第百二十七話:におい
「それにしてもこの家は、ずっと良い匂いがするね」
二人が朝食へと向かう道中、ふとクラウスはそんなことを呟いた。
サラにとっては開放感のあるこの豪邸は現在、それほど強い匂いが満ちているわけではない。
今も廊下の窓は開いているし、お香を焚くなどもしていない。
朝食のパンの良い匂いが、微かに鼻に届く程度。
しかし直感が、クラウスに合わせるべきだと警告している。
クラウスが言ったのはそのパンの匂いではなく、ずっとしているという匂いの方だったからだ。
「そりゃ、良い家だからね。英雄らしく色々なことに気を使ってるみたいだよ」
一先ず、サラは思い付く理由を返してみることにした。
それは実際にナディアが面倒くさいと常々言っていることで、家族三人で気を付けていることだとタラリアも協力していたことだった。
家政婦等に任せているサラの家とは違い、この家は家族だけで管理している。
その中に、匂いに関する話を聞いたことは、無かったと記憶していたけれど。
そんなサラの言葉に、クラウスは納得した顔でこう返した。
それは、サラの予感が見事に的中した形。
「そうか。この仄かに甘い匂いは、霊峰でも感じたことがある気がするな。それに、何処か漣を思い出す」
故郷に思いを馳せているのか、クラウスは窓の外を見ながら言う。
「へえ、久しぶりにママに会いたくなりましたかー?」
ここサンダル邸と霊峰マナスル、そして故郷の宿屋漣の三箇所に共通するもの。
それはつまり今までの歴史上、聖女だけが正確に感じることが出来たもの。
「そりゃサラのことも直々に言わないといけないしな。でも、今は母さんも忙しいみたいだし、旅の途中だ。それで帰るって格好悪過ぎないか?」
そして、現在もイリスと魔法使いを除けば、誰一人感じることが出来ないもの。
魔法使いもまた、感じると言うには余りにも希薄なもの。
「あ、会いたいのは否定しないんだ……。格好の問題なんだ……。別に良いけどさ」
それはこの世界に満ちていて、強い勇者程多く内包しているもの。
それをクラウスは『良い匂い』として感じ取り始めているのだとしたら。
「僕にとってはやっぱり、母さんがオリヴィアだと知って以降、母さん程の英雄は他にいないって思っちゃうんだよな。いつだって母さんはレイン、サニィ、エリーのことを最高の英雄達だと言って、自分の功績は語らない。直接魔王を下したのは、どんな形であれ母さんなのにさ」
「ああ、うん。いや、オリーブさんが最高の英雄だってのを否定するつもりは全く無いけどさ。尊敬してるのも分かってるけどさ、からかってるのに真顔で返されると怖いから……、はぁ」
相変わらず母の話題を出せば簡単に誤魔化せる幼馴染の狂気に若干の怯えを覚えつつ、サラはほっと一安心だと息を吐く。
それが呆れの溜息に聞こえた様で、幼馴染は慌て始めた。
「もちろんルークさんとエレナさんも凄い。今の魔法使いの有用性を最前線で示し続けてるのは――」
「違う違う、そういう話じゃないから落ち着いて。パパとママの凄さをクラウスから熱心に語られてもなんか逆に虚しいから。ほら、結局私はまだまだ勝てないし」
大会でのサラとルークの戦いは、エリスを破ったサラに注目が集まり、白熱するかと思いきや蓋を開ければ完封だった。
凡ゆる魔法でルークはサラを上回り、英雄の強さを世界中に知らしめた形となった。
流石にルークに相対したのがエリスだとしても勝てない。だからこそ、これからのサラの成長に期待をする目が向けられた。
そんな結果に終わっていた。
「そうか、ごめん」
サラが修めていた厳しい修行を見ているクラウスとしては、それはついつい出てしまった謝罪。
しかしそれに対してサラはあっけらかんと答えた。
「まあ、謝る必要も無いんだけどね。クラウスの英雄狂いは知ってるから。私としては、今日はナディアさんのライバルライラさんの話を聞こうと思ってるよ」
サラが修めたのは、主に精神修行。
それは大会で勝つことが目的ではなく、クラウスの隣に居られる様にと願ってのもの。
クラウスは、その意味をまだ知らない。
「アルカナウィンドの英雄ライラか。当時は世界第二位と言われていた悲劇の英雄。魔王だった男を愛してしまい、それ故に殺されてしまった悲恋の英雄か……。
一部では、そんなライラの死がアリエル・エリーゼを狂わせたなんて話もあるよね」
だからこそ、クラウスはサラの言葉を疑うこともなく会話を続けた。
サラはそれに安堵を覚えつつ、状況を整理する。
以前のミラの村での事件の際、クラウスは勇者のにおいで犯人の村を特定した。
その時にはどんなにおいがするのかは言っていなかったが、勇者にだけ発するにおいがあるとすれば、それは聖なるマナと呼ばれるものに他ならない。
そして今回と霊峰、そして漣を思い出すという『甘い匂い』
それは恐らく英雄達が体内に宿す多量のマナと、霊峰に充満する高濃度のマナのことを指しているのだろう。
その匂いが良い匂いでなければ良かったのに。
思わず、サラはそんなことを呟きそうになる。
それがクラウスにだけ感じられる独特なもので、特に興味を惹かれるものではないのならば、クラウスが世界を滅ぼすかも知れないなんていう話は杞憂で終わる話だ。
しかしクラウスが感じるというその匂いは、甘い良い匂いだと言う。
それはつまり、クラウスがあのマヤという直感の鋭い女性がいい加減に言った様に、勇者を食らう存在である可能性が高いということ。
そしてそれは同時に、クラウスが剣の力を制御出来なくなった時、全ての勇者はクラウスの餌でしか無くなる可能性が高くなるということだ。
全ての勇者の根源にして、世界最古の宝剣。
それが本当に目覚めてしまえば、今を生きる全ての勇者は抗う術なくその力を奪われてしまうと言われている。
それは当然平穏に済むわけは無く、剣の本来の役割である斬殺を伴って。
ならば本来、クラウスはマナを吸収出来ない場所に幽閉しておくか、殺せる内に殺した方が良いに決まっている。
それでも、英雄達はクラウスの旅を止めさせる気は無いらしい。
その理由も知ってはいるけれど、流石に余りにも懐疑的なその理由に、サラは未だに納得しきれてはいない。
だからこそ、どんな結末になったとしても、好きになってしまった以上、クラウスのその結末を一番近くで見ていなければならない。
まだ両親しか知らないそんな覚悟を改めて心に刻みながら、サラは言葉を絞り出した。
「英雄ライラの最期は悲劇ではあったけれど悲恋では無かった。
私はそう聞いてるしそう信じてるな……」
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