第111話 あゆみ寄り

 ひと騒動あったが、それ以降荒立つことはなかった。

 元々俺とアリナは交際していたと思っていたり、やっと交際したのかとまだ結論が出ていないのにクラスメイト達は身勝手に解釈した。

 説明したい気持ちもあるが、今更だ。


「暑い……」


 衣替えでワイシャツになってはいるものの暑いことに変わりはない。この時期になると毎朝着替える手間が少し減るので朝が苦手な俺にとってありがたかった。

 そして男子諸君にとっては目のやり場に困る時期でもある。身体のラインがより強調され、そしてワイシャツの下が透けて見えてしまうハプニングが起きるからだ。非常に由々しき事態である。

 だがそれを逆手にとって男たちを弄ぶ女子生徒がいる。

 

「私も暑くて狂いそう……」


 サキュバスこと麦山華彩だ。彼女はわざとか知らないが黒い下着を装備しているようだ。マジで見えるんですけど。


「華彩。俺の視界に入ってくるのやめろ」

「え? なんでー?」


 そう言いながらフィギュアスケートみたいにぐるりと見せつける。

 この変態め。勉強に集中できないだろうが。


「一応紳士だから言葉はぼかすが、白に近い色にしてくれ。マジで。ガチで。切実に」

「なんのことー?」

「将来お前がストリップショーで踊らないことを祈っているよ」


 華彩のサービスシーンにツッコミを入れても無駄だし、やめさせたら文句を言うやつもいそうなので彼女は俺の中で死んだことにした。さようなら、華彩。君のお墓には水じゃなくてローションをかけてあげよう。

 というわけでトイレに逃げる。いつまでたっても俺を揶揄うことをやめない華彩に痺れをきたして、世界人口の半分が立ち入ることのできない男子トイレに逃げ込んだ。やっぱトイレ最強。

 小便器にレモンジュースを存分に飲ませた後、慎重に廊下を確認して華彩が消えたか首を動かす。


「やっとまいたか」


 あいつと関わったら何かに目覚めそうで怖い。紳士の敵だ。

 ハンカチで手を拭いていると女子トイレから華彩と凛音が出てきた。


「うわああ!」

「えっ、なに叫んでんの?」


 凛音がきょとんとして俺を見る。叫んだのは華彩がワイシャツのボタンをとめている最中だったからだ。なんなのだ。こいつは女子トイレで脱いでいるのか? もうやだこわい。


「あー、ムッギー。男子の前ではダメでしょ。モテるかもしれないけど刺激つよすぎ」

「だってね、彗くんが白いブラにしろって言うから。脱いできちゃった」

「えっ……彗、ドン引きなんですけど……」


 俺がドン引きなんですわ、凛音さん。なんでそんなに下着を持ち歩いてるんだ。


「もう僕が変態でいいです。この際、犯罪者でいいです」

「体育祭での彗はこんなに変態じゃなかった気がするんだけど、それが本性だったんだね」

「そうです。僕は醜いケモノです」

「そんなやつがアリナと付き合うなんて許せない……私のスクールアイドルを奪ったこと、許さない……」

「いや付き合ってねぇし」

「え? 違うの?」

「交際してない。マジだ」

「えー。じゃあアリナが告ったのは?」

「……それはマジ」

「ホントなんだ。体育祭の時からそうだったのかなー」


 チア部と元チア部は頭をかしげて黙考する。

 俺はその隙を見て走った。華彩と関わるとロクなことが無い。背後で「さかきさんのエッチ!」と華彩の嬌声が聞こえた。風呂場をのぞいたとかそんなこともしていないのに何とも不名誉である。あいつは俺の人生を変態として終わらせようとしているようだ。

 華彩をまいたところで同じクラスなので結局逃げ場はない。変態を懲らしめるには『目には目を理論』で変態で対抗するしかないと思ったが、俺が変態化したら日本が沈没するのでやめておこう。

 

 夏と聞くとやはりアクティブなことを連想する。

 特に海やプール。ド定番のイベントではあるが、残念ながら三年生はプールの授業が無い。全国の女子生徒にわたくしの裸体を公開できないことに申し訳なささを感じるがどうか待っていてほしい。いつか写真集出すから落ち着いて。

 周知のとおり、俺ではなくアリナの水着姿を銀河系の生命体たちは待ち望んでいるのはわかっている。しかしながらそんなイベントは起きません。僕は海が怖いんです。


「海行こうよ!」

 

 いじめっこの鶴が榊木彗溺死事件を発生させるつもりでそう提案した。彼女は俺をおぼれさせる気らしい。


「ムリ。オラ、ウミ、コワイ」

「えぇ~情けな~」

「無理なもんは無理だ。夏休みは勉強ライフにする」

「私たちの水着姿見れるかもしれないよ?」

「写真を送ってくれ」

「むー」


 楽しそうではあるが大学受験で後悔したくない身からすれば優先度は低かった。高校受験とは比にならない。たった一度きりの人生における最初の大きな決断なのだ。

 俺の強固な意志を前にしてたじろぐ鶴。勝負が始まった。


「私は勿論のこと、アリナの水着だよ!?」

「写真を送ってくれ」

「へぇ~。オイル塗ってもらおうと思ったんだけどなぁ」

「写真を送ってくれ」

「その言葉禁止」

「写真を送ってくれ」

「こんのっ――ハァ。頑固すぎ」

「ハハッ! 俺を倒したいのならクレーン車でも用意するんだな! ハハッ!」


 勝った。才女の鶴に勝ったぞ! やっぱり帰宅部は最強だ! 

 

「じゃあ一緒にお勉強でもしよっか……」

「なら良し」

「最後の夏なのに勿体ない。勉強バカ」

「バカはバカなりに足掻かないとバカのまま終わるんだよ。鶴様にご教授願おう」

「まぁいいケド……」


 渋々引き下がった鶴は自分の席に戻っていった。

 すまんな、鶴。本当はギャルの水着姿を舐めまわすように見たかったんだ。でも受験の方が大事なんですよ。


「私の、見たいの……?」


 声の主はアリナだった。後ろを振り向くと彼女は前のめりになって興味津々という感じで目をくりくりさせている。え、めっちゃ可愛いんですけどォ! ギャース!

 若干話しかけづらくなっていたので少しばかり緊張した。


「見たいとかそういうんじゃなくてだな……」

「ごめんなさい、いじわるな質問だったわ。勉強の方はどうなの? 模試とか」

「まずまずだな。このまま維持してさらに上げれば安全圏だと思う」

「そう。よかったわね」

「お前は?」

「大丈夫よ。だいたいA判定だから。模試の判定はあまり信用できないけど」

「さっすがっすなぁ。国立がA判定ってすげーわ」

「そんなことないわ。大学によるわよ」


 は~、ぼくちんも余裕のAとかSほちい~。センター当日に全員下痢で辞退してくれないかな~。

 やはり勉強せねばならんのだ。勉強というものはやったもの勝ちで、とても平等なのである。言い訳は通用しない。突如覚醒して真の力を得るという少年漫画のような熱いシーンはないのだ。

 アリナはきっと国立に無事合格するだろうな。同じ大学に行くことはないだろう。

 それでも彼女は付き合いたいものなのだろうか。遠距離って辛いんじゃないんすか? トマトジュースしか愛したことのない俺に人間の愛を理解できるのか? この夏、機械が愛を知る――。全国ロードショー。

  

 放課後。今日は金曜日なのですぐ帰ろう。

 来週はまた模試だし、切羽詰まりすぎても心に毒だ。

 箒を持って真琴と一緒にハリーポッターごっこをしながら掃除をした。鶴に「精神年齢五歳」と馬鹿にされたので「五歳児に失礼だ」と全国の幼児をフォローしておいた。安心しろ、俺は子供たちの味方だ。あんなギャルに負けちゃだめだぞ。

 俺は肩に鞄を下げて立ち上がった。


「あっ。私も……」


 ぼそっとそう言うとアリナは口を噤んでたたずんだ。

 ちょっとした間があき、俺も慌てて反応する。


「お、おう」

「……行きましょう」


 オォォ! なんじゃこの展開はァ! これがラブコメというやつか!?

 慣れていない俺は極度に緊張し、歩き方を忘れた。どうやっても手と足を交互に出せない。右足と右手、左足と左手がそれぞれ一緒に出てしまう。ネットで人間の歩き方を調べてみるか。


「あなたおかしいわよ」

「知ってる。この十七年間で一番耳に入れた言葉だ。ちなみに幼少のころの口癖は『クレイジー』でした」


 あぁ、なぜロボットみたいな動きしか出ないんだ。効果音までガシャンガシャンと聞こえやがる。

 一緒に帰るってそれ恋人じゃねぇ?とツッコミを入れたらアリナは怒りそうなのでジョークは抑えることにしよう。

 

 俺は独身貴族……俺は独身貴族……。


 心の中で呟きながら自分を律した。

 アリナと肩が触れそうなのである。この微妙な距離を維持することに俺は全神経を研ぎ澄ませていた。接触したらやばいし、離れすぎてもやばそうだ。そう、やばいのだ。世界がやばいのだ。ほら、耳を澄ませてみなさい。オゾン層が泣いている。フロンガスさんを出さないで、とね。

 

「カフェでも寄る……?」


 アリナの提案。イエス、カフェ。日本語で喫茶店。茶を喫う店、喫茶店。

 

「寄ろうか」


 なんだよ、寄ろうかって、おい。俺キモすぎィ! あああ! 恥ずかしすぎて死にたい!

 流れるままに喫茶店に入店した。来たことのある喫茶店なので少しは落ち着くが、これからアリナと小時間何を話せばいいのだろうか。俺が語れるのは宇宙とトマトと洋画くらいだ。マニアックすぎるだって? うるせぇ自撮りでもしてろ。

 そして席に着くときにとんでもないやつを目撃した。


「アアアア!」

「ギャアア!」


 俺はそいつを指さした。宇銀だった。同様に宇銀も俺を指さす。


「なんだどうしたその髪型は! 自慢のセミロングはどこにいった!? 中国に売ったのか!?」


 JK宇銀が友人たちとお茶していた。というか宇銀の髪型が朝と変わっている。セミロングだった宇銀は、おでこを少し出したボブのウェーブヘアになっている。まるでハリウッド女優だ。年齢にそぐわない妖艶さを醸し出している。

 マイシスター……お前はどこへ向かっているのだ。


 非常にまずい場面で出会ってしまった。

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