歴史教師と時空の落とし穴(1)

千馬章吾

第1話

ここは、郊外に建つ、公立N高校。春麗らかと言う訳でなくとも、ゴールデンウィーク明けなので、五月の二週目の月曜日を迎える。ベージュのスーツと白いスカートの似合う女性は、今年で二十五歳になる日本史教師だった。彼女の名前は、柊(ひいらぎ) 暦(こよみ)と言う。暦は、玄関前の下駄箱にて、白いハイヒールを脱ぎ、取り出したのは白いパンプスに穿き替えた。そして事務室で出勤簿に押印し、職員室で他の教員達に挨拶を済ませた後、出席簿を抱えて、トイレに入り鏡を見て髪とメイクのチェックを行なう。彼女はロングヘアの為、ごわつきが目立つのだ。豆に鏡を見てチェックを行う必要があった。ハンドミラーは、自分の担当しているクラスの教卓の中へ入れっ放しであった為、今日はトイレの鏡でチェックを行なった。神経質で注意深い暦は、ベージュのストッキングが伝線していないかどうかも、一通りチェックを行なうようにしている。もし伝線していたのなら、穿き替えなければならない。暦は常にバッグの中に、予備のストッキングを二足を入れて常に持ち歩いているのだ。漸く準備が整うと、三年A組の教室へ向かう。

(さて。今日も頑張らなくちゃ。ゴールデンウィーク明けでしんどいけど。それは生徒達も私達教師も、皆同じね。)

 彼女は、好きで教師になる事が出来たのだから、長年の夢は叶っていて毎日溌剌としていた。高校の中頃までは学業の成績は中の下だったが、歴史は好きで、特に日本史の本や民俗学関係の書籍、時代小説、妖怪伝説について書かれたその部類の小説や漫画等、歴史に関する本はよく読んでいた。史学、文学には造詣はかなり深かったと言う事になる。世界史や倫理学にも高校に入ってから興味を持ち始めたが、何よりも一番好きなのは日本史だった。民族学、妖怪ものは、中学の頃から柳田邦男や京極夏彦等を中心によく読んでいた。他には、芥川龍之介や三島由紀夫、吉川英治辺りの全集等、高校卒業までに全て読破している。吉川英治の三国志八巻は、内容が濃く難解だった為、三回ぐらいは熟読していた。

 大学の文学部人文学科史学コースに入って進んでからは、時々本屋で喫茶店でバイトをしながらも、頑張って教職課程をも修了して、念願の日本史教師になれたのである。

 教師になって教壇に立ってからすぐは不安で辛い事も多々あったが、辛い事は、”時”が払ってくれると信じて三年間頑張って来たのだった。

 教師として勤めるようになった当初は、この学校では、日本史を教える女教師としては初めての美人教師だった為、他の男性教師からはチヤホヤされたり、時には数人の男子生徒からは、廊下で足を引っ掛ける等の嫌がらせを受けたりもした。その時は、暦でも流石に怒って親まで学校に呼び出して諭したものだった。朝の集会では校長から、その事に対する問題も発表された。は生徒はすっかり反省して、土下座をして「ごめんなさい。もうしません。反省します。」と三つ指を突いて謝り、二度と教師に対するそのような嫌がらせは起こらなくなったと言う。そしてまた日は昇り、新しい朝を迎えるのだった。

「はい、皆お早う!さあ席に着いてね。今日も一日頑張りましょう。ゴールデンウィーク明けでしんどいと思いますけど、それは生徒だけじゃないですよね。皆さんは連休は元気に過ごされてましたか?先生は久し振りに、実家近くの温泉に行って来ました。うふふ。気持ち良かったわよ。」

「ババくせええーー。」

一人の男子生徒がボソッと口走った。

「こらっ。」

「ひい、ごめんなさい、柊先生。」

「もう!山岡君?今度言ったら減点よ。」

とこう言って暦は、苦笑しながらも山岡と言う男子生徒の項(うなじ)を親指でこつんと軽く叩いた。

これでも、山岡と柊暦は、大変仲が良かった。

「プレステ2の新しい三国無双、今度貸してあげますから許して下さい。」

 そう。歴史の成績が極めて優秀な山岡は、バスケ部の友達と、三国無双のアクションゲームに嵌まっていたのだった。そしてそれらをプレイし終わった後は、最後には仲の良い暦に貸してあげたりする事もあった。実は、暦もテレビゲームは結構よくする方で、特にスーファミやゲームボーイ等の桃太郎伝説シリーズは中学の時に全てプレイして終わり、その他の歴史シミュレーションもよく家でやっていた。今ではプレステ2の鬼武者や侍、天誅、三国無双のシリーズに嵌まっているのだ。歴史が好きな者同士、二人は特に中が良く、恋人手前ぐらいの仲とでも言って過言にならなかった。いつ恋人同士になって、ゴールインしても可笑しくないのではとクラスでは噂されている。

「あらそう、本当?ありがとう。でも、今度やったらそれぐらいじゃ済まさないわよ。いいわね。」

と暦は、山岡の両頬を両手で撫でるようにすると、さっと手を放す。教室中が爆笑の渦だ。

「わ、分かりました。すみません。」

「宜しい。さ、授業を始めるわよ。ええと、今日は教科書の、二十七ページね。はい。それでは…………。」

暦は、教卓へ戻ると、早速教科書を片手に、チョークを握る。そしてここで漸く、一時間目の授業が始まる。そう。三年A組の月曜日の一時間目は、暦の担当する日本史の授業なのだ。「先ずは過去を振り返ってみよう。」と言う意味では、月曜日の一時間目とは丁度良いものだと一人の生徒が大声で突っ込むと、教室内で同意する声が挙がった。流石の暦も軽く手を打って笑ったものだった。



「はい。四世紀頃、大和政権は各地に“屯倉(みやけ)”を設けて直接管理し、“田部(たべ)”が労役に従事しましたね。これは、大和地方を中心に、王、それは大王(おおきみ)→天皇(すめらみこと)と呼ばれた首長と豪族達が連合して統一した政権です。……云々……。」

教科書を見ながら暦はじっくりと説明を行なう。

「大和政権の経済的・軍事的基盤を築いた制度を、『部民制度』と言います。……大和政権下で、職能部民の事を品部(ともべ)と言い、それを統率した首長は伴造(とものみやつこ)と呼ばれました。」

「ええと、はい。この行から、川本君読んでくれる?」

「はい。ええと。……五世紀、中国の南朝に朝貢した五王で、『宋書』倭国伝などに”倭の五王”について記されている。……朝鮮の高句(こうく)麗(り)の南下に対抗するため高い称号を得ようとし、また大陸文化の摂取に努めた。」

「はい、結構です。じゃあ次の段落を、森本さん、御願いね。…………。」

「は、はい…………。」


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歴史教師と時空の落とし穴(1) 千馬章吾 @shogo

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