第百二話:クラウス

 ……――。




 もう、クラウス以外は分かっていることだろう。


 その男の誕生は、異常だった。




 そもそもの話、勇者が生まれる理屈はこうだ。


 母の胎内で成長する際、世界に満ちるマナを体内に取り込むことで、その力の恩恵を得る。


 基本的に人間に適応するのはかつて陽のマナと呼ばれたものだけで、現在は魔素と呼ばれる陰のマナは取り込まない様に出来ている。




 そんな陽のマナには超常現象を引き起こす力があって、それを体内に取り入れた赤ん坊は勇者として生まれ、その多くは本来の肉体を超えた身体能力に、超常の力を併せ持って生まれてくる。




 更に勇者とは違い、外にあるマナを自分のものとして制御出来る者達を魔法使いと呼ぶ。


 彼らはマナタンクと呼ばれる器官を有しているとされており、身体能力は普通の人と同等ながら、イメージ次第でどんな超常現象でも引き起こすことが出来る。




 そんな、一般人とは違う二つの人種が、この世界には存在している。




 そして前提として勇者も魔法使いも、遺伝しない。


 勇者の生まれやすい土地だったり、ウアカリの様に全員が女勇者である土地はあるものの、その土地を一歩出ればその子ども達は新しい土地の確率が当てはまることになる。




 例えば妊娠期間中に国の外で戦ったクーリアの母が生んだイリスは、ウアカリの特徴をあまり受け継がず、また勇者の力もウアカリとはまるで別のものになっている。


 例えば今はウアカリを出てスーサリアで暮らすナディアとサンダルの娘タラリアは、何の力も持たない一般人だ。


 そんな風に勇者や魔法使いは土地が作る、なんて言われ方をする程度には、その出生には運の要素が絡んでくるものだった。




 更には当然、勇者の力は遺伝しないのだから、子どもを産んだところで勇者でなくなるなんてことはあり得ない。




 宝剣に遺骨が使われることもあるので分かる通り、勇者は生まれたら死んでも勇者だ。




 それが、この世界のルールの一つだった、はずだった。




 ――。




 オリヴィアがレインとサニィの子どもを自分が産むと決めてから二ヶ月後、変化は急激に訪れた。




「なんか、体が少し重いですわね。つわり、という訳でもなさそうですけれど」




 その日は、たまたまエリーが新しい命を宿し始めたオリヴィアの様子を見にやって来ている日だった。


 椅子から立ち上がろうとして少しバランスを崩したオリヴィアに、確かに言うような違和感があるのに気付く。




「なんか反応が少し遅れてる感じだね。風邪?」


「いえ、体調は万全ですわ。ただ、何か身体に違和感があると言うか、重いと言うか……どうしたんでしょう」




 そんな些細な違和感がきっかけだった。


 その日からオリヴィアはみるみるうちに身体能力を失っていき、その体は一般人と変わらないものへと変化していった。


 最初は筋力が落ち、次に体力、そして動体視力。


 最後には遂に、必中の力を持つ筈のオリヴィアが弓を外す様になったことで、その勇者の力は完全に消滅したことが確認された。


 それは最初に異変に気づいてから、僅か一ヶ月程のこと。




「わたくしは、どうしたんでしょう……」




 前例の無い出来事に戸惑うオリヴィアに、エリーは自分のものとなった魔王の記憶を探る。


 その中に、忘れるわけにはいかないはずだったものが残っていたことに気がついたのは、もうオリヴィアが完全にただの人と変わらなくなってからのことだった。




「ねえオリ姉、狛の村の予言、いつか生まれる世界を変えるものが確定した彼らは、その役目を終えて魔物になったんだよね」




 何故かすっぽりと抜け落ちていた記憶。


 世界を変える者が一体何を持っているのかは分からないものの、それがレインではなく、他の誰か。


 そして恐らくそれが確定した時期は、レインが魔王になることが決まった辺り。


 二つの記憶を統合して、エリーは一つの結論に至る。




「もしかして、その子が世界を変える者、なんだとしたら。師匠が魔王になることが決まったことで、オリ姉は心の拠り所に二人の生きた証であるその子を産むことを決めるんだって、世界の意思はそれを知っていたのだとしたら……」




 それはオリヴィアも同様に抜けていたことだったらしく、目を見開いて驚きを顕にした。




「それならば、前例が無い力を持っていてもおかしくはない、と……、そういうわけですわね」




 ただ、不思議とそう答えるオリヴィアは落ち着いていた。


 自分の体の異常なのだとしたら取り乱していたのかもしれないが、その心は順調に母親へと向かっている。


 それが自分が産むことになる子どものいたずらなのだとしたら、まるで平気だとでも言わんばかりに。




「それなら、もう一度文献を読み返してみましょう。エリーさん、すぐに王都へ行きましょう」




 そんな風に、自分の子どもについての情報に見落としが無いかどうか改めて、と意気込んで早速準備を始めるオリヴィアを制したのはエリーと共に来ていたアリエルだった。


 普段は漣に来ると息抜きにと宿の手伝いをし始める女王様は、オリヴィアの慌ただしさを聞きつけて顔を出しに来たようだ。




「待て待てオリーブさん。文献は妾とエリーでこっちに持ってくるから、あなたは自分の体を気遣いなさい。もうあなたは勇者ではないし、何よりももう一人の体じゃない。まだ加減が分からない分普通の妊婦よりも安静にするべきだ」




 鼻息荒く出かける支度をし始めるオリヴィアを、アリエルは一般人よりも僅かに上なだけの膂力で抑える。


 かつて姉の様な従者であったライラと共に殆ど意味は無くとも磨いていた武術も合わせて、かつて最強だったオリヴィアをやんわりと座らせてしまう。




「ほら、体の使い方が分からないから妾にすら勝てない。上に立つ者が自分で動くからこそ人は付いてくるのかもしれないけれど、たまには妾だって頼まれたいぞ」




 普段は女王をしているアリエルがそんなことを言えば、元王女だったオリヴィアに反論の言葉が思い浮かぶわけもなく、「ありがとうございます。お願いしますわ」と恭しく礼で返してみせる。




 そうして、魔王戦で忙しかった英雄達は新たな忙しさの合間に再び文献を漁り、オリヴィアのお腹に宿る子どものことについて調べ始めたのだった。




 ……。




 分かったのは、この子どもは『世界を変える者』なのかもしれないが、元々は『世界を変えた物』だったということ。


 一体どこでどうなって【それ】が宿ってしまったのかは全く分からなかったものの、【それ】は全ての勇者の大元で、きっとその半分はまだ何処かに眠っているのだということ。


 オリヴィアが力を失ったのは、お腹の子ども、エリーがクラウスと名付けたこの子どもが奪ったわけではなく、単にマナが【それ】の元に還っていっているだけなのだということ。




 ――。




 クラウスは、勇者にとって理想の肉体を持っている。


 その剣は正確で、その強さはただ生きているだけで、周囲のマナ・・・・・を取り込んで・・・・・・、マナがある限り無限に強くなる。


 当然の様にその存在は、勇者の一つ上に位置している。




 そして、クラウスが生きているだけで、勇者の出生率は少しずつ下がっていくことになる。






 ……。






 ――クラウスという存在は、そんな最古の宝剣だ。

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