歴史教師と時空の落とし穴(15)

千馬章吾

15

「はああぁぁぁ……。さて、ここはどこに当たるのかしらねぇぇ……。」

 流石の暦も、そろそろ精神的にまいってしまう頃合いだろうか。暦自信がそう考えていたのだった。

 よく見れば、向こうに屋敷らしきものが見えたのだ。毎回可笑しな所に放り出されるかと思えば、必ずや目の前にオアシスがある。いつもこんなパターンだ。どんなイタズラ好きの神様はいるのだろう、と暦は思うのだった。

「御屋敷よね。まさか悪代官屋敷じゃないわよね。江戸時代でない事は確かだし。でもどうかしら?そうそう。幾ら美人で礼儀正しいから特別に泊めてくれるにしても、悪人ばかり集まった家じゃ、売り飛ばされたり、気に入られれば監禁されて家主様と強制結婚させられたりして淫らな事を毎日存分にされたり、それでもやがて飽きられたなら捨てられるか、ううん、…やっぱり売り飛ばされたりしてね………。恐いなぁ。昔は間違いなくそんな事あったと思うと、身の毛が弥立つわね。それにただでさえ今、私は、私は………もう、この状況、一体…一体…一体全体…何がどうなってるのよお!もう!ウルウル…………。」

 流石に、いつもは強気な暦も、とうとう涙が溢れた。でももうすぐ終わるかも知れないのだからとそう思えば、流すのはやめたのだ。泣いたりしても体力を消費するだけなのだから。

「まだ泣かない…泣かないわ、私…もうすぐ帰れる…私はきっと助かる…きっと。」

 そう信じて、暦は屋敷まで歩いて行く。この大昔に、分からない所をブラブラして、もし狼やら虎やら何やらの猛獣に襲われて食われたり、遭難してのたれ死ぬぐらいなら、まだ悪代官や賊の親分の妻にでもなった方が、もしくは売り飛ばされた方がそちらで幸せに暮らせる可能性も、僅かならば無くはないだろうと、そう思ったのだ。動物に捕食されるのだけは頂けない、それは一番痛くて苦しいだろうからとそう思った。死に方そのものが、人間としては最も哀れだろうと思ったりもした。こんな所で白骨になるのは嫌だった。

 何だかんだ考え巡らせるうちに、屋敷に近付いて来た。

 やっぱり門の前には門番がいた。左右にいるので二人だ。右にいる方は、あの時古墳に来た者の一人と服装はそっくり似ている。いや顔もそっくりだった、いやいや同一人物なのかも知れないが、向こうは覚えていないようだった。いやそれも違った、と暦は思った。何故ならば、時間をまた更に過去へと遡ったからだと、そう言う事になると考えたからだった。

「ん?おぬし。若き女か。見掛けない身なりと顔をしておるな。まあ良い。娘よ。ここは卑弥呼様の御屋敷だが、何用かな?もしや道にでも迷われたか?」

「え、あの……あ、はい……。道に迷ってしまいまして。」

「そうか。ならば暫しこちらで休むが良いぞ。卑弥呼様に話を付けてみるとしようぞ。」

一人の門番が言うと、もう一人の門番も、

「そうじゃ、それが良い。私からも卑弥呼様に御願いしたいものじゃ。じゃが、話は中の者がしてくれるじゃろうな。」

とこう言うのだった。

 門番が二人共いい人そうで良かったと、暦は一安心したのだった。そして、邪馬台国を創った卑弥呼様の御屋敷だと分かったのでもう一安心だ。後は、卑弥呼様がどんな方なのか、卑弥呼様は御優しいのか?それとも非常に冷たいのか?と正直心配だが、この門番の人柄次第で、大よその見当は付いた。

 ここで何やら、二人の門番はヒソヒソと放していた。暦はこう見えて地獄耳なので、殆ど丸聞こえだった。

「おい、この人、卑弥呼様にも劣らぬぐらい美しくないか?」

「そうじゃの。いやいや卑弥呼様より美しいかも知れんぞ。」

「おお、御前もそう思うか。矢張りな。そうじゃな、後は卑弥呼様が嫉妬などせねば良いのじゃが。だがあの方は常は心は御広い。きっと大丈夫じゃろう。」

「そう、じゃな。」

「ああ。」

(あらやだ。私が卑弥呼様にも負けないぐらい綺麗?なんて……照れちゃう…でもまさか、私に聞こえるようにわざと言ってる?なんて思っちゃったり…。でも卑弥呼様がそんな私に嫉妬するかどうか、かあ。それは一つの問題かな。それで私を追い出したりするかもって?それもそうよね。さて、細かい事考えるのはもう抜きにしましょう。疲れてるしね。)

 そして門が開く。右側の門番は屋敷の玄関へと向かい、暫くして帰って来た。

「正面口の門番にも事情は放したら納得してくれたぞ。他、中の者も皆おぬしの事を大歓迎じゃと申しておる。おぬし。さあ入るが良い。」

と右側の門番。

「はい。有難う御座います。いえあの、忝(かたじけ)のう御座います。では御邪魔します。(きゃあ嬉しい!大歓迎だなんて!)」

「遠慮はいらん。さあ堂々と入るが良いぞ。後は挨拶さえ忘れなければ大丈夫じゃて。中の者と問題を起こす事は無いじゃろう。ではごゆっくりと。この邪馬台国を治める女王卑弥呼様には粗相のないようにな。」

と左側の門番は言う。

 そして暦は脚を揃えて御辞儀をすると、門を潜って屋敷の中へと入る。

「おお、美しい迷い人とはおぬしの事か。伺った通りじゃな。」

「そうじゃ、そうじゃ。さあ通るが良い。」

と正面の扉が開く。

「はい。では失礼致します。(うわあ、やっぱり、門番が男の人だからかも。門番が女だと、それこそ女の私は、僻まれたり怪しまれて追い出される可能性が高かったかも。うふふっ。)」



「わらわは女王卑弥呼と申す。見ての通りじゃが、ここの主じゃ。ほう。おぬしは迷い人か。顔立ちは美しいが、おぬしの着物が少しばかり泥で汚れておるな。」

(着物……。あ、そうか。この時代だもんね。背広やスーツなんて言葉さえも知らない時代ね。でも古墳時代も素晴らしいわね。少なくとも平成時代の人達よりは皆、立派かも。私の時代の日本人なんて皆平和ボケ、幸福ボケしまくりだし。)

「さておくが、おぬし。何度見てもわらわに劣らぬぐらい美しいのお。さて。こんばんはここで泊りなされ。客用の着物があるが、着替えなくてよいのか?」

「はい。また後程で結構です。でも服の汚れは拭き取りますので。(ああーあ、綺麗な着物かあ。ちょっとは着てみたいなあ。でもぉ、今じゃ無理よね。)」

「そうかそうか。では下の者に紙を用意するぞえ。表には井戸がある。そちらでは顔などもしかと拭くとええぞ。」

「は、はい。有難う御座います。あ、いえあの……。か、忝(かたじけ)のう御座いまする。」

(やった。やっぱり泊めて下さるのね。矢張り卑弥呼様って御優しいのね。ここは紫式部様と似ているかしら。ええきっと。だからこうしてこの邪馬台国の女王様が勤まるのだわ。ドイツの独裁者ヒットラーや、白雪姫やシンデレラに出て来る継母(ままはは)なんかとは違うんだわ。それも当然よね。)

 暦は、またも客室らしい広間に案内され、そこで休む事になった。

(やっぱりずっと緊張してるから身も心も疲れるの早いなあ。眠れるだけでも幸せね。すうぅ……すうぅ……。)



 誰かに叩き起こされた時には、もう表は静かで暗かった。

(夜中…………?で、誰?)

「ひいい!」

 軽く悲鳴を上げていたのは、あの外にいた右側の門番だった。

「あら。どうなさったのかしら??」

と暦は目を大きくする。

「大変じゃ、娘。卑弥呼様が、いつもより多く御酒を呑まれたようで、悪酔いされておりまする!それで貴女様を追い出し、いや、貴女を海へ投げ込むとか仰っておりまする。…あ、あ、あ、あ、あ。卑弥呼様!どうか、御静まりなさいませ!御許しを!」

「ええい!ひっく。黙れいぃぃ!うう、ひっく。」

「はっ…………。そんな。」

と暦は青ざめる。

 顔を真っ赤にした卑弥呼は、ナイフ…いや、包丁…いや、小刀を持って般若顔でこちらまで迫って来るのだ。

「いつも御優しい卑弥呼様が!飲酒によって御人が御変わりになられるとは稀な事です!」

「門番のおぬしなんじゃな。そんな小生意気で薄汚いドブネズミのような小娘を、美しいわらわの、こんな美しい屋敷へと襲うなどと初めにほざきおったのは!ああ歯痒い!許しておけぬ!二人共、死ねえ!死ねえ!そして海の藻屑となるが良いわ!ひっひっひ。」

(そんな!卑弥呼様って、酒癖がこんなに酷くなるの?それとも、隠していた本心を曝け出す際に、御酒でそれを誤魔化そうと…………?ああ、このままじゃ私達二人共やられちゃう!あ、せめてこの人だけでも助けたい!よし。)

「女王卑弥呼様!」

暦は不意に立ち上がると、卑弥呼に向かって叫んだ。両手を伸ばし、両手とも握り拳だ。

「んん?なんじゃ?小娘。ひっく、ひっく。」

「あのう、悪いのはこの人じゃなくて、私で御座います!卑弥呼様!だから、私はどうなっても構いません!殺すのであればどうかこの私を殺して下さい!この殿方だけは、助けてあげて下さい!」

 暦はこう言うと、その門番を両手で抱きかかえるようにしながら庇う。またゆっくりと腰を下ろした。

「ふっ。そうかえ。ならばそうしようかのう。門番の命は助けてやる。御前を葬り去ってやる!覚悟は良いか!じゃが、矢張りな、この門番にも仕置きはせねばなるまいな。門番の方は百叩きと減給じゃ!ふっふっ!」

「そんな!もおお、やめてよ!この、この、このオニババアアアアアアアア!羅刹女(らせつじょ)!山姥!いかれミミズ!(滝汗)呑んだくれええーーっっ!!」

 暦はとうとう我慢出来なくなり、思い切り足で卑弥呼を蹴飛ばしたのだった。

 卑弥呼はそのまま一メートル吹っ飛び、壁に後頭部をぶつけて転倒した。卑弥呼が怯んでいる隙に、二人は走って逃げた。暦は門番の手を引いていた。

「娘よ!わしはどうなっても構わぬ!卑弥呼様が正気に戻られるまで、おぬしだけでも逃げるのじゃ!」

「そんな、なりません!貴方様は悪う御座いませんもの!」

「御人好しじゃの、矢張りそなたは、身も心も美しいのぉぉ…………。」

 二人は正面玄関で靴を履くと、取り敢えず外へと急いだ。卑弥呼の酔いが覚めるまでは、逃げ伸びる事が先決だとそう思ったのだ。

「待てぇぇぇぇぇぇぇぇ!!逃がさぬ!!ういぃぃっっ……。」

「卑弥呼様が追って来ますぞ!逃げなされ!」

「駄目!一緒に逃げるの!私が食い止めるから、貴方が逃げて下さい!さあ!」

と暦はまたも門番に言うのだった。

 その時、何かが現れた。

「娘さんよ!わしの背後に、滑稽な色をした穴が現れたぞい!」

「きゃあ本当!あららあ、私の後ろにも!」

 二つも次元の裂け目がある。二人はそれぞれ吸い込まれる。

「門番さん!大丈夫ですかああ!あ、では卑弥呼様。さようなら……うるる。」

(何とか助かったわ。井戸の水で顔とか洗えなかったのは仕方無いわよね。足もストッキングの上からでいいから、洗いたかったなあ、ああ~あ…。でも、私も門番様も無事で良かったかしら……。そうだわ!古墳時代後期に出て来た見回りの豪族らしい人の一人が、あの門番様と同一の人かしら?と言う事は、やっぱりあのまま未来へタイムスリップして転がり込んで豪族の仲間に?そうとしか考えようがないけど、どうかなあ?他人の空似とか子孫にしてはあまりにも顔が双子のようにそっくりだわね。でも私以外の人が時空間に吸い込まれるなんて、あれが初めてだわね。でも、あの門番様はきっと無事なのよね。門番様は古墳時代の前期から後期へ、かあ。あれが偶然ならあれからタイムスリップはしないのかしら。私はどんどん過去に行ってるけど。……ああ、次はどこ行くのかしらね……。)

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