第76話 あることないこと
気付けば俺は白奈と結梨に挟まれ、肉を焼く自律型機械と化していた。トングで肉を網に並べ、麻薬畑を監視する民兵のように焦げないよう監視し、絶妙なタイミングで裏返す。
トマトジュースの対価として労働を強いられている。見合ってはいたので了承した。結梨の隣席なのが唯一の問題点であるが。
偏見だが女子は少食なのかと思っていた。アリナは例外として、一般女性はあまり食べないと思い込んでいたのだが女子たちの箸は止まらない。偶然大食いが揃ってしまったのだろうか。
「随分みなさんお食べになるんですねぇ……」
「そう? あたしはそうでもないけど」と結梨がいった。
「彗の胃が小さいだけだよ」と白奈が付け加える。
「平均的だとは思うんだがなぁ……」
みんな席を移動して各々お喋りしており、男女の壁は崩れたようだ。一種の合コンというか、まあみんな仲良くやってる。俺は残り時間をトマトジュースをちびちび舐めながらホルモンを噛み締めることに時間を費やそうと思ったのだがやはり世界は思うようにはいかないらしい。
「あ〜ん」
あんあん。とっても大好き〜、と結梨が自律制御型人工知能・ドラえもんの主題歌を歌い始めたのかと思ってとうとうこの娘もトチ狂ったかと大いに同情した。
しかし現実は恐るべき光景であった。結梨が俺の口元に肉を持ってきて、甘い声で「あ〜ん」と言っているのだ。そう、伝説の「あ〜ん」だ。アニメや漫画など創作物にて目撃される超常現象の一種「あ〜ん」。主に男女の仲が行う愛のスキンシップのアレだ。一般人なら「ご褒美じゃん」と羨むだろう。だがこの行為はパートナーへの絶大な信頼がある前提で成り立つのだ。
よく考えて欲しい。結梨は箸で肉を挟み、その箸先を俺に向けている。さて。ここで信頼が重要になってくる。
俺が食いに行くか。
結梨が運んでくれるか。
注意するべきは同時に二人が動くことだ。下手すりゃ俺の前歯を折り、口蓋垂を貫くのだ。「あ〜ん」が危険行為へと変貌する瞬間だ。
勘違いしないでほしいのは互いをよく知る恋人同士なら危惧しなくてもいいという点である。安心してくれ。その二人は互いを理解しあっているから留意しなくとも良い。多分。
残念なことに俺と結梨はそのような仲ではない。つまり、俺は死地に立たされている。俺の口蓋垂、所謂のどちん◯(自主規制)が焼き鳥のごとく串刺しにされてしまう。何が何でも避けたいのだ。マイのどちん◯は絶対に守りたい。
「めっちゃ無表情じゃん……」と結梨が戸惑う。
この「あ〜ん」がヤバイ理由はもう一つある。結梨が口をつけ、結梨の体液が付着した箸と粘膜接触することである。それはつまり世間でいう「間接キス」というヤツだ。多感な年頃の男女には刺激が強い規制対象の単語である。恋人同士にしか許されないその生々しい間接的接触を俺はやろうとしているのだ。あまりに禁忌で罪深い。
結梨は俺のリアクションを楽しむためにやっている。俺を恋愛対象として見ていないから隣で両手で口を押さえて顔を赤らめる流歌や白奈のように激情を露わにしないし、愛に満ちたとろけた表情の面影すらないのだ。
いや、もしかしたら結梨は試しているのか?
俺が結梨のことが好きかどうかを試しているのか? もし俺が恥じらえば結梨を意識しているということになる。躊躇いもなく食べればノーマークということになる。そうだな、そういうことなんだな?
なら話は早い。俺は無感情無表情で肉を口に含み、女子と初めて間接キスをした。初めての間接キスは肉の味だった。当たり前か。
流歌は赤面し、白奈は「うわわわ!」と小さく叫んだ。鶴は爆笑し、アリナは呆れたようにジト目になりソフトクリームをチロチロ舐めている。
結梨はニコリと微笑み、もう一度肉をつまみ上げた。
俺はぶるっと震えた。
(まだ、俺を試すのか……!?)
一度やれば白黒つくはずだ。俺は結梨に気があるわけではないと。この二回目は何の意味があるんだ!? クソ、わからない。誰か広辞苑を持ってきてくれ。
本当に揶揄っているだけか、もしくはこの場のノリなのか。そうか、そうなんだ。柊結梨はそういうヤツだ。これはノリでやってるんだ。
脳内議論中にも関わらず追い討ちをかけるように蘭がスプーンで掬ったアイスを突きつけてきた。ちょっと待ってくれ。そのスプーンは粘膜接触済みか? そうなら俺は同時に二人の女子と間接キス?
ああ、許してください神様。
俺は悪どい唇です。
俺は悪どい眼球です。
俺は悪どい人間です。
「……もう要らん。君たちが食べなさい」
俺はそう流して断った。
初めからこうしておけば良かったのだ。結梨に何を思われても俺の人生が変に狂うことはないのだ。
とんだ心理戦だったぜ。
「数学を解く時のあたしみたいな顔してたよ」
「そうか? 俺は至って平然だ。お前の誘惑ごときで揺らがんよ」
「ふ〜ん」
結梨は俺に突きつけていた肉を食べた。
ちょ、おまっ。それ俺が口つけた――。
「ん?」
「いや、もう何でもないっす・・・」
「なんだー。平然としてないじゃん! うけるー!」
「ひゃははは! 巨人が動揺してる! 動揺してる!」
「おい静かにしろ、スラムの娘。品位を保て」
いつになく楽しげにゲラゲラ笑う鶴は誰も止められなかった。隣のアリナも手を焼いているようだ。
「そういや、みんな殆ど文系なんだね」
白奈がそう言った。
「俺以外文系じゃね?」
「うん。女子は全員文系なのかな?」
「玄都は理系だ。俺と玄都以外文系だな」
「よく理系取ったね。難しいじゃん」
「いやいや白奈さん。俺にとっては文系科目が大嫌いで苦手だから理系なんだぞ。物理とか化学の方が何倍もマシなだけだ」
古典と漢文この世から消えろ。意味分からん。
「痛手なのはそこのお二人さんが文系を選んだことだ」
俺はアリナと鶴を指差した。
「理解できなかったら二人を頼ろうと思ってたんだがな。心寂しくもある」
「あんた。感情あったのね」
「肉焼き自動機械にも感情はちゃんとあるから忘れないで、アリナ君」
続いて鶴が「はいはいはーい!」と手を挙げた。俺は「はい、二渡クゥン」と国会で議員を呼ぶ時のようなトーンで言った。
「イチャつかないでくださぁーい」
「イチャついてねぇよ」
「見せつけないでくださぁーい」
「単に馬鹿にされてるだけだから。ただの悲しい男の現実だから」
「アリナを奪ったら彗の一族呪うからね?」
「この身に代えてでも妹だけは守る。例え世界が核の花で覆われようとも」
「ふー。かっこいー」
「独身貴族だから安心しろ。俺は誰も取らんし、他人の人生に介入する気もない」
「キモ」
「ひどいな。号泣するぞ」
アリナは鶴を宥めて、「大丈夫よ。そんな彼も全臓器と全部位をドナー提供か畑の肥料にする約束になってるから」と恐ろしいことを口走りやがった。そんな約束知らんぞ。一体いつそんな契約を結んだんだ。印鑑すら押した記憶すらない。もしや勝手に印鑑を? 有印私文書偽造罪だぞ。
白奈がちょんちょんと俺を小突いてきた。すると彼女は俺の耳元で「アリナさんとのノロケ話聞かせてよ」と周りに聞こえないように言った。
「ちょっ、そんなのねえよ!」
俺は慌てて否定した。その慌てぶりに狙いを定めたお隣の結梨が再び俺を見た。
「なになに? 何が無いの?」
「何も無いぞ。ほら、肉を食べなさい。大樹のように成長しよう」
「話し逸らすの禁止」
「いや、単にな。俺の身体の時間を止めて、分子レベルで一致しているもう一人の俺を作るんだ。そして構造も家具も位置も同じ部屋を二つ用意し、二人をそれぞれその部屋で目覚めさせる。さて、記憶も、身体も、何もかもが同一の二人は同一環境下の部屋で同じ行動をするか、という思考実験なんだが・・・」
「白奈がそんな話するわけないじゃん」
「意外と白奈もそういう話するんだぞ。はは。確かに結梨は白奈と友人付き合いは長いだろうがね。だが俺は中学から彼女を知っているんだ。説得力に脱帽したかね?」
「そういう話しないよ」
白奈が残酷に切り捨てた。
「とにかく無い。あるとしてもこの場はまずい」
「え、あるの?」
「無い。ゴビ砂漠並に無い」
「ノロケ話?」
「ノロッ。ノイローゼ話など無い」
白奈が禁断ワードを言ってしまった。それにいち早く反応したのは鶴と結梨だった。
「なになにノロケって!? もしかしてアリナと!? 話して話して!」
「断じて無い! アリナとも無い!」
俺は必死に弁解した。今日一番頑張っている。なぜならアリナの目が蛇のように鋭くなっているからだ。鶴が一言余計に「アリナ」と付け加えたせいだ。
鶴はそのままアリナに話しかけた。
「ねぇ、アリナ。どうなの? どうなの?」
「何も無いわ。どうしてカマキリみたいな男と何かあるのかしら」
ひどい。
「ま、そうだよねー。彗、もしアリナを取るなら私を倒してからね?」
「お、簡単そうだな」
「勉強で」
「あ、無理でした」
アリナですら勝てないのにこんなトマト中毒者に希望があるわけがない。
また席を移動して次は見知らぬ女子三人と席を一緒にした。どのクラスかも分からないので初対面だ。何処かですれ違ってるかもしれないが記憶にはなかった。これマジで合コンじゃね?
「榊木くんでしょ? 知ってるよ?」
ポニーテール少女がそう言った。
「マジ? どっかで会ったか?」
「だって、アリナさんと付き合ってるんでしょ? 一時期噂が流れてたから知ってるよー」
「付き合ってない。完全にデマだ。そろそろ全校規模で情報統制したいものだ。生徒会に情報局設立の申請をしよう」
「え!? 付き合ってないの?」
「アリナも俺も誰とも付き合っとらん。よく考えてみろ。あんな毒舌少女に男女の付き合いなんてできるか? 確かに容姿は抜群に良いが、中身がな――」
少し離れた位置からアリナは両の手で中指を突き立てた。
「あんな調子だ。有り得ん。まず俺みたいなネジが外れた人間を好きになる方がどうかしてる。少なくともマトモじゃない」
「そんなことないでしょ。榊木くん、高身長だしカッコイイと思うよ」
俺は雷に打たれたような衝撃を受けた。
俺がカッコイイ……だと!? こんな事があっていいのか? 捕まるんじゃないか? よく宇銀に「兄ちゃんは身長だけが取り柄だからね〜」とため息まじりに同情されてきたがまさに今、その宇銀の想いが現実化したのか?
目の前のポニーテール少女が誰よりも可愛く見えた。策士的な人間なら「この男チョロい笑」と馬鹿にするだろう。だが今だけは馬鹿でもいいと思った。
「失礼ですが、お名前は……?」
「麦山華彩。一組だよ」
麦山華彩。二年一組。ポニーテール。覚えました。
「鶴と一年のとき一緒のクラスでね。その繋がりで今日来たんだよ」
「鶴さんマジグッジョブ……ただの食用鳥じゃ無かったんだな……」
大体俺の周囲には俺を玩具にするホモ・サピエンスしかいないので華彩ちゃんが輝いて見えた。何でもっと早く出会わなかったのだろうか。この世で俺の異性の味方は母上と宇銀だけかと悲しみに暮れていたがどうやら女神は俺に微笑んでくれたようだ。遅すぎるぞ、女神様。そしてありがとう。
「華彩さん、部活は?」
「チア部」
神かな?
アメリカではスクールカースト上位の組織じゃないか。クイーンビー、女王蜂だ。こんなことなら野球部に所属しておけばよかった。そうすりゃ彼女に応援されてただろうし、いい関係を築けていたかもしれない。
俺にとってスクールカーストナンバーワンは「自由の覇者 帰宅部」だが少し揺らぎかけた。それほど宝石のように見えたのだ。
彼女がチアリーダーの衣装を着てダンスやパフォーマンスをする姿を想像し、不覚にも興奮した。
「俺は帰宅部だから応援される機会がない。残念だ」
「いつかしてあげるよ?」
神かな?
おいアリナ。少しは彼女の心遣いや優しさというものを学んでくれ。
俺は夢でも見ているのか? 俺を肯定する人間がまだこの世にいたとはな。宇銀への土産話にしよう。
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