歴史教師と時空の落とし穴(2)

千馬章吾

2

こうして六時間目を終えた後、終業のチャイムが鳴り、この教室ではホームルームが終わる。生徒達はぞろぞろと帰って行った。

「先生、さようならああ。じゃあ俺、部活行って来るねーー。」

「はい、さようなら。日本史以外の宿題も忘れずにね。山岡君。帰って寝ちゃ駄目よ。」

「分かってるよ。俺はこれでも、文武両道なんだから。」

「ふふ。そうね。あ、川本君、この前みたいに宿題忘れて来ちゃ駄目よ。」

「分かってます、先生。ではさよなら。」

こう言って川本は帰って行く。山岡の方は、部活に行った。

 山岡は、バスケと日本史が得意で、その他の教科の成績も平均より上で、大体どれも悪くは無かった。ただ体育と日本史は、いつも上の上だった。これからもこの調子でどんどん頑張れば、二流もしくは、ギリギリ一流の私立文系の大学は、きっと入れるだろうと暦からも言われている。引き換え、川本の方は、帰宅部で遊び好きだった。勉強もスポーツも得意ではなく、昨年まではよく街中ではナンパをしていた事もある。でもイケメンで優しく話が上手く、趣味は釣りや料理である為、釣りや料理の腕もなかなかのものなので、女子生徒からは結構モテている。山岡ほどモテている訳ではないが、彼もよく女子を喫茶店やボーリング、釣り、キャンプ等に誘って遊びに行ったりしていた。川本の家は、その名前の通り、大きな中流の川沿いに建っており、夏や秋になると、そこでよく川魚や川蟹を捕っては、料理して友達に御馳走したりしている。山岡はモテるが、川本みたいな軟派ではないので、そう頻繁に女子と遊びに行く事はしなかった。ただ部活の連中とはよく遊びに行くのだ。



 部活の生徒も全員帰った夜九時頃だった。何と、まだ暦は学校に残っていた。

「ああ~あ。やっと終わった、と。もう~~、連休明け早々、残業なんてついてないなあ。でもこんな時もあるわね。仕方無いわ。さて。片付けて帰ろうかしら。家が近場で良かった。ふわああ~~ぁ……。」

暦は手伸びしながら大きな欠伸(あくび)をした。オマケには背伸びもしたので、パンプスが軽く脱げて汗で湿った踵(かかと)だけ浮いた。

「あ、柊先生。御疲れ様です。もう帰られますか?」

ここに出て来たのは、柳井と言う、二十八歳の男性教諭だった。眼鏡が似合う七三分けのハンサムな、理科専攻の教師である。昨年こちらに転勤して来た。暦は、この真面目で優しく凛々しい柳井に、秘かに思いを寄せているのだ。

「あ、柳井先生。まだいらっしゃったんですね。私、後五分ぐらいここで一服して帰りますから、どうぞ先に帰っていて下さい。鍵、私が閉めておきますから。御疲れ様です。」

「いいんですか?じゃあ、終電急ぐんで、帰らせて頂きますね。柊先生、無理せず身体を休めましょう。私も連休明けですと私も心身共に重くて重くて……。では御先に失礼致します。」

こう言って頭を下げると、柳井は帰って行った。

「気を付けて下さいね。」

と暦は微かに顔を紅潮させていた。

 少しの間、教卓の上に顔を伏せていた暦は、やがて一服を終えたと思うと顔を上げて、棚の上に載せてあったショルダーバッグを取り、帰る支度をした。

「さて。帰ろうか。」

三年生の教室だけに、ここは校舎の三階だった。それもA組なので一番奥の方だ。疲れた徐(おもむろ)な足取りで、暦は階段へと向かう。

そして階段をゆっくり、コツコツと降り始める。パンプスの音のみが響くように思われる長い階段……。夜の学校内は静寂に包まれている。こうも一人だと、明朗快活な暦でも、がくがくと身体が震えてしまう。こんな時は別に出ないと分かっていても、矢張り出そうに思えてしまうのだろう、人間は一人になると皆臆病になるものだと暦は思った。

早く帰りたいので、階段を早足で降りて行く…。降りて行く…。



「いやあ!どうなってるのっ!?」

何と、もう同じ階段を降り始めて十分以上経つ。いつの間にか下は真っ暗闇で、十五段ぐらいで見える筈の、下の階が全く見えない。それでも暦は走るように階段を降り続けた。もう二百段以上は降りているだろう。脚の方はクタクタになっていた。

 その時だった。

「な、何?渦潮みたい……何だか分からないけど、出口なの……?きゃっ…………。」

 いつの間にやら現れていた渦潮は、そのまま闇の中に青白く浮かび上がっていた。

 暦は、そのまま渦の中へと吸い込まれたのだった。



「何かしら、ここは…古びた街ね…もしかして、昭和ああ??何なの……??」

気が付くと暦は、田んぼに覆われた道に立っていた。幾つかの小さな民家が疎らに建っている。まるで昭和時代にでも飛ばされたようだった。いや、実際、昭和時代に飛ばされたのかも知れない。

「あ、待って。あ、あの飛行機…って、どう見ても、B二十九!?って言う事は、やっぱり、私…”タイムスリップ”しちゃったのお!?」

あのアメリカ軍が日本を爆撃する為に使用された、B二十九等の飛行機が無数に呼んでいる。

「ど、どうして?私が歴史教師だから現場で良く見てもっと勉強しろと?でも、どうしてそんな……幾らなんでもこれは可笑し……。キャアア……。」

この時、暦の頭上にナパーム弾が降り注いで来たが、暦は途端に、楽に気を失った。

流れ行く、歪んだ次元の中で、暦は勉強した内容をじゃんじゃんと思い出して行った。それも自力ではなく何者かの力によって、自動的に記憶が蘇るように…………。

昭和時代とは、一九二七年に山東出兵があった。国民政府軍の北伐に対し、軍閥張作霖(ちょうさくりん)

を利用して在留邦人保護を口実に出兵。それは日中対立激化に繋がった。日中戦争への過程としては、一九三一年・満州事変 一九三二年に満州国建国 一九三三年国際連盟脱退 

一九三七年・日中戦争、そして一九四五年にポツダム宣言受諾。

戦後の歩みとしては、一九七二年・日中共同声明=日中国交正常化(田中内閣) 

一九七八年に日中平和友好条約締結(福田内閣)。

佐藤栄作内閣の一九六五年、南の大韓民国との間に「日韓基本条約」を締結し国交が正常化した。

「ああん、色々思い出せたのはいいんだけど、どうなってるのよお?帰りたい…帰して…誰か……?ここは何処お?まだ時空間にいるのかしら?何が起こったって言うのかしら…………??」

 ここは、大正時代かしら?と暦は思った。資料集、写真集もよく見ているので、暦には一目で、大体この風景は大正辺りかと見当が付いたのだった。

大正時代と言えば、一九一五年に第二次大熊内閣が中華人民共和国大総統袁世凱(えんせいがい)につきつけた利権拡大の要求。それによって抗日運動が強化した。これを、「二十一カ条の要求」と呼んだ。一九一九年には、パリ講和条約反対、反帝国主義、排日を叫んだ中国民衆の運動。これを「五・四運動」と呼んだ。同年に起こった朝鮮民族独立運動で、万歳事件とも言われるものがあった。それは民族自決の原則等を掲げた米大統領ウィルソンの十四カ条に励まされた。それが「三・一独立運動」である。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

歴史教師と時空の落とし穴(2) 千馬章吾 @shogo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る