第百六十九話:クラウスとマナの場合

 意外にもある新聞社によって発表された勇者のランキングによって齎された混乱は、すぐに収束を迎えることになった。


 というのも、事実として大会でのアランはストームハートに手も足も出なかったからだ。


 どう見ても準優勝や三位入賞を果たしたサンダルやイリスの方が遥かに善戦していたことが明らかだったし、実際に戦ったとしてもルークに膝をつかせた一回戦敗退のエイミーの方がアランよりも強い、という結論に世界の人々が行きつくのも当然のことだだっただろう。


 何よりも圧倒的な強さのストームハートが載っておらず、隠居して何処にいるかも分からないエリーが載っている意味が分からないという意見も大半を占めていた。




 結果として、この新聞のランキングは信憑性に欠けるということですぐに騒動は収まってしまった。


 当然ながらそこには英雄達による密かな印象操作もあったのだけれど、それは置いておくとして。




 クラウスは南の大陸南東部に向かう途中に立ち寄った町の喫茶店で、一週間遅れでその新聞を手に取っていた。




「へえ、面白いランキング表だな。と言うよりこれは強烈な反魔王擁護派の新聞社が作ったものなのか?」


「ん、なになに?」




 さして信用もしていない様子でクラウスが感想を口にすると、マナは興味を示した様に身を乗り出してきた。


 そのまま膝の上に手を伸ばして覗き込もうという所で、クラウスは新聞をマナの方へと向ける。




「ほら、みてみな。一番強い勇者はアランで二番はエリー、ストームハートは何処にも書いてないんだ」




「ん、ほんとだ。ぶりじっとちゃんのままななばんだし、かーりーはちばんなんだ。


 んー、あらんってだれ?」




 ここしばらくサラから文字を教わっていたマナはすんなりとそれを読むと、対面に座っていたサラが嬉しそうに声を上げた。




「おお、ちゃんと読めたねマナ。えらい」


「ははは、先生が良いんだろうな」




 自分が剣だと半分程自覚しているらしいマナは、性格や体格こそ変わらないまでも、以前よりも物事の吸収力が大きく上がっている様だった。


 それが二人にとっては出来る子どもが出来た様で微笑ましい。




「アランっていうのはグレーズの隣にある小国の勇者だね。今年初めて大会に出た人らしいんだけど、ストームハートには全く手も足も出なかったらしいんだよ」


「それなのにいちばん……」




 クラウスの言葉に、マナは心底意味が分からないと言った様子で眉を寄せた。


 そのまま正面を向いてジュースを一口飲むと、再びクラウスとサラを交互に見て、「なんで?」と首を傾げる。




「僕が思うにね、ストームハートはその時アランを今までに無いくらいぼこぼこにしたらしいから、このランキングは皮肉だろうね」


「ひにく?」


「本当はアランの所にストームハートが入るんだけど、わざとストームハートをランキングから抜いてアランが一番だよって書いたんだろうね。つまり、ストームハートが嫌いだから意地悪したんだろう」




 クラウスは新聞を一目見た瞬間から、既にそう解釈していた。


 少なくともエリスに3分かかる時点で、ストームハートに勝つことは不可能だというのが、実際にエリスと僅か一手で終わらせた手合わせと、大会でストームハートを見た感想だった。




「へえ、わかんない」


「マナは分からなくても良いよ。大人の世界は嫌なことも色々あるんだから」




 何を言ってるんだろうとサラを見たマナに、サラは手を伸ばして頭をくしゃくしゃと撫で付けた。




「それで片付けて良いものか?」


「いいのいいの。マナは純真無垢に育てるって決めてるから。ね、マナ」


「うん。ぜんぜんわかんない!」


「はは、その辺りの方針は任せるよ」




 少なくとも、サラを含めた英雄達は皆サラの正体を元から知っていた様子だった。


 その上でサラが言うのであれば、クラウスが反対する余地は既にあって無いようなもの。


 再び新聞に視線を落とす。




「それにしても、エリーっていう名前があるのは意外だな。これは英雄の方かエリーおばさんか、どっちだ?」


「ぶふっ」




 突然のクラウスの迷った様な発言に、サラ思わず吹き出してしまう。


 精神誘導が効いている証拠としては十分だし、今まで何度も似た様な場面は見てきた。


 それでも唐突にとぼけた様なことを言われると、我慢をするのは難しかった。




「おっとごめんごめん。これはエリーおばさんかなー」


「やっぱりそうか。あの人ってストームハート並みに強いもんな」


「ぬふ」


「ぬふって……、どうしたんだ?」


「いやいや、思い出し笑いだよ。クラウスが大会に出てたら、今ごろ新チャンピオン誕生だったかもしれないね」




 誤魔化す様に言う。


 かなり際どい質問ながら、尋ねられたクラウスは真剣に考える様子を見せた。


 どうやら以前に見た試合から、脳内シミュレーションでもしているのだろう。


 5秒ほど考えた後、口を開く。




「うーん、どうだろうな。旅を始めてから強くなってる実感はあるけど、ストームハートはやっぱり別格だった気がするよ」


「あれ、パパにはもう勝てるつもり?」


「俺に勝てないと娘はやらんって言われた時の為にこれまで訓練を兼ねて旅をしてたんだ」


「あはは、面白い冗談だね」




 最初の旅の目的とは完全に違うことを口にしたことでサラがジトっと見つめると、クラウスは思わず視線を左に逸らした。




「……まあ、勝てる、とは思う、今なら」




 言いながら、下から見上げる視線に気づく。




「くらうすはでないの?」




 その視線に目を合わせる前に、クラウスの顔の下からはそんな声が聞こえてきた。


 目を合わせると、子どもらしい好奇心に満ちた表情でマナがクラウスを見上げていた。




「僕は本気で勇者と戦っちゃいけないって言われてるんだよ。手加減も苦手だから、実際に強敵が出てきたら危ないっていうのも自分で分かってる」




 以前、一つの村を壊滅させたことを思い出す。


 大した訓練もしていない盗賊だったからと納得はしているものの、思い出せば余りにも弱くて物足りなかった勇者達。


 大会に出ていた一部も、似た様なものだった。




「まあ、エリーおばさん達との訓練だけは別だったみたいで、いつも本気だったけどね」


「ぶりじっとちゃんのままとは?」


「あれは本気じゃないよ。10秒で決着が付かなかったら降参してた」


「ふーん。そっか」




 僅か一手で決まった決着を思い出したのだろう、視線をやや上に向けると、何かを考えているかの様にうわ言で返事をした。


 それを見て、サラは余計な一言を思いつく。




 かなり際どい、エレナの娘らしい一言だった。




「それにクラウスの夢は勇者や魔法使いのチャンピオンじゃなくて、魔王を倒して英雄になることだったもんね」


「マナの前でそれを言うなよ……」




 かつて魔王を操っていた本人であるマナの前でサラが放った一言に、クラウスは呆れ果てたように咎めると、マナも自分の正体を思い出して俯いた。




「まおーはもうつくれないよ。まながまなになっちゃったから……」


「あ、ごめんねマナ。そういう意味じゃなくて、クラウスの夢は人々を救いたいってことだから」


「んーん。まおーをやっつけたらえいゆうってのはわかるよ」




 かつて魔王を作り操っていたマナ、始まりの剣の目的は、人々が争わない平和な世界を作ることだった。


 人類の宿敵を出現させ協力させる、などというめちゃくちゃな方法を取ってしまったものの、魔王は倒される為に、人類の宝として褒め称えるべき人物を作る為に作られたもの。


 それが間違っているのだろうと気付くのが遅過ぎただけで、魔王は英雄の為に存在していた。




 自分が何をやっていたのかの記憶がある分の罪悪感があるのか、少ししゅんとした様子のマナにクラウスはマナを抱き上げながら言った。




「マナ、僕の今の夢は全ての魔物達をマナに食べさせてあげることだ。そうすれば、魔王を倒さなくても英雄だろう?」


「せかいがへいわになる?」


「そうだ。英雄が英雄らしく振る舞える世界なら、魔物が居なくても今度こそマナが望んだ平和が来るはずだ」




 今はその土台が出来てるんだ。


 と新聞を指差したクラウスに抱かれたマナは、満面の笑みで「うんっ」と頷くのだった。




「ふう、なんとか色々誤魔化せた」




 とサラが呟く声は、テーブルを挟んだ二人には届かなかった。

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