歴史教師と時空の落とし穴(11)

千馬章吾

11

「ここが客間じゃ。ゆっくり休んで行くと良いぞ。遠慮はいらんからの。」

式部は客間と言われる広い屋敷に布団を広げて準備すると、暦を迎え入れてくれた。

「はい。では、御言葉に甘えさせて頂きます。(当然ながらだけど、空海様の御寺の座敷より数倍広いわね。まあ、御寺と屋敷だもんね。それに、空海様の場合は、修行されていたんだし、広いと落ち着かないわよね。じゃ、休もうかしら。)」

「ふむ。わしは突き当りの部屋で書き物をしておるからの。何かあればいつでも呼んでくれるが良いぞ。」

「はい。御恩に着ます。紫式部様。では、暫く御厄介になります。御休みさせて貰いますね。」

と暦は頭を下げる。

「ふむ。おほほ。そう他人行儀にならなくとも良い。では、失礼。暫し休まれよ。」

「はい。改めて、御恩に着ます。」

と、暦は布団の横に正座し、尚深く頭を下げる。

「うむ。(それにしても、矢張り見慣れん格好じゃのう。一体全体何者なのじゃろうか。悪い人間でない事は、目を見れば分かるようでもあるのじゃが……。あれでどこぞの刺客(スパイ)でなければ良いのじゃが。まあ大丈夫じゃろう。暫く様子を見るとしようか。)」

 こう言うと、式部は襖を静かに閉めると、十二(じゅうに)単衣(ひとえぎぬ)もの厚い和服を引き摺りつつ、部屋を去って行く。着物を引き摺る音が微かに廊下を響かせている。

「ああ、式部様。御休みなさいませ。(それにしても、あれじゃ暑そうだわね。いや、絶対暑いわ。真夏にあれで外なんか出たりしたら、私なんてあっと言う間に日射病だわ。ああぁぁ、見てるだけで暑苦しくなって来るようだけど、式部様だから私は見てて感動する。)」

暦は両手を合わせて、式部にいる方へ向かって拝む。そして、ゆっくりと布団に入って寝る事にしたのだった。

(さて。寝ようかしら。ええと、ショルダーバッグの中にパンプスはちゃんと…入れてあるわね。よし、と。それから、ショルダーバッグは、ちゃんと抱いて寝るように…と。うん。これでよし、と。)

「ふわあ。さっきも寝たけど、緊張して神経を使ったから、またゆっくりと眠れそうね。でも、もし寝ている途中に変な所に時空転移しちゃったら、ヤダなあ……ちょっと不安……。だけど、式部様には大いに感謝、感謝、と。会えて良かったなあ、式部様。私の幸せ幾分を分けて差し上げても良いかも…だって、あのままじゃ私は行き倒れてたかも知れないし……でもこれが夢だったらどうしよう…ううん、そんな筈ない…わ。…そんな…筈…。すやすや。」

ごちゃごちゃ考え巡らしつつも、いつもより心身の疲労があってか、暦は眠りに付く事が出来た。



「あら、ここはどこかしら?私、起きてるの?やっぱり、寝てるのかな?ぼうっとするような、しないような?不思議な感覚ね。微かに頭痛いし。夢の世界かしら?さあ?」

 その時だ。

「んっ?!うわあ、な、何?!何なの……。」


「へい!彼女!俺と一緒に大暴れしようぜ!どうだい!はっはっ!!ふふはは!!」


「きゃあ!な、な、何!何が起こったの??は!もしかして、貴方は!大塩……。」

「俺は、大塩平八郎さ!別嬪さんだな!これから面白いぜ!いつもは陽明学が大好きさ!だがな、今から俺が起こす、この反乱は学問以上に面白くて凄いんだぜ!ふっふっ!」

「大塩平八郎さん!あ!分かったわ!…『大塩平八郎の乱』…だわ。一八三七年。江戸時代ね。でも、何がどうなってるのかしら?ここはどこ?」

(「大塩の乱」とも言うわね。一六三六年から約一年間に渡って起きた、「島原の乱」以来、二百年ぶりの合戦であったそうな。いつも、学校のテストには必ずと言って良い程出る歴史問題だったわね。相当大きな合戦だったのだわ。でも、どうして急に…?時空転移…?だとしてもその割には、変な場所だし。私と大塩様以外は、何も見えない。どうなってるの?かしら?)

 真っ暗な、この暗闇の空間の中にいるのは、暦と、刀を振り上げた大塩平八郎と言う男だけだ。

「ふっ。誰にでも堪忍袋と言うものがあるわな。御嬢さんよ、あんたもそう思うであろう。農民が如何に苦しんでおるかを、実力行使で分からせてやるのじゃ。さて、参る!」

 大塩平八郎は、暗闇の中に消え入るように姿を消した。

(いやあ待って!……私は、どうなるの……はっ!)

 また新しい人物が、暦の目の前に姿を現した。しかし、周囲は真っ暗闇のままなのだ。

「だ、誰?何方(どなた)ですか?(あ、あの人、何か変な物持ってる……?エ?エレキテル!?そうよ!間違い無いわ!横にある大きな機械。手に持ってるあれは、エレキテルの電線だわ!静電気発生器だったわね。と言う事は……平賀源内(ひらがげんない)様!江戸時代の博物学者、平賀源内様ね!!うひゃあ。次々と会えるのは嬉しいんだけど、でも、嬉しいような恐いような…………。)」

「ふうぅぅ。漸く、修理して復元出来たぜ。私の、エレキテル。やれやれだな、」

と源内。間違い無く平賀源内だ。一七七六年頃、エレキテルを復元したのは確かに彼である。

 でもここがどこやら分からない暦は、大凡(おおよそ)ビクビクするばかりだ。

 源内は、こちらに向かって迫って来る。電線を手に持ったまま…………。そして大声で暦に向かってこう言ったのだ。

「へい、そこの彼女。一緒に、新しい刺激体験しない?このエレキテルでな。」

「いやあ、やめて下さい。やめて下さいませ。源内様。あ、あ、危のう御座いますぅぅ。(危ないのかしら?殆ど静電気だから、大丈夫かしらね。あ、でも、ストッキング穿いてるし。静電気だって、急に弾けたら痛いもの…………。電圧だって増すかも。それに、これって本当の源内様なの?こんな俗っぽい人だとは思えないんだけど?やっぱり、くたくたに疲れた私の頭が、勝手に創り出しているだけじゃ…………それにしても、恐い。例え自分の創った人物だとしても……。)」

 もし強い電気に感電してしまったらと思うと震えるし、脚にエレキテルを突き付けられたら、あっと言う間に伝線して、ナイロン製の薄手ストッキングなんて、燃えてボロボロに破けてしまう、だからそれも嫌なのだ。

「恐かねえよ、大丈夫さ。へっへっへっ。」

 源内はどんどん迫って来る。暦は、足が竦んで、逃げるに逃げられない。そもそも、どこへどう逃げたら良いのかさえ、分からないのだ。

「有難う、御気持ちだけでも嬉しいです。なので……。」

「ん?何だい?どうしたのかいな?御嬢さん?」

「あ、あ、あのう……………この私からも、……新しい刺激体験、…どうですかああぁぁぁぁぁ!!ええいぃぃっっ!!」

「うぐわっ!何だか、す…す……酸(す)いなあぁぁ…。嗚呼(ああ)嗚呼アアァァ……ァァ……。」

暦は、一か八かで、脱いだパンプスを源内の鼻と口元に思いっ切り押し当てた。源内はエレキテルを掴んだまま、後ろに倒れた。

「これでどうですか?んん?」

暦は更に、蒸れたらしい(例え夢の中でも、足は蒸れるのか。そのようだ。)ストッキングを履いたままの足裏を、源内の鼻に押し付けた。

「女性に向かってこんな嫌らしい事をしては駄目ですよ。ねえ源内様。はい。恥ずかしいけど、御返しよ。『目には目、歯には歯。』ですものね。でもこれじゃ、目には歯、歯には目みたいになるかも知れませんけど。うふふ。貴方、本当は紳士なんでしょう。目を覚まして。御願いね。電気は人に向けちゃ駄目。」

 暦は、やけに怒っている様子だ。疲れている時に突然あんな事されそうになったのだから。

「すみませんでした…もうしません…淑女に対し、このような粗相を、申し訳ありません…でした…。」

「はい。宜しい。もういいわ。許してあげる。」

 にっこり微笑んでこう言うと、暦は急いでパンプスを履き直す。靴は失くせば困るからでもあった。

 その時、顔が真っ赤にしたまま嬉しそうな表情の源内の姿は、また闇へと消えた。

(源内様の生涯って確か、…そう、獄死だったわね…。一七七九年の夏には橋本町の邸へ移るんだけど、大名屋敷の修理を請け負った際に、その時は酔っていて、修理計画書を盗まれたと勘違いして二人を殺傷してしまったそうね。それで十一月二十一日に投獄され、十二月十八日に牢屋の中でお亡くなりに……嗚呼、源内様。幾ら自業自得と言えど、やっぱり可哀想。でも私には助けられないみたい。折角時を駆けてると言うのに、信長様に続いて、またも見殺しなのね。嗚呼、悲しい事、見苦しい事、極まりないわ。まあ楽しかったところもあったけど……でも、勝手に未来を変えるのは、やっぱり無理なのかしら。はぁ。可哀想。源内様。きっといつかは天国へ行けるから、元気でね……………私、忘れないから……歴史教師だし、それも当然だけど…。)

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歴史教師と時空の落とし穴(11) 千馬章吾 @shogo

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