第百六十五話:魔法使いサラ
――ふう、デーモンくらいなら、まだまだ大丈夫だ。
五匹のデーモンを相手にしたサラはその晩、安心した様に長めの息を吐いた。
デーモンの攻撃を全て受けたのは、何も相手に同情しはじめただけではない。
もちろんマナに任せれば無条件で終わらせてしまうことについて思うことは凄く多いのだけれど、今の自分の力を、常に確認しておきたいという意図があった。
あの日、クラウスがドラゴンと戦い、マナが始まりの剣だと理解した日。
あの日から、クラウスのマナ吸収能力は大幅に伸びている。
それまではグレーズを中心に徐々に勇者の出生率が落ちてはいたものの、それ以外、マナ吸収による生きている人物への直接的な影響は全く及ぼすことが無かった。
もちろん、へその緒で繋がってしまったオリヴィアは勇者の力を全て失ってしまったけれど、例え手で触れていたとしても、魔法の威力が落ちる様なことは起こらなかった。
それが僅かばかりとはいえ、確実に落ち始めている。
サラの体感にして、クラウスの半径100m程の範囲にいる時には、約3%ほど。
より近くに居ればより弱くなるというわけでも、100mほどの距離を離れても徐々に弱くなるというわけでも無く、範囲内に居る場合に限って一律3%程度の威力低下をもたらすようだった。
――つまり、マナ吸収には段階があるってことだ。
今までの第一段階は、自分が何者なのか想像すら付かない段階。英雄に憧れたクラウスは、人に影響を及ぼさず世界の陽のマナを減らしていった。
それが、マナの正体を認識したことで自分の正体について知らず知らず意識を向けてしまっている状態。周囲の魔法使いが放つ魔法の一部を分解して、自然と吸い取ってしまう段階。
――クラウスはまだまだエリーさんの正体にも気づく気配は無いから、封は切られていないみたいだけれど。
クラウスに施された幾重にも重なる封印は、勇者に対する食欲を抑えるという役割を果たしている。封の状態を確認する目安として、エリー叔母さんと英雄エリーを別人だと認識するというものが採用されていた。
何故そんなことをしたのかサラには分からないけれど、ともかく、それは今のところ上手く作用している様子で、疑う様なことはまるでない。
それでも、マナを始まりの剣だと認識した、ただそれだけで無意識の食欲が増している。それどころか、魔法を分解し始めている。
サラにはそれが少し、不安だった。
遅かれ早かれ、魔法使いは勇者よりも早く世界から消えるだろう。
それ自体は仕方がない。
体細胞にマナを宿した勇者と違って、魔法使いのマナは世界を満たすマナを、器に入れただけのもの。
世界を満たすマナが無くなって器の中にある貯蓄を使い切れば、器の中を再び満たすことはあり得ない。
それはずっと、分かっていたことだった。
だから、魔法使いではなくなる覚悟もしていた。
魔法使いでなくなるタイミングは自分の器と相談して、最後に大切に、小さな奇跡を起こして、クラウスの助けになりたい。
そんなことを、少しだけ夢見ていた。
でも、今回の変化はそれが叶う余地を無くす様なもの。
きっとクラウスは徐々に力を強めて、最後には魔法そのものを打ち消してしまう様になるだろう。
いや、徐々にというものならまだ可愛い。
マナを吸収すればするほどに自らが剣だということを思い出すというのならば、もしかしたら、これからは加速度的に。
――だから、せめて、あと少しだけでも魔法使いとして力になりたい。
サラが今、一人で戦う一番の理由。
両親が英雄と呼ばれる魔法使いで、物心つく頃には自身も魔法を使いこなしていたサラは、そんなことを考えていた。
自分が魔法使いである内に、魔法使いとして出来ることをしたい。
サラもまた、魔王を倒した英雄の娘だった。
――でも、私のわがままのせいで、私の魔法が弱まったのを気付かれて、クラウスの変化は更に加速してしまうかもしれない。
それでも、何もせずに後悔するよりも、行き着く先が同じなのなら……。
――自己満足でしかないって分かってるけど。
自分で考えておいて、言い知れない不安に襲われながら、サラはゆっくりと瞳を閉じる。
その晩はどうにも、上手く眠れなかったけれど。
――。
翌日、クラウス達一行の前に現れたのは、決死の覚悟を決めた様な表情の大量のトロル達だった。
食人鬼にして低い知能と高い再生能力を持つ、オーガの親戚とされている中級の魔物。
その数は600にも登るほどで、かつて聖女サニィの出身地を滅ぼしたオーガ達にも近い戦力だと予測出来る。
それを見て、サラは不敵に笑った。
「マナ、今日のおやつは大量のトロルね。食べきれる?」
同時に出現することはあっても、徒党を組むことが無いデーモンに次いで、人を餌としか見ていないトロルの決死の覚悟。
昨日の今日で見る、魔物達の見たこともない姿。
それらはまるで、サラ自身を映す鏡の様に思えて。
――そっちが覚悟を決めてくれるなら、私もそれに応えないと。
昨夜から一転、戦場に立ったサラは昨夜の悩みを全て吹き飛ばすかの様に、トロル達を殲滅していくのだった。
――。
「うんうん。聖女に逆らった全ての魔物に死を。聖女の教えに逆らう全ての者に屈辱的な罰を。ちょっと悩んでたみたいだけど、よくやってるみたいね、サラ」
サラの戦いを、少し離れた茂みから眺めている一つの影があった。
何処からか大陸の南東に行くと聞きつけて、一足先に様子を見に来た魔法使い。
その魔法使いは、サラの後ろで小さな子どもを抱いている青年に目を向けると、じゅるりと舌舐めずりをしすると、誰にも聞こえない様に声を潜めながら、こう呟くのだった。
「何も知らない純真無垢な聖君子様。どちらかと言えば父親似だけれど、純朴な瞳はお母様そっくりね。
……はあ、監禁して立派な聖神にしてさしあげたい。
でも、それは聖女様の為ではあってもきっとお許しにはならないし、何より鬼神様に殺されるからやめておくしかない……か。
はあ……。本当、人間っていうのはままならないわ」
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