第102話 ピュアガール

「えーっと。無所属チーム代表の人ってことでいいのかな?」

「いかにも」

 

 生徒会の体育祭担当が俺にそう訊いてきたのでエレガントに返答した。

 正式にエントリーするために帰宅部員チームの代表者たる俺は生徒会に呼び出された。というのも異例のチームであるからだ。普通なら生徒会が「リレーのチームを作っておいてください」と各部活動に伝達し、選手名簿を顧問教師を通して受け取るという形なのだがあいにく帰宅部員には「顧問」のような身分は存在しないし、書類上存在していない組織だし、それ以前に上下関係が無い。帰宅部員は生まれながらにして平等なのだ。

 しかしそれでは困るということで生徒会は俺を名指しして呼んだのだ。


「補欠っている?」

「いない」

「もし一人でもでれなくなったらどうするの?」

「基本的に我々は不死身だ。問題ない。それに名簿表には補欠の記載欄がない。必須の前提では無いはずだ」

「まぁそうだけど……」


 万が一出場できないということがあったら誘拐してくるしかないが可能性は低いとみて考慮しなかった。

 正直なことを言ってしまうともう他にいないのだ。少しでも見込みのある帰宅部員は既に切ってしまったし、もはや今から選手を変えても団結が不安定になる。


 




「というわけで。正式にエントリーが受諾された」


 体育祭を三日後に控え、明日明後日は休養に専念することにしたので今日は最後の練習になる。その練習を始める前にエントリーの報告をした。


「……ってかまだエントリーされてなかったのかよ!?」


 両腕を振りながらプロゲーマー・エイジは叫んだ。ちなみに走ってはいない。みんな元薔薇園で椅子に座っている。あれは「ナイフ持ちのダッシュモーション」らしい。そう答えられて以来俺は彼の挙動にツッコミを入れるのをやめた。


「まぁまぁ。無事出場できると決まったわけだから喜ぼうぜ。努力が実ることを祈ろう」

「あっぶねぇなぁ。俺たちが死ぬほど走ってきた時間が無駄になるところだったじゃねぇか。俺がどれだけ我慢してFPS症候群を発症させないよう自制心を保っているか……」

「いやいや保ててないからな?」


 栄治はこの間ずっとオートマチック拳銃の弾倉を装填するモーションをし続けていた。そろそろ病院に行ったほうがいいと思う。

 アリナとハートブレイク・リオンは俺たちの会話を無視して二人だけでおしゃべりしている。

 当初は凛音がアリナに対して敵対心を抱いていたわけだが時間とともに打ち解けて、今ではすっかり友人関係になっている。盗み聞きする限り「どうやったらモテるのか」を議論しているようだ。凛音の一方的な議論だが。

 

「やっぱり僕怖いですよ……身体とかぶつかりそうだし……」

「安心しろ、バーサーカー。お前は列車だ。そして並走する選手たちは蟻だ。お前にぶつかってきた時点で弾け飛ぶ」

「なおさら危ないじゃないですか」

「冗談だ。コーナーで内側をとればまずお前は勝つ。想像してみろ。お前を追い抜こうとすればそのハンマーみたいな肘とぶつかるかもしれんのだぞ。鷹蔵が巻き込まれた光景を思い浮かべてみろ」


 すかさず鷹蔵が「統計学的に一生車イス生活」と言った。


「まーた難しい言葉使う。がり勉君、結局うちらの勝てる確率はどんなものなの?」


 凛音がいつものがり勉いじりを始めた。インテリジェンス・タカゾウはこめかみを押さえて唸る。どうやら計算中らしい。


「92パーセント。残り8パーセントはリレー前のケガ、外部からの妨害、欠員が原因で優勝を逃す可能性だ」

「すごー。うちら勝てるじゃん。これで私もモテモテッ!」

「その可能性は限りなくゼロだ。足の速さでモテる該当者は小学校高学年の男子までだ」

「あーうるさいうるさい。私は単純に悔しがって地面に顔をこすりつける無様な男子が見たいだけだしー」

「君は21世紀が生んだ最悪の悪魔だ」


 また喧嘩が勃発しかけそうな兆候が見え隠れし始めたので「さて着替えるぞ着替えるぞ」とはやし立てて終わらせた。


「歯切れが悪い。この屈辱的な感情を胸で燻ぶらせたままなど……」

「えー。じゃあがり勉君、ここに残るの? うちら着替えるけど?」

「法的に危険行為にあたるので素直に出ていくことにしよう」

「弱虫。がり虫」

「凛音、言い過ぎよ。せめて芋虫にしてあげて」

「フォローになっていない、日羽アリナ。彗、援護を頼みたい」

「俺なら残れる。ついでにビデオ撮影もできる」

「僕は日本の将来がとても不安だ」






 翌日。

 グラウンドが賑やかになり、完全に体育祭ムードに入った本校。

 体育祭まで帰宅部員メンバーとは集まらないので久しぶりに今日は何も予定がない。予定がないからこそ受験生たる俺はお勉強しなければならないわけだが疲労もあってやる気が起きなかった。足の筋肉痛もあってあまり動きたくない。銭湯にでもいって全身を溶かしたい気分だ。

 今日ぐらいは良いだろう、という気持ちでトマトジュースを手に取った。高血圧を案じて最近抑えていたのだが大丈夫だろう。もともと日本人は塩分過多な食事が多い。問題ナッシング。


「なぁ、どうなんだ?」


 真琴が後ろから声をかけてきた。


「リレーのことか。少なくとも君たちバドミントン部には勝てる」

「マジか。で、サッカー部とか野球部とかは?」

「余裕。玉遊びクラブには負ける気がしない」

「それ絶対本人たちの前で言うなよ……喧嘩になるから」

「言わん言わん。もしそうなったとしても全力で服を脱ぎ捨てて全裸になれば大体の人間は逃げるから問題ない。誰も血を流さない平和的手段だ。裸体主義最強説」

「その手段が使われないことを密かに願っておくよ」


 俺だって捨て身の全裸などやりたくない。一度発動すれば一瞬で日本社会から追放される。まだ二十歳にもなっていないのに檻の中は勘弁してほしい。

 トマトジュースを喉に流し込み、気分をクリアにする。やはり素晴らしい飲み物だ。小中学校の給食ではなぜ牛乳なのか。せめてお茶にしろ。あわよくばトマトジュース。

 どれもう一缶、というところでアリナが「ダメでしょ」と止めに入った。


「それだけ飲んだら身体を悪くするわよ。本番に支障が出たら困るわ」

「うむ……まぁ正直血圧も気になることだしやめとくか」

「そうしなさい。それと今日時間あるかしら」

「まぁ、あるにはあるが……」

「なによ、曖昧ね」

「あります」

「じゃあちょっとだけ放課後に」


 それで会話は終わった。リレーで内密な話でもあるのか? それとも特訓に付き合うとか?

 家に帰って腐りたい身としては拒否したかったがアリナのお願い事は断れないので従うことにしよう。


 放課後になると「外で待ってるわ」と小さな声で告げ、アリナはそそくさと教室から出ていった。俺も素早く荷物をまとめ、なるべく彼女を待たせぬよう小走りで昇降口に向かった。

 

 昇降口に着くと早速面倒なことになっていた。

 アリナが一人の男に何か言い寄られている。風貌的におそらく三年生だが二人を取り巻く雰囲気は「友人」としてではないように見えた。


「本当に日羽さんが好きなんだ。嘘じゃない」

「それは伝わっているわ。でも私は男女の付き合いをしようとは思っていないの」

「……他に好きな人がいるから?」

「今言ったでしょう? 男女の付き合いをするつもりはないわ」

「でも好きな人はいるって否定はしないんだね?」

「私に思い人がいるかどうかは関係のない話だわ。あなたとは付き合えないって結論は決まったのよ。これ以上話すことは一つもないわ」


 気の毒だなぁと思いながら俺は見つからぬよう下駄箱の裏に隠れた。俺が出ていったら面倒なことになることは確実だし、それに矛先を俺に向けそうだ。良くも悪くも変人の烙印をおされている俺が登場すればカオスになることは身をもってわかっている。

 とりあえず話が終わるまで様子見だ。


「誰となら付き合えるの? 日羽さんのタイプは?」

「いい加減にしてくれないかしら。いやよ、話したくないわ」

「無理だ。どうしてなんだ」

「やめっ――はなしなさい!」


 怒気の混じった声色を聞いて俺は自然と足が動いた。


 守らないと。


 身体が俺にそう怒鳴りつける。しかし俺より先に地を蹴って突進してきた少女が現れた。


「お前なんかが付き合えるわけないでしょこのモブ!」


 そう叫んだのはハートブレイク・リオンだった。ウェーブヘアをぶわっと揺らしながらアリナの腕を掴む男の手をはたいた。その大胆さに感心した。君の心優しさを男子諸君が理解すれば君は今すぐにでも毒舌薔薇のようなハートブレイカーになれる。

 そしてアリナと目が合った。「いたの!?」と今にも声を上げそうなくらい吃驚していた。


「むーりむりむりむり。なに? アリナと付き合えるとでも思ってんの? あっはー! 笑っちゃうー!」

「……うるさいな。いきなり現れてなんだよ。お前って、あぁ、あの凛音ってやつか。ビッチで有名な」

「ビッチじゃないですぅ~。清純女子ですぅ~。お前みたいな勘違い細マッチョもやし小僧が何言っても耳に入りません~」


 うっわ、身内だけどうっぜぇ〜。


「はいはいもやし君はおうち帰ろうねぇ~。ネットでゴリマッチョの筋肉眺めてその貧相な身体に早く絶望してねぇ~。アリナはゴリマッチョ好きだからお前なんか電子顕微鏡がないと見えないよ~細いよ〜細すぎるよぉ〜」


 マジか。アリナさんゴリマッチョ好きなんすか。

 しかしアリナ目を見開いて小さく首を左右に振った。どうやら凛音の嘘らしい。

 その嘘のおかげで渋々引いてくれたので凛音の勝利だった。


「やっと消えたね、あのもやし」

「ありがとう、凛音。助かったわ。彗。あなたそこにいたのなら助けなさいよ」

「すまんすまん。俺が出て行っても油に火を注ぐことになると思ってな」

「バカ彗ボケ榊木。女の子は白馬の王子様が好きなんだよ!? ちゃんとアリナのこと助けなよ」

「トマトの王子様にはできねぇ所業だ。さすが凛音様」


 どういたしまして、と胸を張って彼女は得意げになった。


「えっへん。やっぱり黒人さんのゴリマッチョは最高だね!」

「誰もそんな話してねぇよ」


 凛音が筋肉を語り始めたので耳をトンネル状態にした。すべて聞き流す。無駄な情報を脳に記憶させないでくれ。

 アリナの用は大丈夫なのかなぁと思った矢先に彼女から「夜、電話してもいいかしら」と言ってきた。やはり内密らしい。凛音には話せないようだ。

 その後、途中まで二人と一緒に帰った。終始凛音の筋肉トークは止まらず、なぜか「彗。懸垂しな。懸垂を毎日して背中を肥大化させて!」と懇願された。アリナにも「スクワット! スクワットしておしりをぷりんぷりんに鍛えて!」と言いながらアリナのヒップを叩いた。

 アリナの「きゃっ!」という甘い喘ぎは聞こえなかったことにした。あれは十八歳以上じゃないと聞いちゃダメです。




 

 帰宅して俺はすぐ叫んだ。


「JKがいるぞぉぉぉぉおおおお!」

「毎回うるさいよ。保健所連れてくよ」


 制服姿を毎日褒めてやっているというのになんだその冷たい台詞は。兄ちゃんは悲しい。

 しかしながらその効果も多少あったようで最近宇銀は制服姿でいる時間が長くなった。ははっ、ちょろいね人間は。妹に近づくXY染色体が発情しなければいいのだが。それだけが心配だ。もし近づこうものならばこの命に代えてでも貴殿のお命頂戴つかまつる。

 

 夕食やら風呂やらを済ませ、自由の身となった俺はいつものようにリビングで腐る。宇銀はJKらしくスマホに夢中だ。よく見ておくがいい、人類。もう人類は審判の日を迎えているのだよ。人間が機械を操っているんじゃない。機械が人間を操っているのだ。


 我々が危惧しているのは機械翻訳の成長だ。


 世界を隔てるものは国境じゃない。言語だ。その言語の壁を機械は取り払おうとしてくれている。一見とても素晴らしいことだと思うだろう。現時点でも機械翻訳を意思疎通のツールとして活躍しているのだから今後、さらに高度に発達すれば自分の言葉すら自動で相手に翻訳されて遅延ゼロの会話が実現すると予想される。そうすれば世界はさらに融和する。

 しかし覚えていてほしい。完璧なニュアンス変換は不可能であると。翻訳には必ず翻訳者の恣意性が含まれる。そこを機械たちが利用すればどうなる?

 悪意ある人工知能が人類の仲たがいを目論むとしたら我々はそこを突くと思うのだ。悪意ある翻訳をして、人類に憎しみを孕んでもらう。

 しかし人類はその悪意に気づけない。もはや言語を学ぶことを忘れ、機械に頼り切っているのだから。


「兄ちゃん電話!」


 はっと意識が戻る。

 妹が呼んでくれなかったら俺は覚醒しなかったのかもしれない。なんとおそろしい。完全にあっちの世界にいっていた。

 そうだった、アリナから電話が来るのだった。

 画面に日羽アリナの文字が表示されていて、スマホがぶるぶるふるえている。まるで俺のスマホがアリナで興奮しているみたいじゃないか。

 悪い子め、明日地面に叩きつけて、そのきれいな画面をぶっ壊してやる。

 

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