第八十四話:ごめんなさい……
リシンは天才だ。
その意味を、オリヴィアは戦闘開始後直ぐに理解した。
訓練で手を合わせた際には一切感じ得なかったその強者の感覚に、オリヴィアとイリスは戦慄を覚える。
それは言ってみれば、ディエゴとナディアを合わせたような戦い方だ。
徹底的に鍛え上げた、ただ相手を殺す為の技術。
目線の動き、足運び、そして大切そうにしているリンの首を躊躇なく盾にしようとする残虐性。
その全てが、民を思う王女と首長の二人にとっては、凄まじく嫌なもの・・・・だった。
更には感情酔いとでも言うべきか、未だ満足な動きが出来ないエリーを執拗に狙うという徹底した戦法。
「くぅ、ごめん」
リシンの執拗な責めを、大盾『フィリオナ』で何とか受け止めながらエリーは二人に謝る。
それをなんでもないと首を振って答える二人。
リシンは、その隙を見逃さない。
身体能力が僅かに劣るイリスを瞬時に向き直り、その首を刈り取りにかかる。
もちろん、それを傷つけまいと戦うオリヴィアには、リンの首を向けて。
いくら狛の村のトップといっても、その身体能力はオリヴィアに劣る。
通常の訓練では一度として、レインに選ばれた英雄候補には勝てていない。
だからこその油断があったのだろうか、何度も手合わせをしている相手にその位のことは大丈夫だと、無意識に思っていたのだろうか。
それとも、見た目がそのままなことに、どこか安心してしまったのだろうか……。
イリスの首が飛ぶ。
そんな光景を、エリーとオリヴィアは幻視した。
果たしてそれは、髪の毛だった。内から外に薙いだその剣に沿って、イリスは辛うじて首と体を傾けそれを回避していた。
しかしそれはギリギリで……。
「うっ……」
イリスの右耳は真っ赤に染まり、セミロング程あった髪の毛の多くが宙を舞っている。
その光景を見て、エリーはようやく理解した。
心の声も踏まえて考えれば、最早間違いはない。
リシンは人には戻らない。
どうしようもなく、そう理解してしまう。
イリスの力、自在に言霊を操ると言っても過言ではないその力でも、元に戻すことなど出来はしない。
彼女の持つ力はその名前の本質に語りかけ、心を整えることが出来る。
しかし今回変わったのは姿などではなく、その本質だ。
彼は人間『リシン・イーヴルハート』から、魔物『リシン』へと変化している。
そしてそれを、斬られたイリス自身も理解したのだろう。
「ごめんなさい……」
そんな言葉と共に、倒れ様その胸に剣を突き立てた。
……。
その剣は、リシンの右胸を貫通する。
がはっという吐血と共に、右胸と背からも血を吹き出す。
放っておいても、それで死ぬだろう程の重症だ。
しかし、流石にそれだけで安心する程には、レインの二人の弟子は甘くは無かった。
「オリ姉!」
そんなエリーの声と同時、オリヴィアは既に動き出している。
右手を引き、レイピアである【ささみ3号】でその心臓を貫こうという体勢。
それに対し、リシンはリンの首を盾として差し出した所で、オリヴィアも覚悟を決めていた。
左手に持った【不壊の月光】をリシンの首の位置に置くように持ち、踏み込む。
肘を前にして、剣先を自身の右後方に向けた状態で、右手に剣を持ったリシンの右側に、敢えて全力で踏み込んだ。
ぶしゅっという音と共に、首から大量の血を噴水の様に吹き出しながらリシンは遂に倒れた。
そしてオリヴィアの右手には、リシンの持っていた剣が刺さっている。
オリヴィアを以てして、明確なダメージがあったにも関わらずそうしなければならなかった理由は、既に地面に倒れたイリスの頭を、そのまま踏みつぶそうとしていたからだ。
ダメージなどまるでなかったかの様に、自分の命など、まるで何の価値もないかの様に胸から血を流しながらも、リシンは一切怯むことなくイリスを殺そうとしていた。
きっとこのリシンという魔物はドラゴンよりは弱いのだろう。
デーモンロードよりも、弱いのかもしれない。
しかしながら、元々人だったからこそ、人の弱点を熟知している。
訓練で戦うだけならば自分よりも遥かに弱かったそれは、同時に彼女達にとっては初の大怪我を負わされる相手となった。
リシンが倒れても尚、エリーは警戒を解かなかった。
五分後、オリヴィアの顔が青ざめてくるまで、エリーは手にした盾を手放さなかった。
「もう、大丈夫」
その言葉を皮切りに、イリスは呪文を唱え始める。
マナに直接願いを伝え、魔法と同等の超常現象を行使する、イリス独自の力。
剣の刺さったオリヴィアの腕を治療する。幸いにも毒は塗られていない様で、組織の結合と血液の複製のみで充分に体調が回復したのを見ると、言う。
「さて、行こう。リシンさんだけとも限らない。申し訳ないけど、葬儀は後にして」
自分の治療はきちんとせずに、止血だけをして。
「イリス姉、治療は?」
「これは戦士の勲章。そして、きっと油断した私自身への戒め」
エリーの問いにそう答えると、イリスは一足先に歩き出した。
「オリ姉、イリス姉少しだけ焦ってるから、またフォローお願いね」
「ええ、分かりましたわ」
ウアカリの戦士といえども、死の間際に立った人間が直ぐに冷静になれる訳などない。
それを理解している二人は、最大限の警戒をしながら、イリスの後に続いた。
――。
【リン、すまない】か。
最後の最後で、意識を取り戻してたのかな……。
絶対に戻らないと思ったのに、そんな方法があったのかな……。
エリーはただ一人、その最期の心の声を聞いていた。
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