第104話 日羽アリナは諦めない

「いいか。本気は出すな。あくまでウォーミングアップ程度と考えろよ」


 綱を握る前にまさおに忠告した。少しばかり頭の回転がとろい彼を案じて、力の制御を誤まらぬよう釘を刺しておいたのだ。しかしいざ審判の合図で試合が始まるとバーサーカーは叫んだ。


「うわあああああああ!」


 咆哮というよりはドッキリに引っかかったときの叫びだった。彼の前で綱を握っていた俺は思わず後ろを二度見した。カバみたいに口を大きく開けて変な声を出していたらそりゃ誰だって二度見するだろ? うんこでも漏らしたのかと思ったぞ。

 彼は最後尾で身体をぐるぐる巻きにする役目を担い、地面に足を突き立てて全身の筋肉をパンクアップさせていた。巨木のような前腕が恐ろしかった。巻き込まれていたら片腕を持っていかれていただろう。


 そんな彼の奮闘のおかげもあって一組は勝利した。

 「あいつは一体何者なんだ」と敵味方関係なく口々に呟き、まさおの化け物じみた力量に度肝を抜かしていた。

 退場門へと向かう途中、「柔道部か?」「いやいやアメフトだな」「野球部じゃねーの?」等々、まさおの所属部活を噂する生徒たちの声が耳に入る。おいおいおい、全部外れてるぜ。別に検閲対象の単語じゃねぇぞ? 恐がらずに言ってごらんなさい。え? 帰宅部は部活じゃないって? はい、お前電気椅子決定。な。







「なによこれ」


 借り物競争に出場した私はいいスタートダッシュを決め、お題を一番乗りで開くことに成功した。

 だが内容が難題すぎた。


『実はハゲ』

 

 実は、ってなによ、実はって。おかしいでしょ。ハゲを偽っているってこと? カツラの人を探せばいいのかしら。

 そもそもカツラか地毛かを見分けられないし、「あなたハゲですよね?」と言える勇気もない。これ難しぎない? 『実は』が無ければ現国教師が美しく太陽光を反射しているので楽勝だったのに。

 お題を握りしめて焦っていると私の名前が一組のブルーシートから聞こえた。


「アリナー! トマトジュースなら俺が持ってるぞー!」


 誰もトマトジュースなんて求めてないわよバカ、と叫んでやろうかと思った。求めているのは「偽りの髪」なの! 

 私はぐるりと見渡した。


「カツラっぽいひと……カツラっぽいひと……」


 お題を胸に抱きしめながら目的の人を目で探した。特に放送席付近。なぜなら中年以上のおじ様教師が集まっているから。いるならあそこしかいない。覚悟を決めて私は走った。

 いざ、おじ様方を前にして言葉に詰まった。うん、普通にむり。言えない。「あなた、実はハゲですか」なんて言えるわけないじゃない。失礼にもほどがあるでしょ。このお題を考えた人を私は一生恨む。

 

『どうしたんでしょうか。日羽アリナ選手が放送席に来ています。一体彼女は何を探しているんでしょうか?』


 放送部の人がそういった。

 その時わたしは閃いた。放送部のマイクを奪い、私は口を開いた。


「実は、カ、カツラの人を探していますっ!」







 グラウンドにアリナの声が響いた。

 そして教頭の髪が落ちた。

 

 髪が落ちたのだ。髪の毛が一本落ちたのではない。滑るようにごっそり落ちたのだ。

 何とも形容しがたい。俺も初めて見る光景だった。

 すると突然、周りの音が小さくなった。そして教頭の声が俺の心に直接語りかけた。


『生徒のためなら、喜んで』


 一斉に笑い出す全生徒。

 腹を抱え、指をさし、アリナとともにゴールへと走る教頭の姿を見て生徒たちは笑った。教師たちも失笑し、体育祭は笑いに包まれた。

 ひとりの勇気ある男を犠牲にして。

 彼こそ教育者の鑑だ。俺は彼の言葉を聞いた。決して進んでカツラを捨てたわけじゃない。彼の葛藤は痛いくらい伝わってきた。恥を取るか、生徒を取るか。ずっと隠し続けてきたことを暴露する恐怖と彼は戦ったのだ。

 時間なんて無かった。アリナがマイクで話してから数秒も経過していなかった。その数秒間で彼は今後の人生を左右する決断をしたのだ。たったひとりの生徒のためにあれだけの決断をできるか? 俺にはできない。

 教頭と時空を超えて繋がり、俺は人とはどうあるべきかを学んだ。己の理念を曲げずに教育者としてなすべきことをした彼の崇高な行動に拍手したい。


「彗、どうして拍手してるんだ?」


 バカ笑いしていた真琴が言った。


「ひとりぼっちの理念のためさ」

「意味がわからん……」


 教頭、僕はわかっている。笑い飛ばした生徒たちは無視してください。僕が後ほど痛い目を見せてやりますから。対抗リレーで。


 他クラスが競技をしているときは割と暇なもので、俺は寝っ転がって空を眺めていた。風で流せれていく雲をひたすらじっと見ているとインテリジェンス・タカゾウが覗き込むように視界に入ってきた。


「お前がスーパー美少女だったら泣いて喜んでいたのに」

「残念だがそれはおとぎ話だ。スーパー美少女という別称を付与される人間が生まれる確率と君と出会う確率を掛け合わせてみればすぐわかる話だろう。整形手術を施せば実現するかもしれないが、術を受けるための経済力を身につける頃にはもう少女と言うには――」

「それ以上喋るなら一文字につき百円払え。何しにきた」

「二渡鶴と話してみたい」

「鶴と?」

「この頭脳をもってしても彼女に学力で上回ったことがない。どのような人物か興味があるんだ。何か学べるものがあれば吸収したい」

「なるほどなぁ。放送席にいると思うぞ。生徒会も臨席してるし」

「わかった。立て、彗」

「え、なぜですか」

「仲介役を担ってくれ。僕は彼女とコミュニケーションを交えたことがない」


 確かに住む世界が違うやつと話しにくい気持ちはわかる。俺も蝉みたいにウェーイウェーイと叫ぶ人種とは仲良くなれる気がしない。やつらも一週間の命であればいいのにと願うくらいだ。

 仕方なくその役を受けてやることにした。


 放送席に着くとやはり鶴はいた。テントの下で日光を浴びずに涼んでいる。まったくいいご身分だ。


「鶴。今いいか」

「おやおや、彗だ。大丈夫だけど」


 鶴は両頬に星型のタトゥーシールを貼っていて随分と体育祭を楽しんでいるようだ。ちょっと可愛いじゃねえか。トマト型ってありませんかね。


「こちらが不動のナンバーワン、二渡鶴だ。一見足し算引き算できない系女子に見えるが中身は勉学の女神だ」


 鷹蔵にそう紹介した。鶴は「ちゃんとできますぅー」と不満を口にして鷹蔵を向く。


「僕の名前は沼倉鷹蔵だ。君とは一度話してみたかった」


 すると鶴が俺に近づいてきて耳元で囁いた。


「別に男を紹介してとか頼んでないんだけど」

「そんなんじゃーよ。単純にお前の頭脳に興味があるだけだ。こいつのこと知らないか?」

「名前だけなら知ってるよ。よく私の後ろにいるし」


 私の後ろ。私より成績が下という挑発的暗喩を鶴は呟いた。その声はちゃんと鷹蔵に伝わっているようだ。


「ほう。後ろ、か。確かにそうだ」

「他意はないよ?」

「理解している。僕もいつも君の名前を後ろから見ている」


 おい世界のみんな、もう闘いは始まっているようだぜ。なんでこいつらそんなに挑発的なの?


「僕は君の知能の高さを確かめに来た。一体どんな人間に僕は敗北し続けているのかずっと気になっていたんだ」

「こんなです〜」


 鶴は両人差し指を頰に突き立てて、ぶりっ子ぶった。ぶりっ子嫌いの榊木彗くんはこの時爆発的に殺意がわいたが十字を切って心を落ち着かせた。ちなみにクリスチャンではない。適当にやってみただけだ。敬虔な信仰者に怒られそうな気がする。


「なるほど。君はそういう人間だったのか」

「そうです〜キャピッ☆」

「質問をしてもいいか」

「どうぞ〜キャピッ☆」


 うっわ、うっざそのキャラ。おじさん怒っちゃいそうだよ。頑張れ我が帰宅部の頭脳。インテリジェンス・タカゾウは伊達じゃないってところを見せてやれ。


「君は言葉を選ぶ馬鹿か?」


 つい「なんだそれ」と俺はつっこんだ。喧嘩口調なので嫌な空気になりそうだなぁと思ったが、意外にも鶴はニコニコしていた。


「そうだねー苦しいかもねー」


 質問と回答おかしくないっすか? 


「わかった。これで失礼する」

「意外と面白いじゃん、鷹蔵くん。じゃ〜ね! キャピッ☆」


 お母様、これが混沌というものでしょうか。小生は今、噛み合わない日本語に狼狽しています。

 教頭先生、聞こえていますか。今、直接心に語りかけています。この人たちは何を言ってるんですか。教頭先生、カツラ、拾わないんですか。


 戻る途中、ぼーっと玉入れの様子を眺めていると鷹蔵が口を開いた。


「二渡鶴は馬鹿じゃない。それだけはわかった」

「マジで? なんで?」

「さっきの僕の質問は『相手の知能レベルに合わせて言葉を選んでいるか』っていう意味を隠した質問だ。単純なやつなら罵られていると勘違いするが、彼女は意味を理解した」

「だから、苦しいってことか。でもそれ自分のこと棚に上げすぎじゃね? というか見下した言い方としか……」

「それこそ短絡的思考だ。見下しているつもりは彼女にはない。彼女は自分の言葉に制限を加えることに苦痛を感じているだけだ。だがその悩みは一握りにしかわからない。だからこそ彼女が見た目通りの女性ではないとわかるんだ」

 

 なるほど、よくわからん。

 そんな悩む必要なくね? 俺なんて妹から「日本語不自由者」とか「ひねくれた日本語話者」とか言われたことあるが気にしたことないぞ。

 話は変わるが煽られたときは幼児の真似をしてみろ。俺は妹の眼前でハイハイを披露したことがある。狙い通り言葉を失っていた。やはりヤバイときは幼児退行に限る。

 

 

「二渡鶴に好意を抱くかもしれない」

「は?」


 その邪心で対抗リレーで失敗するのは許さんぞ。

 まぁ、お前が抜かされることはないだろうがな。それは確実だ。

 

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