんだか楽しそうに仕事をしているの、ちょっとだけ小夜ちゃんが言っていたエリートマンとは違うけどね。
少しすると営業2課の中が慌しくなってきてパパの顔もニコニコから真面目な顔になってたの。
「小夜ちゃん、もう帰ろうよ。パパ、忙しそうだし」
「もうちょっとだけ待ちなさい」
「う、うん」
落ち着かなくって小夜ちゃんにそう言うと直ぐにパパが声を掛けて来たの。
「さぁ、これからがパパの仕事の本番だよ」
「パパ、これから何があるの?」
「大切な打合せだよ」
「小夜ちゃん、やっぱり帰ろうよ。大切なお仕事の邪魔になるから」
「大丈夫だよ、ミーナ。パパにもう一度チャンスをくれないかな? ミーナにパパの仕事振りをきちんと見てもらいたいんだけどな」
「う、うん。判った」
パパが優しく私の頬に片手を当ててそう言ってくれた。
私は嬉しさと心臓がドキドキして何もいえなくなってしまい、小夜ちゃんとパパの後について行くと大きな会議場の隅で小夜ちゃんの隣に座らされて、少しすると外国の人達が何人も不思議そうな顔をしながら私と小夜ちゃんを見てから会議場に現れたの。
皆が席に着くのを確認したパパが立ち上がって、今まで一度も聞いたことがない英語で喋り始めたの。
「さ、小夜ちゃん。パパは何て言っているの?」
「こちらから事前に連絡をせずに申し訳ないと思いますが、今日は私の娘が職場を見学に来ていますのでご了承ください。もし、不快に思われるなら退席させますが」
直ぐに小夜ちゃんが訳して聞かせてくれた。
すると「No problem」「Fantastic!!」なんて声が聞こえてきて、不思議そうな顔をしていた外人さん達が優しく私と小夜ちゃんを見てきたの。
小夜ちゃんが英語を話せるのは知っていたの、なんでも翻訳って言うお仕事をしているって聞いてたから。
でも、パパが英語を話せるなんて知らなかった。
パパが言っている言葉は判らないけれど資料を指しながら真面目な顔をして、説明をし的確に受け答えしている姿は幼心に恋心を植え付けた瞬間でもあったのかもしれない。
そんな憧れから私は一生懸命に勉強する気になった、パパや小夜ちゃんみたいに格好良く英語をしゃべれるようになりたいと。
それに小夜ちゃんの言うとおりそこに居たパパはまさしくエリートマンだった。
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