第七十一話:エリス対サラ

 試合が始まってすぐ、エリスは異変に気がついた。


 最初は戦いが始まったことで、底の見えない相手に対して恐怖心を抱いているのかと思った。


 それはよくあることで、相手が強いと分かっているのに能天気に勝てると勘違いしている者に真の強者はまずいない様に、自身の強さを知っていればこそ誰にでも起こり得ること。


 対して自分自身に喝を入れる為に大口を叩くこともよくあることだけれど、どこか様子がおかしい。


 勝てるんだと喝を入れようとして、それに気づく。




 相手に抱いているのは恐怖心ではなく、勝たなくても良いやと言う倦怠感。


 自分が負けても仕方ないという、どこから来るのか分からない諦めの気持ちだった。




「……。なるほど、精神操作というわけ……」




 そう納得すると同時、エリスは自分の頬を剣を持つその右手の篭手で殴り付ける。


 精神操作を上回る痛みで、自分に喝を入れ直そうという作戦。


 会場にはどよめきが走るが、最早エリスにその声は届いてはいなかった。




「抵抗出来るだけでも結構凄いんですけど、甘い」




 明瞭になった思考をサラに向けてみれば、サラは既に呪文を唱え終えていた。


 からくりの結果を考える暇も与えない、最初からの全力攻撃。


 会場内の土が一気に隆起し始め、幾本もの大木が立ち上がる。


 それらは刺の生えた枝を伸ばし、意思を持った様にエリスに襲いかかってくる。


 その精度も質量も流石は英雄の娘というべきか、ルークさえ除いたならば他に類を見ない規模で、瞬時にアリーナはジャングルの様に移り変わりその影へとサラは姿を消していく。




「まずいッ」




 優れた魔法使いは探知の魔法で視覚の外を見通すことが出来る。


 それは目で見たそのままとはいかないものの、優秀であればあるほど優れた感知能力を有しているはずだ。


 ジャングルの様相を表したアリーナ内で視線を切るということは、少なくともその範囲ではサラはほぼ完璧に感知出来ると見て良いだろう。


 エリスは瞬時に襲い来る蔦の隙間を縫い、切り裂いて、テレポートをしながらサラが消えた影に迫っていく。


 そしてようやく40m程残っていた距離を詰め、大木の背後に回ったサラの姿を捉えると宝剣【ことりぺんぎん】を上段に構える。




 その瞬間だった。




「フッ!」




 そんな息を吐く声と共に、顎に向かって下から鋭い蹴りが飛んでくる。


 その蹴りはそれ程速くは無かった。


 所詮それは魔法使いの身体強化でしかないし、ここに出場している勇者の誰よりも遅い。


 しかし確実に顎へと吸い込まれていき、あわやクリーンヒットというところで、なんとかテレポートで背後へと飛び回避に成功した。




 危なかった、と思う。


 エリスは身体能力にはそれなりに自信がある。


 テレポートという力を持つためか、動体視力や反射神経はずば抜けて高いし、膂力はトップの英雄には劣るもののグレーズでも三本の指には入る。


 しかしその力は、真っ向からの殴り合いには向いていない。


 つまり、回避や瞬殺が前提で頑強さに欠けている肉体だ。


 いくら力があったとしても、一発でも軽く当たってしまえばそれが即負けに変わってしまう。そんな危うさを持っている肉体だった。


 魔法使いの蹴りであっても、身体強化を施し的確に顎を打ち抜かれれば、一発でノックアウトされてしまう可能性は十分にある。




 額に、冷や汗が流れる。


 底が見えないと考えて十分に警戒はしていた。


 それでも、戦いの組み立て方がまず熟練している。


 恐らく得意であろう相手の不調を誘う精神魔法をイメージだけでかけ、それがしっかりと効くのならそのまま接近戦に持ち込み、それが破られるのならば次なる手の魔法の詠唱をしておく。


 そして姿を隠してしまえば、それは魔法使いの土俵だ。


 近づくことすら困難なフィールドを造り出されれば、勇者だからこそ対処が難しい。




 尤も、膂力に優れる勇者が一直線に進めない障害物を設置するだけで、凄まじい力を持った魔法使いである証拠なのだけれど、今はそれはエリスにとっては関係がない。




 そこで、ふと気づく。


 何故、自分はあんなにも遅い蹴りにそれ程の驚異を感じたのだろうか。


 どう考えても、直撃すれば倒されてしまう様な蹴りだろうが、あの程度の蹴りを避けられないはずがない。


 それにも関わらず、サラの蹴りはテレポートでもしなければ、確実に当たっていたと言い切れる。


 両手を振り上げて攻撃に移る最中だったから?


 いや、違う。あの程度の蹴りならすぐに片手を離して止めることすら容易な筈だ。


 それどころか、そのまま脚を掴んで投げに移行すら出来るはず。


 しかしそれは、どう考えても不可能だった。




 何故かと考えて、最初に受けた魔法とこれまでのサラを思い出す。


 倦怠感、諦め、そして、一回戦目の「どうあっても私の勝ち」という言葉に、素直に頷いてしまった対戦相手。


 自分への影響は、もう殆どない。


 多少は残っているとしても、それは倦怠感ではなく恐怖へと変わっている。


 つまり、ほぼ正常と言っても良い。




 となれば、心当たりはサラの方だ。




「勝利を現実にする精神魔法? 私だけではなく、自分にもかけて相乗効果を得ているということね?」


「流石はオリヴィアさんが認めた人材。正解です」




 答えを聞いた瞬間、エリスは体内のわだかまりの様なものが楽になるのを感じる。




「答えられたら効かなくなっちゃうんで、内緒ですよ」


「そう、グレーズの選手には広めておくわ」


「まあ、嘘なんですけどね」




 そう言うサラの顔色に変化は無い。


 となれば、からくりが分かったことで抵抗力が増したということだろうか。もしくは解いたのか。それすら嘘なのか。


 いずれにせよ、油断は出来ない。


 むしろ、エリスの警戒心は更に増していく。




「とんでもない魔法使いもいたものね……」




 魔法はイメージが必須だ。それに乏しいならば、長い呪文を唱える必要が出てくる。


 少しでも疑ったり思考が他所に向いてしまえばその効果は劇的に低下し、発動しないことすらある。


 その為魔法使いは基本的に、無為に勝利を思い描くことはタブーとされている。


 もしも予想と違うことが起こればそれはほんの少しの綻びを生み、そのあるかないかすら分からない綻びすら、次の魔法の精度に影響する。


 その魔法に負けの二文字が混ざってしまえば、それはそのまま負けに直結してしまう。


 そんな勝利を意識する魔法を、彼女は自身と相手にかけ続け、上手くいかなかったとしても動揺すらしていないというのだ。




「ま、ほら、私って悪夢の娘ですし」




 生死にすら頓着しない異常な魔法使いを、世界の誰しもが一人だけ知っている。


 絶対に戦ってはいけない魔法使い、【悪夢のエレナ】


 彼女がただイメージするだけで力が足りない者はその形態すら変化してしまうという世界一の幻術使い。




 なるほどそれなら確かに、とエリスは納得する。




 この目の前の18歳の少女もまた、同じく図太いのだ。


 両親が英雄で、勝つのが当然というプレッシャーの中、平然とそんな魔法を使ってしまう位。




 否が応でも期待の目を向けられてしまう中、実際に勝つことの難しさをエリスは嫌というほど知っている。


 時代が違えば英雄だったと言われて期待を向けられ、その期待に応えようと戦ったことが実際にあって、そして負けたからこそ分かる葛藤というものを、エリスは先日ようやく乗り越えたばかりだ。


 それを目の前のまだ若い魔法使いは、既に克服しているのだろうか。是非聞いてみたい。


 そう思ったところで、意識を再びサラの方へと戻す。




 テレポートで回避してからは、睨み合いが続いている。


 10mのテレポート距離を、全力の蹴りを放ったサラは二秒では体勢を立て直せなかった様で、なんとか追撃をまぬれた状態。


 同時に二秒が経過して、体勢を立て直したサラもエリスの間合いの中。


 どちらが先に動いたとしても、もう既に決着は近いことを、両者が悟っていた。


 ここまでは、サラの方が一歩上手。


 しかしこの至近距離ならば、テレポートのエリスが有利なことを、流石のサラは分かっている様だ。




 そして両者は互いに、にぃっと笑う。




「今まではあんまり見せなかったですけど、私ってルークの娘でもあるんですよね」


「私は言ってなかったけれど、エリーの弟子になったのよ。時雨流を学んでるの」


「あはは、私の魔法道具は聖女のタンバリンなんですよ」


「ふふふ、私だって、英雄ディエゴと先王ピーテルの宝剣を授かったのよ」




 そんなやりとりを交わして、互いに最後の攻防とばかりに、構えを取り直した。

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