歴史教師と時空の落とし穴(4)

千馬章吾

4

気が付くと、ここは城の廊下のようだった。きっと徳川家康の城の中ね、と暦は思ったが、正直不安だった。ただでさえ、自分はどう言う状況にいるのか分からなかったのだから。

木製の床で廊下にいたが、パンプスは勿論履いたままだったので、土足ではいけないなと思い、暦は一先ずパンプスを脱いだ。脱いだパンプスを持ったまま、ゆっくりと廊下を歩いて行くコンクリート程ではないが、木製の床、フローリングでも結構滑る。それに、暦はストッキングを穿いているので、素足よりは余計に滑ってしまうだろう。

暦は、歩きながら自分のパンプスの中の匂いをそっと嗅いでみる。

(やだ。パンプスの中も、もうこんなに臭~~い。学校では上履きとして三年ぐらいは穿いてたけど、こんなに緊張したから汗ばんだのね。)

 暦は思った。脚はどうだろうと思い、奥の部屋に来たところで部屋の前で一度座り、右足の裏を鼻に当てがって嗅いでみる。

(うわ、案の定だ!酸っぱ臭――い!)

 これまでに嗅いだ自分の足の裏の臭いの中では、特に臭かったようで、暦は顔をしかめる。早く帰って足もストッキングも洗いたい、そしてこのパンプスもそろそろ穿き替えたい、と暦はそう思った。綺麗な顔と体型に似合わず、暦は他の人より結構汗を搔く方だった。多汗症かも知れないから今度診て貰おうかとも思っていた。

 暦は部屋に入る勇気は出なかったので、障子をそっと小指と破り、覗いてみる。

 何と、御家老らしい男の家来と、玉座のような所に座って話しているのは、徳川家康だった。確かにあれは家康だ。ついに会えたと暦は会心の笑みを洩らしそうだった。後は御話が出来れば、と思った。でもそれは難しいかも知れない、と思った。

そう言えば「一六(ヒーロー)○三(オッサン)・徳川家康」とか御笑いコントで言っていた芸人がいたのを暦は思い出したが、自分の好きな男の事をオッサンだなんて呼びたくはない、とこう思った。

 その時だった。一人の家来の男が歩いて来た。

「むむ!何奴!曲者(くせもの)か!出あえ!出あえーーっ!」

「きゃあ、そんな…………。」

しょっ引かれるのではと思い、暦はパンプスをショルダーバッグの中へ急いで詰めると、咄嗟に障子を開けてその部屋に駆け込んだ。

「ん?おぬしは誰じゃ?」

「曲者か。」

と御家老は言う。

「まあまあまあ。おぬし、名は何と申す?何処からは入ったのじゃ?」

「いえあの、気が付いたらここに。」

「そうか、何を言っておるのかはよく分からんが、盗人ではない事は確かか。」

「はい。神様、仏様に誓います。」

「ふむふむ……。ううーーん……。」

 数人の家来が「曲者め!!」と言って戸を開けた途端、暦はまたワープした。



気が付くと、また城下町のような場所に戻っている。まだ昼間で、江戸時代のままのようだが、かと言ってさっきと同じ日付とも限らない。暦はそう思った。

パンプスを バッグから取り出して、また履く。

その後の江戸時代については、幕政の改革(一七○九~一六年)と言うものがある。これは五代将軍綱吉が文治政策を進めたが、側用人柳座和吉保の独断政治、奢侈な生活などにより幕府財政は窮乏した。六代家宣・七代家継の時、朱子学者である新井白石が登用され、正徳の治と呼ばれる改革を行なった。そう言えば綱吉は、「生類憐みの令」と言う法令も作っていた。特に犬好きであった綱吉は、犬を大事にしていたのだった。犬を叩いたり振り払ったりしただけでも、島流しか打ち首の刑になったりなど、あんな無茶苦茶な法律があるかと、暦も生徒も授業の時に言っていた。犬に腕などに噛みついた時も、犬が自ら離れるまでじっとそのまま待っていなければならず、払い除けたならその時点で虐待の罪となり、罰せられてしまうのだと言う。そんな法律だったのだ。

教師用の教科書を取り出して、頭の中で色々描きつつ復習しながら、暦は歩いて行った。

「さて、どうしようかな、と…………。」

そしてふと暦は思った。要するに、良い事を一つ思い付いたのだ。

(そうだ!折角こんなに違う時間と言うか、非常に離れた過去にやって来てるんだし。この本物の江戸の町を観光しちゃおかなあ。ええ、それがいいわ。またタイムスリップしちゃう前に、御団子の一つでも頂いちゃおうっと。決――めた!)

 つい前よりもテンションの上がった暦は、足を速めて歩き出す。そして少し走った。

先ずは団子屋こと茶店と言うところを探してみる。すぐに見付かる筈だ、と暦は思った。勿論、映画村へは言った事がある。小学校時代の修学旅行で一回、大学時代には同じ大学にいた彼氏と一回。大学の卒業旅行では大学の友達同士でまた行った。合計三回行った。その彼氏と言う人とは、二年ぐらい付き合っていた元彼であり、もう今は付き合ってはいない。色々あって別れたのだが、一応メル友同士として相談相手同士でもある関係ではあった。

「あ、団子屋さん……じゃなくて……茶店だ。見付けた。ふふふ。」

「茶店」と言う黒い文字が、戸の上に飾られた看板には大きく、行書でしっかり書かれていたし、食べている御客が一人、二人といたので分かったのだ。店に入る前に、暦ははっとなって思った。

(本当の江戸時代?の、本物の御団子や抹茶??が食べられるかと思うと嬉しいけど、いつまた裂け目が現れるかは分からないのよね。食べる直前に消えちゃうととても悔しいし、食べた直後、御金を払わないのは食い逃げね。どちらも嫌だなあ。)

暦は山無が、悩んでいるうちに店に行って団子とか注文出来る、とこう考えた。

(御金はちゃんとあるけど、私の時代のこの御金で通じるかなあ?小判でないと駄目かしら?御店の人に聞いてみようっと。)

こう考えながらも、急いで店の中へ入る。そして金庫の置かれた机の後ろに立った店主らしい小柄な中年の男に話し掛ける。

「あのう………御団子一つと、抹茶を一杯…いえ、御団子一皿(ひとさら)と、抹茶を御点前(おてまえ)(御手前)拝見させて頂きます。」と暦は注文する。

すると店主の男はこちらを見て目を大きくした。

「はい、いらっしゃいませ。………ん!?おや!?これはこれは、見掛けない顔ですね…。その服も珍しい。綺麗な御方ですね。外国の方ですか?アメリカ?イギリス?」

「いえ、あの……私……(ここは嘘言っちゃおうか。子の人、悪い人じゃなさそうだし。)母親の方がアメリカ人なんです。でも顔は父に見てます。今日は、母の御下がりの服を貰ってそれを着てるんですぅ。(これで大丈夫かな?何とか誤魔化せたかしら?勿論、私の両親は立派な日本人だけど。)」

店主の男はみるみる頬を赤らめた。

「御客様。そなたは、美人で淑女。貴女ほど素敵な女性は、久し振りです。二十年ぶりでしょうか。どうど、どうぞ、今日ばかりは、御勘定なんて要りませんから、好きなだけ食べて行って下さいませぇぇ。はい。」

と店主はもじもじして両手を擦り合わせる。鼻の下を伸ばしてしまっている。

「え?本当に良いんですか?」

「ええ、本当です。誠ですよ。さあどうぞ。」

「あら。有難う御座います!では、頂きます!(ラッキーッ!私がまだそれなりに美人だから良かったのかしら?これで美人じゃなかったら、どうなってたのかな?ま、いっか。でも嬉しいなあ。)」

と暦は微笑し、内心としては凄く喜んでいた。

 暦は、皿一杯に盛り付けられた団子を貪るように食べながら、笑顔で店の主人と色々話をしていた。

「美味しいですね。」

「有難う御座います。当店自慢の坊っちゃん団子ですので。ところで、何時間か何も食べられてなかったのですか?」

「はい。六時間程。(学校が終わった後、四時過ぎぐらいに、食堂で買ったパンを二個食べた切りだから、そんなもんかしらね。ここで本当の事言えないけど。)」

「へええ、では貴女はどちらからおいでなさったのでしょうか?六時間ですと、朝八時頃から食べてないのですか??御忙しそうのでしょうか?そりゃあ御腹も減りますよね。」

「ええ、まあ…………。」

「御仕事は?」

「え……あの…教師です…学校の先生です。」

「ほほう、先生ですか。じゃあ頭良い方なんですね。それで綺麗な先生でしたら、さぞモテるのではないですか。あ、すみません。」

「いえそんな。私は、そんな出来は良くないのです。」

苦笑いしながら、暦は御茶を飲む。抹茶もいける、甘い物は疲れが取れるし、苦い物は落ち着く、とこう思った。

 食べ終わると、暦はここを出ようとする。何とかワープしてしまう前に完食出来たようだ。ここで暦はほっとする。タダで団子も抹茶も好きなだけ貰えて満足だ、いい人に出会えて良かった、とこう思った。

「御馳走様でした。有難う御座います。……チュッ。(もう二度と会えないし、いい人だからサービスしておこうっと。)」

「は!(うひょーっ!困っちゃうなあ、でへへ。)そんな。」

暦が一つキスをすると、主人は顔を赤くして喜んだ。身長が百五十八センチある暦は、中腰になり、百五十センチ程の主人の首に両手を絡ませて徐にキスをプレゼントしたのだ。

「じゃあ、さようなら。」

暦は頭を下げると、店を出た。主人もしっかりと頭を下げると、手を振って見送ってくれた。

 暦の前に裂け目が現れたのは、人気(ひとけ)の無い通りの裏に回ったその時だった。

「満足シタカ?ウマカッタカ?」

 穴に入る前に、聞き覚えの無い声らしいものが暦の耳に響いたような気がした。

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