第五十一話:食欲と恋愛感情

 クラウスが自らサキュバスクイーンが実際に人かどうかを見破る方法は無い。

 普通のサキュバスは見た目から人と違う為に見れば分かるが、クイーンの厄介な所はそれだった。

 マナを信じるならばそのまま叩き斬れば万事解決、となるのだけれど、もしも違った場合には無害かもしれない人を一人殺すことになる。

 もちろん、ここはサキュバスの生息地だ。仮に斬ったとしてもややこしいことをする者も悪いのだから言い訳は出来る。

 しかし、クラウスには一つ言い付けられていたことがあった。


 例え盗賊でも、絶対に殺してはならない。


 ということだ。

 それが出来る様にと徹底的に強く鍛えられてきたのだから、今回の選択はそれを選ぶことにする。

 サキュバスクイーンだったとしても、近場の町でエレナに手紙を出しておくだけで全てが解決する。

 その間に犠牲者が出たとしたら、それは申し訳ないが仕方がない。


「すみません、少し急いでいるもので。さ、マナ、行こう」


 少しの威圧を込めて言えば、女も少しだけ身を縮こませる。

 知る人が見れば、流石は鬼神の血。と感心することだろう。そんな殺意のこもった威圧にマナの獲物を見る目が合わさって、女はその場に釘付けになった。

 マナは何処となく残念そうにしながらも、クラウスが言うならと垂れそうな涎を啜りながら我慢してみせた。


 マナが今のところ勇者や魔法使い、一般人を美味しそうだと言ったことは無い為、ほぼ女はサキュバスクイーンで間違いは無いだろう。ただ、人の姿をしたものを斬ることは流石にマナの教育上も良くないだろうと思ったのが今回逃げることにした本当の理由。

 流石にマナが起きていることに脅威を感じているのか、女はそこから追いかけてくることは無かった。


 しかしそれにしても、魅力の影響をモロに受けそうになっていたクラウスを救ったのが幼いマナというのが、何やらとても面白かった。

 妖狐たまきに対する鬼神と聖女とはまるで違う、悪鬼と幼女。

 どちらにせよパートナーが救ったのかもしれないし、どちらも本来なら守られる側が救ったのだということには変わらない。

 でも、魅了を看破して撃退した聖女とはまるで違って、美味しそうだと涎を垂らして救った幼女。

 なんとも緊張感の違う状況に、思わずクラウスの口から思わず笑いが漏れる。


「どうしたの?」

「いやいやなんでも。今日は何が食べたい?」


 食欲に救われたのだから、ご褒美は食欲を満たすものが良いだろうと問うてみる。

 自分への戒めは一先ず置いておいて、たまには謎の少女に救われる状況というのも面白い。

 そんなことを思ってしまった。


「んー、じゃあね、はんばーぐ」


 そして相変わらず肉食のマナを微笑ましく思いながら、次の町へと進むことにするのだった。


 ――。


「ねえママ、クラウスってただ生きてるだけで強くなるんだよね」


 その日の修行終わり、宿への帰り道でサラはエレナにそんなことを尋ねた。


「そう言われてるね。私には分からないけど、ルー君はそう言ってたし、実際にエリーちゃん達もそう感じてるらしいよ」


 だから稽古をつけて、強くなる理由は修行のおかげだと思ってもらう。

 そんな小細工をしているということを、サラは英雄達から聞いていた。

 クラウスは気付いていなかったが、サキュバスクイーンに魅了されたとしても、クラウス一人ならばその内に魅了を勝手に解除してしまう。

 それまでの間に精気を分け与えることにはなってしまうものの、それでクラウスが死ぬことなど有り得ない。そもそもサキュバスクイーンの吸う精気は別に生死に関わるようなものではない。

 サキュバスクイーンに依存してしまう男達は、次第にその魔物にどっぷりとハマっていき、日常生活すらまともに送れなくなって行く結果、数年をかけて死に至るだけに過ぎない。

 だから、今回の件に限ればクラウスはマナのおかげでマナを守れたのだ、と言った方が良かったのかもしれない。


 そんなことがあったことなど知らないサラは、少し不満げに頬を膨らませる。


「ふーん。なんだかずるいって思っちゃうのは、おかしいのかな」


 かつてはサラの方が強かった。

 それは当然父に修行をつけてもらっていたし、成長が遅かったクラウスは、昔は一般人と変わらない身体能力でしかなかったから。

 クラウスは日に日に常人では有り得ない勇者らしい身体能力を付け、そして強くなっていった。

 逆にサラは日に日に女性らしくなっていく肉体と、魔法使い独自のマナ許容量という問題に悩まされ、遂には15歳を境にして、クラウスには勝てなくなってしまった。

 それが悔しかったし、同時に何処かで羨んでいた。

 もちろん、それを表に出すことは無かったけれど、辛い修行を始めてから改めて思う。

 ただ生きているだけで強くなるのは、ちょっとずるい。

 ちょっとと言うのも、理由はあったけれど。


「おかしくは無いんじゃないかな。でも、クラウス君はクラウス君で大変なのはサラも知ってるでしょう?」


 エレナは言う。

 クラウスは、狛の予言に記された世界を変える者その人だ。

 それは流石に、サラも知っている。


「……うん。私じゃ何も出来ないかもだけど」


 英雄の娘とは言え、サラはただの魔法使い。

 両親の様に聖女の加護を受けるでもなく、本当に、英雄の娘として生まれてしまったただの魔法使いだ。

 魔法使いには限界がある、とは父の言。

 その言葉の意味とは少し違うけれど、改めて修行を始めてから今日は少し壁に当たってしまった様な、そんな感覚がしてナーバスな気分だった。


 その様子を見て、エレナは言う。


「何も出来なくても、ただ側に居るだけで違うってこともあるかもよ?」

「……かもなんだ?」

「まあ私はクラウス君じゃないからね」

「そういうところ、ママってほんとドライだよね」

「よく言われるけど、結局人の心はエリーちゃんでも無ければ本人しか分からないからね」


 エレナはそれを分かっている。

 分からないからこそルークは自分に惹かれたのだということを分かっているし、分からないからこそ自分の魔法は独自のものなのだと分かっている。

 そして、分かっているからこそ、自分を捨てた実家には帰りたくないのだ。

 しかしそれを分かっていて、娘は言う。


「悪夢がそれを言ったらおしまいな気もするけど、まあ良いや。とりあえず、今は大会に向けて頑張るよ。多分、無駄にはならないもんね」


 魔法使いには限界がある。

 しかしそれでも、鍛えることに意味はあるはずだ。

 サラはそんな風に自分を納得させる。


「無駄にはならないわ。最終的には悲劇のヒロインになることも出来るんだから」

「っもう! ママはほんとに元も子もないんだから! まあ良いや、私も認めるから。クラウスに見てもらう為に、私頑張るね」


 とにかく、頑張ればそれをクラウスは見てくれるのだということが分かっている。

 クラウスが大会を見に来るのなら、その時に誰よりも努力した自分を、結果で見せてやれば良いのだ。

 そんなことを考えながら、サラは両手で握りこぶしを決めて、しかしやっぱり少しナーバスだった。


「はあ、それにしても片割れが幼女の姿をとるなんて……。私に対する嫌がらせなのかな……」


 そんな呟きに対する母の答えは、「じゃあ、今度会った時にはマザコンでロリコンのクラウスって呼んであげたらどう?」という、やはり元も子もないもの。

 まあ、サラは、「採用」と即答したのだけれど。

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