歴史教師と時空の落とし穴(5)

千馬章吾

5


一七一五年には、金銀の海外流出を防ぐために白石が実施した「海舶互(かいはくご)市(し)新例(しんれい)」と言う長崎貿易の制限がある。長崎新令・正徳新令とも言う。

幕政の三大改革①としては、享保の改革(一七一六~四五年)と言うものがある。八代将軍吉宗が幕府権力の強化と財政立て直しを目指し、実施した改革だ。だが年貢増徴、享保の大飢饉により、農村は疲弊。百姓一揆や打ちこわしが急増し、社会は大きく動揺した。

目安箱と言う投書箱が設置され、小石側薬草園や小石川養成所、町火消などが実現した。

当時、金融業の事を「札差(ふださし)」と呼んでいた。

九代家重・十代家治に仕え、側用人から老中となった田沼(たぬま)意(おき)次(つぐ)の政治は、一七五七~八六年に掛けて行なわれた。銅・鉄・朝鮮人参などに座を設ける「専売制」があった。

一七八七年、老中に就任した松平忠信は十一代家斉を補佐し、農村の復興と緊縮財政を基本とする寛政の改革を行なった。幕政の三大改革②に当たる。しかし、厳しく改革を断行したので民衆の不満が田高まり、六年間で罷免された。

十二代家綱の信任を得た老中水野忠邦は一八四一年に、幕政の三大改革③となる店舗の改革を実施したが、成果が上がらず、以後、幕府権力は衰えて行った。これは一八四三年で終わった。風俗を取り締まり、奢侈な菓子・料理・衣服を禁止した「倹約令」、自由競争を奨励し、物価を引き下げる事を目的とした「株仲間の解散」などがあった。他には農村を復興させる為、農民の出稼ぎを禁止し、出稼ぎ者は強制的に帰村させた「人返しの法」、江戸・大阪付近の大名領五十万石を直轄領にしようとしたが、大名・旗本の反対に遭い実現しなかった「上知令」など。

塀の前に座り込み、どうしようもなくぼうっとしていた暦は、再び教科書を開いて色々復習していたのだった。

バッグの中を弄(まさぐ)っていると、奥の方から、皺くちゃになったメモ用紙が出て来た。

懐かしみながら、暦は思い出す。重要箇所だと参考書に書かれていた事を、紙切れによくメモして、暇があれば、出掛ける時に持ち歩き、読み返した物だった。たった一枚だけ、残っていたのだった。

江戸の「地租改正」について書かれていた。

実質的に一八七三~一八八一年に掛けて行なわれていた。


1.江戸時代の禁令を解く。

①田畑買勝手作の解禁(一八七一)。

②田畑永代売買解禁(一八七二)は、後に地券交付に。 

2.地租改正条例(一八七三)

 ①課税基準を収穫高から地価へ。

 ②税率は地価の三%(一八七七年に二.五%)。

 ③税金は土地所有者(地主)が金納。

 ④小作料は現物納のまま。

 ⑤寄生地主制の成立。

3.各地で地租改正反対一揆…愛知・岐阜・堺・茨城・三重など。


他、徴兵告諭(一八七二)、徴兵令(一八七三)。

 主な士族の反乱として、佐賀の乱(一八七四)、廃刀令(一八七六)、神風連(敬神党)の乱(一八七六)、秋月の乱(一八七六)、萩の乱(一八七六)では士族が挙兵、西南戦争(一八七七)では西郷隆盛、東上。


 一八五三年、ペリー来航、一八五四年、ペリーが再来し、日米和親条約が締結される。

 一八五六年、初代駐日総領事ハリスが下田に来日。日米修好通商条約が結ばれる。オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも結ばれ、安政の五カ条上役とも言う。

 一八五八~五九年、井伊直弼は通商条約に反対する尊攘派を弾圧。橋本左内・吉田松陰らが処刑された。これを安政の大獄と言う。一八六○年、水戸の浪士らが井伊を殺害(桜田門外の変)。

とまあこんなもんである。以上。



 道を歩いていると、暦はうっかり、犬の尾を踏んでしまった。犬は怒って足首に噛み付いて来た為、反射的に犬を思い切り蹴飛ばしてしまった。その時だ。

「犬虐待だあ!ひっ捕らえよ!御用だ、御用だーーっっ!!」

向こうから役人が走って追い掛けて来る。

「しまったわ!!」

 そしてまだ幸いにも、次元の裂け目に吸い込まれた。また時空間なのだろう、と暦は思った。暦が消えると、その裂け目も閉じて無くなる。

 このような時空間に吸い込まれると、何処に飛ばされるか分からないと言うのは、恐いものだ。しかし、どう考えても、順々に過去に飛ばされている。このまま縄文時代まで遡って行ってしまうのだろうか。そして最後はどうなるのだろうか?



 ここは、荒野みたいだが、何処なのだろうか?

 東からは馬に乗った赤組の武士が、西からは馬に乗った青組の武士が、無数に押し寄せて来る。

「うおらあああああ!」

「とりゃあああああ!」

速攻で、矢や火の子が飛んで来た。何と、自分は戦地のど真ん中にいると暦には一瞬で分かったのだった。

「きゃああ!助けてええ!」

これは、恐らく、一六○○年の、関ヶ原の戦いだろうと暦は思った。暦の顔面に矢が当たろうとしたその矢先、暦はふっと消えてまたワープする。



 ここは。何処だろうか?むむ!やけに暑い所だ。むむむ!御寺が火事?

「切腹!無念……………………。」

「キャアアア!」

目の前には刀で切腹した織田信長氏が。鮮血が飛び散り、暦の上着に少し掛かり、パンストを穿いた暦の脚には結構多く掛かった。そう、これはどう見ても信長だった。

ここは、一八五二年の、本能寺の内部だと暦にはすぐに分かった。「本能寺の変」だ。明智光秀の謀反によるものだ。天目山の戦いで、武田信玄氏は倒されたが…………。

「冥福を祈ります。織田信長さん…………。」

暦は、両手の皺と皺を合わせ、祈りを捧げた。

 リアルで本能寺の変が見られるなんて、……でもあまりにも惨いわね。改めて感じちゃった、と暦は思った。

「ああ、余りにも可哀想、信長様…………。天国へ行っても元気で過ごして下さいね。」

これで本当に天国とか言う所に行けたなら、永遠に元気でいられるのは当たり前だな、と暦は思う。

「このままだと御気の毒過ぎて仕方無いわ。そうだ。そろそろパンスト穿き換えようかしら。常備のが一足あったわね。それに、これはもう蒸れちゃってるし、よく見ると伝線してるし、血で汚れちゃったしね。もういらないわね。」

こう言って暦は穿いていた古いベージュのパンストを脱いだ。相当蒸れて伝線までして、オマケに血も付いてしまったのだから。

「ワープしてしまう前に、信長さんにプレゼント。はい、私のストッキングどうぞ。それと、良かったら私の足の匂いも。私が、まだ若くて美人で良かったかなあ、自分で言うと何だけど。」

暦は、自分の素足の足指を信長の鼻の穴周辺に擦り付けるようにして撫でる。AV用語で言う足責め、匂い責めと言うやつだ。本当に信長がこれで喜ぶ筈はないとしても、あくまで御供えなのだと思った。あ飴玉も一つ持っていたので、飴玉もポンと口の中に入れてあげた。脱いだパンストのつま先部分を、遺体となった信長の鼻に宛(あて)がうようにして、パンストを捧げて信長の亡骸の上にそっと乗せた。

 そして暦は、新しいサブリナ・ノンランと言うベージュのパンストを取り出して、汗だくのまま床に座って穿き始める。

「最後に………Cカップ程度だけど、私の胸枕、良かったらどうかしら。喜んで貰えたら私も嬉しいわ。ふふ……ふうう……。」

暦は涙ぐみつつも涼しく微笑み、信長の頭を胸に当てながら両手で抱いてあげたのだった。

「私もこのままここで焼け死んでしまうのかしら?でも、信長様が一緒なら、私……。」

先程までは家康様とか言っていたのに、次は信長様などと、まるでこんな自分は、「時を駆ける男たらしの尼」とでも言うものかと思いつつ苦笑した。

 暦は、徳川家康の次に、織田信長が好きだった。一五三六年の「塵芥集」の伊達政宗もその次ぐらいに好きだったので、独眼竜正宗と言うファミコンゲームも持っていた。とても面白いシミュレーションゲームだった。

 剣豪で好きだったのは、佐々木小次郎と、宮本武蔵と、柳生十兵衛のこの三人だった。吉川英治全集を集めて読んでいるのだ。

 部屋中に火が回って危機一髪のところを、暦は突如現れた時空間によって掬われ、そして救われた。またワープして行くのだろう。

 一五七五年には流しの合戦があり、鉄砲隊が威力を発揮し、武田勝頼が破られる。一五七六年には安土城が完成した。

 一五八八年には豊臣秀吉によって刀狩令(かたながりれい)、一五九一年には人掃令(ひとばらいれい)(身分(みぶん)統制令(とうせいれい))が発布された。人掃令は、身分の固定化を図る為だった。明(みん)を征服しようとした秀吉は、一五九二年、加藤清正、小西行長ら訳十六万の軍を朝鮮に派兵した。それは文禄の役、一五九七年には再度出兵する慶長の役があった。

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