第八十三話:リン……ありがとう
リシンは叫んだ。
己のタイムリミットをも本能で感じ取りながら、自身の変質に苦しむ村人達へと向けて、全力で叫んだ。
「今ならお前達を人として殺してやる! しかし間に合わなければ魔物として討伐されるだけだ!」
その言葉に、村人達は二手に分かれる。
この苦しみを乗り越えた末には、確かに第二の人生が待っている。人では無くなるのだから人生と言うのはおかしいのかも知れないが、誰しも確信を持っていた。
その生は、快楽に彩られている。
しかし、死ねばそこで全ては終わりだ。
そんな甘美な誘惑も、また彼らを襲っている。
グレーズ王国の人々のことだ。
彼らはこの事態に気付けば必ず全員の名前の載った慰霊碑を建ててくれることだろう。我々を知るオリヴィア王女や騎士団の連中なんかは、本気で我々をおもってくれるはずだ。
そして慰霊の儀は、間違いなくグレーズ式ではなく、簡素な狛の村式のものにしてくれるはず。
彼らはきっと我々の流儀に則って、悲しみを押し殺し、「よく戦った」と我々を慰めるのだ。
だからこそ、村は二つに分かれた。
リシンの所に集まった者達は、限界を迎えた者から順に、リシンの手によって胸を一突きにされ、息絶えていく。
彼の妻であるリンが、簡素も極まっているもののその遺体を運んでは、火葬場に投げ入れ祈りを捧げる。
一方で、徐々に魔物化を始める村人も出始めてくる。
最初に魔物となったのは、50代の女性、次いで、40代の男性。共に、狛の村の中でも実力の高い二人だった。
彼等は村人達を見ると、自分の剣を取り出し斬りかかり始めた。
声にならない声を上げ、今まで培ってきた全てを同胞にぶつけるかの如く、暴れまわる。
その様子を見た数名のリシン側に居た人々が剣を取って抑えようとするが、瞬く間に斬られてしまう。
リシン側に残っている人々に、最早村内での実力者は居ない。
しかし、魔物となった二名は、次第に互いを殺しあう様に戦闘を始めたのだ。
その様子を、自身を守りながら見ていた魔物派の村人達も、流石におかしいことに気付く。
魔物は基本的に魔物同士で争わない。
ごく一部の魔物を殺す魔物の存在を除いては。そしてそのごく一部すら、同族同士では殺しあうことはない。
つまり、それでも殺し合うと言うことは、何か理由があるということだ。
――。
エリーとオリヴィアは、狛の村の村長リシンのことについて、師匠であるレインから話を聞いていた。
「俺が言うのもなんだが、リシンって奴は天才だ。俺が6歳で戦場に立ってからの半年間、俺はあいつに生き延びる術を教わった」
「ってことは、師匠の師匠?」
当時、いつもの様にレインの膝上でエリーは無邪気に問う。
「たった半年だが、そうとも言えるかもしれんな」
「へえー、何が天才だったの?」
「あいつは簡単に言えば陰のマナを色濃く体に宿してる。身体的な特徴は今一分からないが、全てに於いて水準が高いな。他の村人の出来ることならなんでも出来ると言ってもいいかもしれん」
「師匠のお母さんみたいに毒も効かないの?」
「こらエリーさん、少しは遠慮しなさいな」
怒涛の質問攻めをするエリーを、オリヴィアはたしなめる。
しかしレインはそれを「良いさ、知っておいた方が良いかもしれないだろう」
と軽く流すと、その質問に答え始める。
「毒が効くのか効かないのかは分からん。あいつはどんな毒でも臭いと見た目なんかで見抜いてしまう。俺は毒を仕掛けた人間や関係者がその場に居なければ見抜けないからな」
「へえ、じゃあ師匠より強かったの?」
「7歳になる頃には抜いてしまったけどな。だが間違いなく今後狛の村で一番強いのはあいつだ。きっと、あいつが生きている限りはな」
――。
やがて二人は胸を突き、首を切り落とし、互いに息絶える。
その様子を見ていた全ての村人は、ようやくそれを理解した。
甘美な誘惑というものは、ただの誘い文句でしかない。
「お前ら、見ただろう!! 二人の悲痛の表情を! 魔物となっても快楽の世界等有りはしない!」
唇から血を流し、リシンは叫ぶ。
魔物となっても尚苦悶の表情を崩さない二人を早く楽にしてやりたくて、しかしより多くを救う為には理解させるしか出来なかった己の無力さを嘆きながら、言った。
「先の三人の自殺は立派だったと俺は讃える。魔物にならぬよう、甘美な誘惑にも負けず、自らを律して自らを殺したのだ。……お前達はどうする?」
相談されなかったことは悔いている。
しかし魔物になりそうだなどと、誰かに相談するのは難しかったのだろう。
リシンは並び始めた全ての村人達を、なるべく苦しまない様に、人として、同じ村人としての尊厳を持たせたままに殺して行った。魔物となってしまった村人も魔物派となっていた人々に火葬場に運ばれ、他の皆と同じ様に供養されていた。
……。
「……リン。苦しかっただろうに、最後まで付き合ってくれてありがとう。おかげで皆人として死ねただろう」
並んでいた最後の村人を斬り、そのまま火葬場に運び込みながら、隣に並ぶリンを見る。
しかし彼女のその瞳は既にリシンを見ておらず、苦悶の表情と血の涙を流して遺体を運ぶ、……魔物となっていた。
「リン……ありがとう」
リシンはその胸を一突きにして……。
自らの首をも切り落とそうとした所で気づく。
「……魔王討伐軍の、あの下らない連中を殺さなければ」
そうしなければ、この苦しみは消えない。
村人達を殺し、リンを殺し、今も尚自分を苦しめ続ける魔王討伐軍を、殲滅しなければいけない。
何かが間違っている様な感覚に苛まれながらも、その本能が、現実は確実に奴らが元凶だと語っている。
理由も分からず、死ななければならない感覚もある。
得体の知れない矛盾のせいで上手く頭も回らないが、やるべきことはきっと、一つだけだ。
――。
「エリー、オリヴィア、イリス……、死ね」
リンの首を大切そうに抱えたリシンは、三人に向かってそう宣言した。
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