第七十話:英雄の残滓
ブリジットの応援が聞こえる。
軍の同期だったローズやポーラの声援も、控えめながらあの人の声も、ここまで聞こえてくる。
相変わらずのジャムのメンバーは素っ気ないけれど、誰にも分け隔てなく接することが出来るのが彼らの良い所だ。
私達が独裁政権の王家だったなら「エリス殿下もサラもがんばれー」なんて、敵も合わせて気のない声援を送っているのを聞けば処刑してしまうかもしれない。その位いい加減な声援が聞こえる。
まあ、かつての上司だし応援してくれるだけましか、と思うことにして、集中することにする。
情けない自分が、ずっと嫌だった。
中途半端に強くて代表になったは良いものの、ストームハートに英雄エリーの代役の様に言われて、……いや、そう感じてしまっていて、負けてからは剣から離れてしまった私。
それからもその思いは消えず、いつしか夫の愛情すらも本物ではないのではないかという疑念も持ちながら暮らしてきた八年間。
可愛い子どもにはそれを見せることはしなかったけれど、クラウス君との戦いを経てようやく乗り越えることが出来た想い。
今日は、それを乗り越えたことを正銘するのに必要な戦い。
過去には時代さえ違えば英雄になっていたとも言われた私が英雄の娘を倒すことで、置き去った過去を取り戻す為の戦い。
相手は強い。それはもう、底が見えない位に。
私は勇者よりも魔法使い相手が得意。
視線さえ通ればテレポートで距離を詰められるのだから、あのクラウス君の様に反射で対応される可能性がある勇者よりも、遅い上に焦って魔法が使えなくなる可能性が高い魔法使いの殆どは私にとってそれ程強い相手ではない。
それでも、例外はいる。
かつて時代が違えば英雄になっていた器と言われた私は、最強の魔法使いであるルーク夫妻と模擬戦を行うチャンスを貰ったことがある。
結果は、どちらにも手も足も出ないというものだった。
英雄ルークには近づこうとテレポートをすればブリンクで瞬時に百メートル単位で距離を開けられるし、その後はテレポートの条件を見抜かれて面制圧をされてしまって完敗。
英雄エレナはもっと酷くて、余りにも怖くて動けなくなってしまった。天才的な幻術を使うことは当然知っていたのでそれを覚悟していたのだけれど、私の前に現れた光景は幻術や悪夢なんて生易しいものではなく、地獄。【悪夢のエレナ】なんて、なんて可愛らしい二つ名だって思わず笑ってしまった位だった。
今回の相手は、その二人の娘。
彼女の三回戦までは全て見ていた。
一言で言えば、異常な戦い。
その試合だけ世界が遅く動いている様な、その試合だけが異常に低レベルに見える様な、もしかしたら八百長を疑う人すら出てくるのではと言うような、そんな試合だった。
一瞬、エレナさんの様な幻術で相手の知覚を鈍らせているのかと思ったけれど、それは恐らく違う。
対戦相手の様子は正常そのものだったし、動きにおかしい様子もなく、むしろ魔法使いであるサラさんの動きは魔法使いと言うには速い様に感じる位。
結果的に速いはずの対戦相手の攻撃は当たらず、この戦いに出場する勇者よりは遥かに遅いはずのサラさんの攻撃ばかりが当たるという、正に異常な戦い。
幻術系の魔法は、基本的に強い勇者程効きにくい。
体内のマナが自動的に魔法の影響を阻害する働きをする為だそう。
彼女に英雄エレナ程の幻術の才能があるのなら、あの結果も納得出来る。
でも、実際に頂点の幻術を体験した私にはどうも、あれはただの幻術とは違う様に見えた。
「からくりがあればそれを見抜かなければ。無いのなら実力で覆すしかないかしら」
でも、底は見えない。
サラさんは両親の両方を継いでいるというのがジョンが言ってくれた唯一の助言。
となれば、あれはただのその実力の片鱗でしかないということ。
まだ、英雄ルークの魔法らしい魔法は全く見せていない。
「……大丈夫。この三ヶ月のアルカナウィンドでの修行で私は飛躍的に強くなった」
そう、三ヶ月間ブリジットには寂しい思いをさせてまで、本当の英雄の下で修行したんだ。
何度地に這いつくばったか、何度死にかけたかすら分からない。
異常なまでに強いあの人に少しでも追いつくため、全てを捨てて努力してきた。
だから、勝てる。
二本の宝剣を使って戦う私だけの戦法がある。
背に背負った二本の感触を確かめて、両手で頬を軽く叩いて覚悟を決める。
――。
ふう、と息を吐いて、勝利への意志を明確にする。
私は知ってる。
ここがこの大会の、私にとっての正念場。
相手は強い。とてつもなく。
グレーズ王国王妃エリス・A・グレージアは、時代が違えば英雄だったと言われている本物の一人だ。
八年前の大会、エリザベート・ストームハートに一瞬で負けたことからその実力は低く見られがちだけど、そんなことは有り得ない。
あのエリザ……さんが強かったと公言した人物は、英雄達を除けば彼女ただ一人。
あれはエリスさんのそれまでの試合を見て、ついついテンションが上がってしまった結果だと聞いている。
つまり、エリスさんが弱いわけではなく、本気のあの人が異常なまでに強いだけ。
「ふう。それにしても、そんな人にあっさりと勝っちゃったのか、クラウス。……なんだっけ。世界にマナが満ちる限り、無限に強くなる。だっけ」
でも、と考える。
私にとってエリスさんに勝つことは、クラウスの隣に居る為の絶対条件だ。
私が勝手にそう思ってるだけなのかもしれないけれど、少なくとも勝てなければそれを私自身が認められない。
きっとあの親馬鹿オリヴィアさんのことだから、パパとママが私の修行の成果さえ認めたなら「サラさんがクラウスに付いてくれるなら安心ですわ」なんて本当に嬉しそうに言うんだろう。
でも、それだけじゃ足りないんだ。
クラウスを支えるには、乗り越える強さがいる。
私自身が、どんな私でも認められる強さがいるんだ。
クラウスと、私と、この先の世界のことを考えれば、いざという時に支えになれるのは、きっと私だけ。
だから、ほんの少しでも自信を付ける為に乗り越えなければならない強敵が、あのエリスさん。
「エリス・アンダーソンは時代が違えば英雄になっていた器」
最初にその言葉を発したのは誰なのか、私は知ってる。
それはかつて世界で一番強かった人。
世界で一番強い人とかつて鎬を削り合って、結局実力では一度も勝てなかったと言わしめた人。
今でも、一流の勇者と殆ど変わらない強さを持っている一般人。
グレーズ王国軍の戦闘技能に関する特別顧問、オリーブ。
名を変える前には【血染めの鬼姫オリヴィア】と呼ばれた人物だ。
そしてその人はそんな偉大すぎる功績を残していながら、同時に私の想い人のお母さんでもある。
そんなオリヴィアさんが英雄の器だと言ったエリスさんに勝てなければ、私は私を認められない。
お義母さんが認めた人には負けたけど、私を認めてくださいなんて、とてもではないけれど言えたものじゃあないんだ。
だから私はこの試合、なんとしてでも勝たなければならない。
私自身の為、世界の為、そして何より、クラウスの為にも。
――。
「お母さんの格好良い所見ててね、ブリジット。必ず勝ってみせます、あなた」
「クラウス、これが今の私の力だよ」
試合開始の掛け声の直前、二人は同時に観客席のほぼ同じ場所を見つめて微笑んだ。
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