第73話 ピエロとピエレッタ

 冬休み初日、十二月二十三日。

 十一時に起床した。なぜこの時間帯に起床するかというと朝の寒さを感じたくないからだ。昼近くになれば気温もある程度上がっているので安全に布団から出れるし、朝食カットによる榊木家の食費削減にも貢献できているので良い点ばかりである。

 きっと早寝早起きを推奨する健康人は俺の生活スタイルに物申すだろう。だが敢えて言いたい。俺にとって早起きは何よりもストレスのたまる行動なのだ、と。


 まあそんなことはどうでもいいし、誰が何を言おうが俺は大して気にならないのだが。朝飯兼昼飯を摂った後、俺はまた自室へと引きこもり、生きる幸福を心の中で温め、布団で育て始めた。もうね、最高なんです。気兼ねなく無限に寝れる安堵感。永遠であれ。

 

 ドンドン。


 ドアが唸っている。この家にもポルターガイスト的現象が起きるらしい。自己顕示欲の強い霊は直ちに逝ってもらいたいものだ。俺はそう願って目を閉じた。


「兄ちゃーん。雪かき手伝ってー」


 ドアが喋るわけがない。一体どこに声帯が、肺が存在するというのだ。だからこれは空耳だ。きっと就寝前に聴いた音楽がまだ脳内で波打っていて、幻聴を作り出しているのだろう。俺は無視を決め込むことにした。


「兄ちゃん。雪かき手伝ってよー」


 そもそも雪かきをしたところで特に変わるわけでもなかろう。どうせまた降るんだし。失われたスタミナは返ってこないんだぞ。


「寒くないから雪かきしようよー」


 寒いから雪が降るんだろうが。

 やだ。僕絶対行かない。


「うぅ。泣いちゃうよう……」


 俺は飛び起きた。


「オーケー。兄ちゃんと雪かきしようか」

「ありがとー。ちょろいねー」


 全く。

 泣かれちゃ困るぜ。

 ドアを開けると宇銀が防寒フル装備で立っていた。腰あたりには雪の粉が付いており、ハラハラと床に落ちてはすぐに溶け消え、室内がいかに温められているかを雪たちが自らの死をもって暗示しているかのようだった。

 

「積もってるのか?」

「うん。私だけじゃ大変だから手伝ってね」


 ウインクする宇銀。

 他人が見れば微笑ましい兄弟愛だ。だが当事者たる俺は慷慨と懸念で曇っていた。

 慷慨は、俺の徹底的にだらける時間を悪びれる様子もなく奪ったことに対する怒りだ。よくもまあこの至福の時間を踏みつけるもんだ。冬休みや夏休みは幼稚園に入る以前のような全てにおいて自由を約束されている期間と同義なのだ。その時間を……おのれッ!


 しかし妹の泣くという脅しには勝てなかった。


 懸念は、妹がロクデモナイ男に近寄られないかということに対する危惧だ。妹は俺から見ても可愛い部類に入る。遺伝子のせいか俺と似たような冗談を連発するので「こいつは将来アラサー、アラフォー独女だな」と勝手に決めつけていたのだが何気ない会話から意外とこいつはモテることを知った。

 妹が誰かの男のものになる、ということを熟考すると面白いことにムカつくのだ。娘を取りに来た父親の気分というやつなのだろうか。

 ウインクをそこかしこで披露しているのなら叱責せねばならん。ふらふらとハエが寄って来るからな。


 エスキモーのような防寒対策を施した後、俺は宇銀と雪かきを始めた。

 薄く灰色がかった曇天のせいで太陽は顔を隠し、雪は全く溶ける気配を見せない。踏みしめられて固くなった雪をガリガリと剥がしながら忌々しい雪どもを俺は砕いていった。人の通路に陣取る白い絨毯を俺は塹壕を掘る兵士たちのように雪かき道具をふるい、吹き飛ばしてゆく。フザケンナこの野郎。誰のせいで俺が雪かきをしてると思ってんだ。榊木宇銀。お前のせいだ。雪は決して悪くない。


「せっかくやるんだからそんな形相でやらなくてもいいんじゃん」

「この世から雪など消えてしまえばいい」

「じゃあケニアにお引越ししなきゃね! 私手伝うよ! お母さんにも話さなきゃ!」

「やめて。せめて沖縄までの南下で勘弁して」






 雪かきを終えた(逃げた)俺はリビングでグラスに720ml入りペットボトルトマトジュースを注ぎ、労働後の悦楽の極致を味わっていた。


(素晴らしい……)


 大人になったらこれがワインになっているのだろうか。ま、ないわな。絶対トマトだ。

 テレビは一年で起きた出来事を振り返る特集番組が流れており、俺はじっと見ていた。

 宇銀はというとまだ外だろう。途中から雪かきをやめて来年から高校一年生だというのに雪だるまを作り始めたのでまだ作っている最中だと思う。だから俺は逃げてきたのだ。

 

 何気なくSNSを見ると真琴のトップページが流歌とヤツのツーショット写真になっていた。随分と良い雰囲気である。

 そして絶妙なタイミングで真琴からメッセージが届いた。監視されているのかと思った。


『流歌とクリスマスどこ行けばいいと思う?』


 俺は無視してトマトジュースを舐めた。見なかったことにした。

 数分後に真琴から電話が来た。


『なんで無視するんだよ!』

「すまん、気づかなかった。(何なの? 今の高校生ってメッセージ来てもすぐ気づくレベルのスマホ中毒者であることを求められているのか?)』

『クリスマスってどこ行くのがベストだと思う?』


 俺は何事もなかったかのように通話を切った。そんくらい自分で考えろ。そもそも俺に訊くんじゃねえ。恋愛に疎いことがバレちゃうだろ。いや、前回の水族館の件でバレてるな。

 もしやこいつは俺を揶揄っているのか? 高根真琴は彼女を持つということに一種のステータスを感じていて、持たざる者を見下しているのか? だとしたら彼を処刑せねばならない。

 またスマホがビービー唸った。


『なんで切るんだよっ!』

「すまん。手が滑った」

『マジでお願いだ! 何か案をください!」

「サウジアラビアとかいいんじゃね」

『……彗も特集観てんのか』


 ちょうど今、テレビはサウジアラビアの石油事業に関する内容を報道していた。


「今回は手伝う気ないぞ。無益であるならば俺は部屋から出ない」

『そんなぁ……心の友だろ、俺たち』

「鶴に訊けよ。あのギャルなら詳しいと思うぞ」

『メアドも番号もLINEも知らない……』

「徒歩だな。情報伝達の最終手段を使え」

『教えてくれよ……』


 俺は仕方なくアカウントを教えてやった。

 クリスマスの日は街中にカップルが現れる。各々お洒落な店で食事を楽しみ、夜景に胸を踊らせるのだろう。ちなみに榊木家はケーキパーティーである。

 宇銀は今年どんなケーキを作るのだろうか。彼女はケーキ作りが大変お上手で俺も舌を唸らせてしまうほどだ。


 通話を切ってから数分後、次は鶴からLINEが来た。


『真琴に教えたでしょo(`ω´ )o』


 おや。どうやら真琴は早速訊いたようだ。


 俺は「こういうことなら鶴が一番だと思ってな。教えてやってくれ」と打ち返した。

 

『やだ、って送ったら泣き顔のスタンプ送られてきたよ。きもくない?』


 確かにきめえな。胃液が鼻から出そうだ。


「適当に答えてやっとくれ。そうすりゃ信じる」と送信。


『ラブホテルって送っといたよ♡』


 俺はトマトジュースを吹いた。リビングに戻っていた宇銀は「おがぁざぁぁーーん!! 兄ちゃんが死んじゃうー!! 吐血してるー!」と喚いた。

 な、な、ななな何を言っているのだこの小娘は。ラブホだと? しかも男の俺宛にラブホとかいう単語をすんなり使うとか鶴さんの貞操観念やばいんじゃないすか? ちょっと勘違いしちゃうだろ。もしかしたら鶴が俺に気があるとか思っちゃうだろ。

 俺は心を静かな湖畔に還してフリックした。限りなくフラットな心で、濁りのない美しい言の葉で、詩的であることを努めて。


「彼もたいそうお喜びになるでしょう。」


 そう送っといた。よし、もう真琴はいいや。





 午後三時を回った頃だ。ノックと共に宇銀がまた部屋に来た。


「お母さんが買い物行ってだって」

「ワオ!なんでそんな心無いことを言うんだい?(日本人 男性)」

「海外の反応みたいな口調だね」

「なんだって俺が買い物なんて……榊木家は俺を排除しようと必死なようだ……」

「トマトジュース切れかけてるってお母さんが言ってたよ。買い物ついでに買ってもいいって」

「行きます。買い物行きます」

「私が行っちゃおっかなー」

「ダメです。俺が買い物行きます」

「じゃあ荷物持ちお願いね」

「分かりました。何でも押し付けて構いませんよ」


 トレンチコートで防寒対策をして本日二度目の外界進出だ。

 宇銀と歩いてスーパーへと向かう。


「買う物リストは私が持ってるから」

「頼む」


 何だが時間を巻き戻したみたいだ。宇銀と共に行動しているとそんな気持ちになる。同時に「過去に戻れない」というプレッシャーが随分と重々しく感じられるようにもなってきた。周知の事実であるのはわかっているが。

 

 スーパーに到着。

 俺はカートにカゴを突っ込んで戦闘準備を整えた。


「ありがとー兄ちゃん。か弱い私にはとっても助かる気遣いだよー」

「トマトジュースのためなら何でもする」

「あっそー」


 宇銀がメモを見ながら先行し、俺はノロノロ後ろをついていった。

 マヨネーズや肉や三角ネットやらを妹は次々と迷いなく放り込んでいく。このスーパーの構造を完全に理解している。おそらく目隠ししても大丈夫だろう。歩きスマホみたいにメモ紙に目を落として角を曲がり、商品に手を出す。こんな高等テク、俺には無理だ。俺なら卵を全部割る自信がある。きっと主婦に八つ裂きにされるだろう。

 最後の最後で俺にトマトジュースを選ぶ権利を貰った。母が料理でも使うので毎度ペットボトルの大容量を買う。俺もこれに関しては迷いなく手を伸ばした。


「やっと手に入れた……」

「家帰って全部飲まないでよ。お母さんも料理に使うんだから」

「頑張って耐える。信じてくれ」

「無理な時は手首切って啜っといてね」

「おっそろしいよ宇銀ちゅわぁん……」


 カートを宇銀に預け、俺はレジの向こう側にて待機した。会計を終えた食い物供を袋に詰める作業だ。

 

(宇銀はいいお嫁になるだろうなぁ……)


 まぁ嫁になれたらの話だが。

 婚約話を持ってきたら俺と父でじっくりお相手を品定めさそてもらおう。相応しくなかったらケツを蹴って追い出してやる。外科にお世話にならない程度にな。


「奇遇だね」

「え?」


 傍に白奈がいた。

 突然すぎる出現に俺は言葉を失った。


「ビックリしすぎじゃない? 家近いんだしばったり会っても不思議じゃないと思うけど」


 正論だが久し振りに話すにしては自然すぎて怖い。むしろ俺が驚いている方がおかしいくらいに白奈は普通に話している。

 

「彗って鶴の忘年会行くの?」

「あ、ああ行くぞ。鶴に人集めをお願いされた人間が行かないわけがない」

「そうなんだ。てっきりアリナさんと鶴が計画してるのかと思ってた」

「あいつにそんな協調性のある行動はできんよ……」


 最近はマシになってきたが。

 

「……ねぇ、彗。別に気を使わなくてもいいんだよ? 私はすっきりしたんだから」

「えっ」

「ちょっと悔しいけどね!」


 白奈はイーッと威嚇して、ころりとすぐ笑顔を見せた。


「なんか、ごめんな」

「もう! だからいいの! 私としては気遣われる方が辛いんだよ?」

「……すまん」

「もうっ!」


 すると白奈は俺の胸に額をコツンと当てた。抱きついているわけではない。少し前屈みになって体重のほんの一部を預けているだけだ。

 彼女はすぐ顔を上げた。


「忘年会でノロケ話聞かせてよ? 嫉妬狂うかもしれないけどねっ!」


 そう言い残して白奈は去っていった。

 うっわー緊張したー。ちょっとドキッとしたじゃねえか。落ち着けマイハート。時計の指針を見て落ち着こう。

 会計が終わった宇銀は悪役さながらのニヤニヤっぷりでご登場した。ツッコムと地雷を踏み抜くと思ったので俺は無心で食い物をレジ袋に詰め込む。

 クソ。視界にちょこちょこ入り込む宇銀のニヤケ面がウザイ。俺がピエロなら宇銀はピエレッタだな。この道化師め。表情をリセットしろ。


「ねぇねぇねぇ兄ちゃん」

「待ってなさい。お兄ちゃんは現在お肉をつめています。爪でビニールを破いてしまったら鮮度が落ちてしまうので今は話しかけないでください」

「さっきの白奈さんだよね? ね? ね?」

「ええそうですが」

「私には求愛行動に見えたんだけどなぁ。幻覚かなぁ」

「そんなわけないでしょう。理性ある高等生物が公共の場でそんなことは致しません」

「すごいっ! 兄ちゃんは人間だった!」

「はいもう帰ろうねはいー」


 両手にレジ袋を持って足早にスーパーを出た。

 宇銀はご機嫌で「ふっりん♩ ふっりん♩ 兄ちゃんが不倫♩」と非常に不名誉な歌を近隣に撒き散らしながらスキップしている。転びやがれ。


 ちなみにその日は早寝した。

 

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