第百四十七話:ひとつの双剣

「まなもいく!」




 サラがクラウスに対する覚悟を改めて確認していたところ、そんな声が響き渡った。


 それはサラの腕の中にいる、小さな女の子から発せられたもの。




「どうしたの、マナ?」




 思わずサラは腕の中を見下ろすと、尋ねる。


 というのも、少女のその声音も表情も、まるで興味本位ではない様子だった。


 まるで使命感に突き動かされているかの様に、真剣な顔をしている。




「ん? あれ?」




 よくよく見れば、角を隠すリボンの隙間から、鈍色の角が顔を覗かせていた。


 その角は鈍く輝いて、今までの道中では分からなかった変化を示していた。




『マナの角、少し大きくなってるかも』




 身体の成長も、精神の成長も、今迄は一切感じられなかった。


 そんな中、その鈍く輝く一部分だけは、僅か5mm程、大きくなっている。


 昨日の夜には気付かなかった些細な変化ながら、サラにとってそれは、とても大きなものに感じられた。




『ドラゴンに呼応してるのかもしれない』




 少しして、イリスから返事が来る。




『マナちゃんの言葉には、ドラゴンに対する明確な殺意があるの。殺意というよりは、もっと無邪気な、食欲かもしれないけれど』




 続けて来たそんな言葉に、サラははっとしたものを覚える。




 ――やっぱり、マナはクラウスと同じなんだ。


 欲求を抑えられてるクラウスと違って、マナは純粋なんだ。




 そう考えれば、マナをドラゴンの所に連れて行くわけには行かない。


 マナに魔物を食べさせる必要性はこれまでも理解してきたことではあるけれど、ドラゴンなどという強大な存在を突然食べさせるのは、マナにどんな変化をもたらすのか分からない。




 マナが下手に魔物の味を覚えて暴れ始めてしまう可能性も、低くは無かった。


 だからゆっくりゆっくりと人間社会に慣れさせ、下級の魔物から食べさせてみようと、つい先日英雄達から通達があったばかり。




 何より。




『じゃ、じゃあ、連れて行かない方が良いんですね? クラウスにもどんな影響があるか分からないし』




 片割れであるマナに急激な変化があれば、クラウスにも影響が及ぶ可能性がある。


 二本で一対、遥か昔に分かれたとされる双剣は、今も尚、繋がっているはずだ。




 だからこそマナは旅を始めたクラウスの前に現れ、クラウスがサラに好意を抱くと同時に、ママだと認めたのだから……。




 二本は繋がっている。




 マザコンのクラウスが毎日母への手紙を書いていた時に、マナはママを探しながら生まれてきた。


 クラウスが【英雄エリー】と【エリー伯母さん】を見分けられない様に、マナもまた、その二人が同一人物だと気付けない。


 クラウスがサラへの好意を見せる程にマナもまた強く懐く様に、二本の剣は、原初の宝剣は、繋がっている。




 唯一違うのは、食欲だけ。




 魔物を見かける度に美味しそうと涎を垂らすマナと、勇者を見ても三人の英雄に抑えられているおかげで、何も感じないクラウス。




 それがもしも繋がってしまったのなら……。




 クラウスは勇者を喰らう、化け物に成り下がってしまうかもしれない。




 だから、マナは連れて行かない方が良い。


 そう、思っていたところで。




『ううん、連れていってあげて。実は、英雄からの依頼の二つ目。マナちゃんに、クラウス君の戦闘を見せてあげて』




 英雄イリスから、そんな返答が返ってきた。




 ――。




「マナ、だめだ。危ないからここでサラと待っていてくれ」




 そんな言葉が聞こえてきたのは、マナが叫んでから数瞬の後。


 ほぼ直接イリスと意思疎通が取れるサラにとっては、数時間にも近い体感時間が流れた後のことだった。




「……クラウス、そうだよね」


「やだ!」




 縋る様に言うサラに、マナは頑なに叫ぶ。


 ドラゴンに対する執着は、随分と強い様だった。




「ほら、僕でも勝てるか分からない相手だ。マナを守れるわけがないし、ましてや――」


「まもらなくていい!」


「最後まで聞きなさい。マナが来るならサラにも来てもらわないといけなくなる。サラを危険に晒すわけにはいかないのは、マナも一緒だろ?」




 クラウスがそう悟すと、マナは涙目で「うー」と唸った。


 サラの心配事は、クラウスのおかげで、尽きることがない。




「クラウス。勝てるか分からないって、そんないい加減な勝算であんなに簡単に引き受けたの?」




 言ってからしまったと思っても、遅かった。


 イリスは微笑むと、致命的な一言を放った。




「うん、それなら、私達英雄が総出で危ない時には助けるから大丈夫だよ。今回はクラウス君の力を見たいって依頼なんだから。マナちゃんも行きたいなら大丈夫」




 それがどれだけ口からの出まかせであっても、言霊の英雄。


 その発言の説得力に、昔から影響を受けているクラウスは、素直に頷くのだった。




「サラ、戦闘中、マナは任せても大丈夫?」




 そう、クラウスから確認の言葉を掛けられるのと同時。




『マナちゃん、無理ならここで降りた方が良いよ。ここで受けたら、あなたは世界を抱えることになっちゃう。


 あなたがクラウス君の為に頑張って、覚悟も決めてるのは分かってる。


 でもここからはクラウス君だけじゃなく、嫌なものを嫌という程、見ないといけないかもしれない。


 だから、降りるなら全てを忘れさせてあげるけれど。


 まだクラウス君に私の力が届く今なら、間に合うから』




 そのイリスの言葉は、諦めではなく慈しみだった。


 一人が抱えるには余りにも重いものを、軽くしてあげるという言葉。


 サラに期待していないわけではなく、続きは英雄達が引き受ける、という言葉。




 そんな言葉にサラが返す言葉は、きっとずっと前から、決まっていた。




『イリスさん、私はあの英雄エレナの娘です。パパさえいれば、世界が滅ぼうと、別に全然構わないなんていうちょっと狂った女の血を引いてます。


 私はあの聖女の宝物に認められた女です。


 世界よりも英雄レインが大切、なんて言いながら、自分達の身を犠牲に世界を救った英雄に認められた女です。




 大丈夫。




 何も出来ない私だけど、私はマナのママだし、クラウスに好かれた女なんです。




 世界中の勇者がクラウスのせいで全滅したとしても、私だけはクラウスの味方でいるって決めたんですから、それだけは揺らぎません。




 ほら、突然の展開に、ちょっとびっくりしただけですから』




 いつか必ずこういう日が来ることは、分かっていたはずだった。聞いていたはずだった。


 それでも慌ててしまったのは、まだ少しだけ先のことだと思って、覚悟が足りなかったのかもしれない。




 サラは両手でバシンッと音が鳴る程の強さで頰を叩くと、「クラウス、マナは任せて」と決意に満ちた表情で言い切ると、




「絶対に勝ちなさいよ!」




 クラウスの現在の強さも、この後に起こることも何もかもを知らないサラは、そう、クラウスを鼓舞するのだった。

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