第九話:……ねえオリ姉、鏡見た方が良いよ

 その戦いは、凄惨を極めた。


 最初の一手で翼を傷つけられ南の森の中に落ちようとするドラゴンは、まず被害を大きくしてやろうとオアシスに向けて火球を放つ。

 直径5mはあろうかという火球に民衆が畏怖を覚え各々身を縮こまらせる。

 それが落ちれば、きっと爆発してオアシスは半壊する。

 逃れる術は、既に思い浮かばない。

 そう思った時だ。


「だぁいじょぶだって、みんな安心しなさい。私が必ず守るから」


 そんな声と共に再び、心が穏やかに満ちていく。

 皆の意識が火球からその声の方へと映ると、やはりこの声の主は例の少女だ。

 身長150cmもない、小柄な10歳ちょっとに見える少女。

 そんな少女が、身の丈ほどもある盾を持って火球の着弾点に向かっている。

 盾を持った所であれの直撃を受ければあんな小さな少女、ひとたまりもないはずだ。

 何も解決はしない。

 そうは思うものの、心の中に一度芽生えた安心感は彼女の無謀な突進を止めるには至らなかった。


 直後、ボゥンという音と共に、火球が掻き消える。


「ふう、あっつ。この盾は特別だから大丈夫。あ、今その大剣に触ったら死ぬから近づかないでね」


 特に大したことでもなかったかの様に少女は言う。

 言われてみれば、少女が地面に突き刺した武器の一本、巨大な大剣が真っ赤に染まり、凄まじい熱を放っている。


「この盾とその大剣はセットの宝剣でね、盾で受けたエネルギーがそっちに移動するの。さ、姫様観戦しましょ」


 何を言ってるのだと皆が思いたい所ではあるが、確かに宝剣であれば納得せざるを得ない。

 この世界には、ある特殊な素材を使った武具が存在する。

 それらは特殊な力を持ち、勇者の能力と合わさることでその力を最大限に発揮する。

 人を選ぶ剣も多い。

 彼女はドラゴンの火球を受け止められるほどのそれをいとも簡単に操っている。

 そういう意味でも、何を言っているのだ、と思いたい。


「ほらほら、そんなぽかーんとしてると見逃すわよ」


 言われて民衆は、はっとドラゴンの方に向き直る。

 見るとオークならば簡単に防いでしまう森の木々はなぎ倒され、オアシスの背を向けるドラゴンがよく見える。

 そんな真っ赤なドラゴンは、既に鮮血に染まっていた。

 真っ赤なドラゴンが、鮮血で赤黒く、変色し始めていた。


「オリ姉はでかい相手だと一撃で仕留めるのが難しいからあんなんなるのよねえ」


 ドラゴンの巨大な肉体から、しばしば血が吹き出るのが見える。

 それを眺めていると、相手は魔物でありながらうわぁと引いてしまいそうな程に凄惨な光景が広がり始めた。

 まず、ドラゴンの右翼がばさりと音を立てて地に落ちる。

 それが苦痛なのだろう。右肩を持ち上げた所、次いで左前足が切り離される。

 軸足、体重を支えていたその前足が不意に無くなり、ドラゴンはズシンと大きな音を立てて左肩から崩れ落ちる。


 そうなってしまえば、後は簡単な話だった。

 浮いた右前足が落ちる。すると最早相手のことなど気にする余裕がなくなったドラゴンは首を上げて苦痛を叫ぶ。

 ガードの意識が無くなったその首をぼとりと落として、御終いだ。


 ……。


「ふう、お姉、聖女様の森がぼろぼろになってしまいましたが、街の方は大丈夫でしたか?」


 森の方から、王女様が歩いてくる。

 いいや、王女様らしき人物が、歩いてくる。


「あーと、オリ姉のせいで大丈夫じゃないかも」

「なんですの?」


 返り血で体の8割ほどが赤黒く染まった王女様らしき人物が、小さな少女に少しの不満を訴えながら歩いてくる。

 そして民衆達の前までたどり着くとにっこりと笑って言う。


「それで、被害はありますか? 国で保障いたしますが」

「………………」


 民衆はオリヴィアの言葉に答えない。

 当然だ。ドラゴンを一人で屠る様な化け物が、体を真っ赤に染めながら不満げな顔をしたかと思えばにっこりと笑ったのだ。

 怖い。

 ドラゴンの倒し方でもそうだ。

 あんなに血が出る倒し方をしなくとも、とつい思ってしまう。

 いや、倒し方以前に、本当にドラゴンを一人で倒してしまったのだ。

 本当に鬼神の弟子でなければ、有り得ないことだ。

 ……怖い。

 それが、民衆の中で一致していた。


「……ねえオリ姉、鏡見た方が良いよ。あと、被害はないから大丈夫」

「鏡? まあ、被害がないなら良いですわ。森は対策した方が良いでしょうか」

 オリヴィアは奇跡的に血の少ない部分を見て首を傾げる。

「……流石にそのくらいは自分達でなんとかするってさ」


 命のやりとりでアドレナリンが出まくったオリヴィアは、まだ自分の体の状況に気づかない。

 目の周りは返り血を見事に回避している為、尚更赤い瞳だけは優しい感じに見えるのが恐怖を誘う。

 笑顔で人を嬲り殺しそうな見た目だ。

 そんな彼女は今日この場所から、『雷姫』や『サンダープリンセス』と呼ばれることはなくなった。

 一体誰が呼んだのだろうか、『血染めの鬼姫』それがオリヴィアの、新しい異名だった。

 もちろん、それが広まるのはもう少し後の話だ。


 ――。


「うわ、なんか凄いことになってますわね!?」

「鏡見ろって言ったじゃん」


 オアシスの温泉施設、鏡を見たオリヴィアはようやく自分の状況を理解する。

 服までもが染まっているのはもちろんのこと、自慢の真っ赤な髪の毛もべっとりと固まっていて、ホラー系の魔物も真っ赤、いや、真っ青になるほどに恐ろしい見た目になっている。


「オリ姉、めちゃくちゃ怖がられてたからね」

「な、でも、わたくしが王女だということを皆さん分かってらっしゃるはず」

 グレーズ王国の王女は絶世の美女で有名だ。

 かつて首都を襲ったドラゴンにショックを受けて引きこもってしまったと言われ、なんとか元気になって欲しいと願っていた国民は彼女のことを応援していた。

 そんな実績を持っていることをオリヴィア本人も自覚している。

 しかし、現実はそう甘くは出来ていない。

「だから余計なんだよ……、オアシスに着いてから怒ってばっかりだし。今回の騒動で皆逆らったら死刑にされるって思ってたよ」

「死刑なんて言ったのはエリーさんですのに……」

「ま、後でそれとなく精神誘導しとくから」

 本気でショックを受けた様子のオリヴィア相手にバツが悪そうなふりをして、エリーは言う。

「あまりやるのは良くないですのに……」

 オリヴィアも自分の株が下がるのは避けたいのだろう、それしか言えずに、二人で一緒に風呂に入る。

 冷静になったオリヴィアがお湯を浴びると、至る所に出来ていた擦り傷に今更ながら気づき痛い痛いと苦しんでいるのがとてもドラゴンを倒せる勇者には思えなくて、少し面白いと思ったエリーだった。


 ――。


 いったい誰が呼んだのだろうか、『血染めの鬼姫』 それがオリヴィアの、新しい異名だった。

 いったい誰が呼んだのだろうか、『小さな守護神』 それがエリーの、新しい異名だった。

 本当に、いったい誰が呼んだのだろうか。

 それを知っているのは言わずもがな、世界で一人だけだ。


 そう、『狛の村の守護神』で『鬼神』の弟子の……。

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