第112話 ひとのへん化

「なぜ……なぜ髪型が……」


 急激な変化に驚きを隠せない俺は口を震わせてそう言った。女子が髪型をガラリと変えるときは大きな心境の変化があったときだと聞く。もしそれが男関係だとしたら俺に一つ任務が加えられることになる。その男の徹底的抹殺だ。


「び、美容師にいったの!」

「美容師ってあれか、人体改造の――」

「人の目があるんだから静かにしてよ。恥ずかしい」


 宇銀はまともに取り合ってくれず、キレ気味に返答する。似合ってはいるが驚くのもしょうがないだろ。妹のその髪型は初めて見たのだから。


「それで。兄ちゃんはアリナさんとデート?」

「馬鹿野郎。アリナと白亜紀の恐竜について熱く語ろうと……」


 待てよ。

 アリナは宇銀を覚えているのか? 宇銀をどう認識するんだ? 榊木彗の妹はどう処理する? 

 一人っ子として記憶を整理するのは難しいはずだ。何せ宇銀は市役所公認の妹だ。いや、当たり前か。

 ちらっとアリナを見る。静かに微笑んでいる。ん~、わかりづらい。


「う、うん。あれがうん、うちの兄……」


 宇銀の友人たちはひそひそと俺が何者であるか訊いているようだ。

 よし、これだ。


「宇銀。堅苦しく言うなよ。『兄ちゃん』でいいんだぞ」

「あぁぅ、う、うるさい! 喋んな!」

「オーケー、オーケー」


 これでいい。頭を抱えて恥じている。人前で地球人かもわからない生命体のことを『兄ちゃん』と呼ぶことは恥ずかしいに違いない。当分何も言ってこないだろう。

 腰を下ろし、メニューを眺めながらアリナの様子をうかがった。


「これにするわ」


 それはパンケーキにどっさりと山盛りクリームをのせたスイーツだった。それを見たとき水族館のことを思い出した。そういえばあの時も似たようなものを注文してたな。あの頃はまだ刺々しいアリナだった。

 店員に各々注文し、また二人だけになる。

 俺は単刀直入に訊いた。


「宇銀のこと覚えているか?」

「いいえ。名前と存在は知っていたけれど初めて会ったわ」


 なるほど。榊木家全般がダメなのか。というより俺に関することは全部ダメらしい。まるでサカキ遺伝子がBANされているみたいだ。

 矛盾のない記憶整理はうまくいっているらしい。


「うまく隠してくれ。あいつは意外とこういうことに鋭い」

「わかったわ。ごめんなさい」

「謝らんでくれよ。別に悪いことじゃないんだ」

「優しいのね。嬉しいわ」

「うぐ!」


 一言一言がずっしりくる。

 ジョークを発動しないとまともに会話ができない。これでは溶かされてしまう。


「あなたと出会った日のこと教えてくれる?」

「えーっと、それはその」

「一番最初にあなたと出会った日のこと」


 毒舌薔薇に出会ったあの秋。

 赤草先生に誘拐され、図書室で不満そうに本棚を見つめる彼女と出会ったあの日。

 俺は語った。あの日からずっと放課後を共に過ごすようになり、時に罵倒され、時に殴られ、時に彼女の笑顔に救われた。アリナの秘密を知り、アリナに深く干渉した。たくさん経験して、たくさん出会った。


「あなたを好きになるの、当然じゃない」

「はいちょっと待ってー。いきなり心臓が止まるようなこと言うのやめてー」

「だってそうでしょう?」

「どうなんでしょうね……」


 注文したものが届き、早速口にする。

 幸せそうに頬張る彼女に気を取られないようナポリタンに集中した。やはりトマトは素晴らしい。

 

「夏休みはお勉強会でもするのかしら」

「多分な。鶴がまた率先して計画するだろうよ」

「ふうん。勉強が好きになるくらいいっぱい勉強しましょうね」

「わぁ、ぼくこわいなぁ」


 誰か俺よりアホなやつを出現させないと地獄を見そうだ。

 




 最後の一年だというのに濁流のごとく時間が過ぎる。

 長くて緩やかな連休も去年と比べれば一瞬だ。勉強で毎日を濃いものにしているからそう感じるのだろう。アリナと喫茶店に寄ったのも少し前のことなのに遠い過去のようにさえ感じる。

 だからこそ「何か」をしないと後悔するのではと焦る自分がいる。最後、に拘りすぎかもしれないが二度と経験することがない過程にいたら誰だって同じ心境になるだろう。

 

「早いなー」


 いかにも構って欲しそうな感じで真琴が呟いた。


「確かに早すぎる」

「すでに一年の半分が終わってて、しかも明日から夏休みとか信じらんないよね」

「この勢いだと定年も一瞬だな。早く老後のスローライフを味わいたい」


 スローライフを迎えるためにも今がんばって未来に投資しないと痛い目に合うのだろう。人それぞれ求めるものは違うが、特にビジョンが思い浮かばない俺とかは誰よりもがんばらないと大変なことになりそうだ。窮地に立たされた時に何も持っていないのが一番まずい。

 そしてこの夏休み中にアリナに対する回答を決めなければならない。一体どうすればいいのだろうか。そもそもどういった選択肢があるのだろう。彼女が求めるものとは?


 夏休み前だからといって別段アリナと喋ることはなかった。

 毎度お馴染みの全校集会、夏休み前の安全指導、夜何時まで、どこにいっちゃダメとかそういった話を受動的に聞く一日だった。去年なら帰りたい一心で、クラウチングスタートをキメるために廊下にスターティングブロックを設置するほどであったが今回はそうでもなかった。これが大人の落ち着きというやつだろうか。俺も成長したもんだ。

 

「ただいま」

「おかえり、ってどしたの兄ちゃん」


 ハリウッド女優みたいになった宇銀が俺を見るなり不可解な表情になる。


「どうもしてないが」

「いやいやどうかしてるでしょ。去年とか夏休み前はうるさくてしょうがなかったじゃん」

「俺も大人になったんだ。小娘は自撮りでもしてなさい。そしてネットを泳いでいなさい」

「うざー」


 まったく、どこに塩辛を箸でつまみながら玄関に現れる女子高生がいるっていうんだ。いた、ウチの妹だ。絶望的だ。どうして宇銀はおっさん舌なんだ。お兄ちゃんは悲しくて泣きそうです。

 自室で横になって約一ヶ月の夏休みを改めてどうしようかと考える。


「あ〜……」


 脱力してだらしなく声を出す。布団がまだ蒸し暑い。外からは蝉の声が入ってくる。強い日光のせいで若干頭痛がして頭がちゃんと働かなかったので考えるのをやめ、目を閉じた。最初の二日三日は何もしなくてもいいだろう。受験生の俺たちを考えて先生たちも宿題はほとんど出さなかったし、日に追われてやるようなことは何も無い。

 勉強もそうだが、アリナのことも大変な夏休みになりそうだ。

 

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