第62話 【番外編】隣のトマト・アディクト 1
俺の友達は冗談の塊だ。
そう、ジョーカー。榊木彗はジョーカーだ。彼の冗談が尽きたことはないと思う。底なし沼のようにストックがあるのだろう。
そんな奇怪な人物は、高校生活で初めて出来た友達だった。
桜が満開に咲いた華やかな4月。
新入生が先輩たちの誘導で校舎へと吸い込まれていく様子を校門から俺は眺めていた。
俺も新天地たるこの高校の新入生として、華の高校生活に希望で満ちていた。でも不安で溢れかえってもいた。先ほど張り出されていたクラス表のせいだ。自分の名前を探し当て、クラスメイトの名前を一通り目を通したけれど、中学の友達は誰もいなかった。一人でも顔見知りがいれば気が楽になるのに残念ながら全員が初対面ということになってしまった。
うまくやっていけるか。
その不安の種が大きく心に居座っている。
手渡された校内地図を頼りに俺はふらふらと彷徨った。中学校とはやはり校舎の規模が違う。
そしてやっと辿り着いた。着いたのだけれども、教室に一歩踏み出すことが凄く勇気のいることに気づく。チラッと教室内を覗くと案の定、早速ちらほら小さく固まって会話しているグループが散見された。もちろん身の回りを整頓している者もいたが俺はますます不安になった。
(やって、いけるのか……?)
その言葉に尽きる。
だが否応なくこのクラスで一年間過ごすのだ。ここで立ち止まっていても何ら変わることはない。
俺は平静を努めて教室に入り、黒板に貼られた席順表を確認した。
席は名前順となっており、俺は大体教室の中心の位置だった。
そして振り返り、席を目視した。
すると俺の左隣の席には神妙な面持ちで三缶のトマトジュースを机に並べている男子生徒がいた。
(4本目ッ!?)
その男子生徒は机にさげた手提げ鞄に手を伸ばし、またトマトジュースを取り出した。まさかと思ったが、プシュッと響きのいい音を鳴らして、口に持っていった。喉仏を上下に動かし、ゴクゴクと飲んでいく。
俺はもう一度振り返り、クラス表でそいつの名前を確認した。
榊木 彗
さかきき、すい? いや。さかきすい、か。
ついでにもう一度俺の席も確認したがやっぱりこの榊木彗という奇妙な人物の隣の席だった。
(行きづらい……)
あれは世間一般でいう『変わった人』だ。一部常識が通じないタイプの人間だと思う。
彼に意識を持っていかれていたので、俺は傍にいたある女子生徒の存在に気づかなかった。彼女も席を確認しているようだ。そしてくるりと翻ると「あっ!」と一声あげた。
パタパタと駆け出して向かった先はあのトマトジュース高校生だった。
「彗! 同じクラスになったんだね!」
「すげー偶然だな。5クラスもあるのにまさか一緒とは。教師たちの作為を感じる……」
「ねー。よろしくね」
彼氏彼女の関係だろうか。だとしたら相当嬉しいだろうな。
行きづらさに変わりはないがこれ以上黒板の前にいると変に目立ってしまうので、俺は沼にはまったような重々しい足で自分の席に行った。
「それでねー、ちょっと待って彗。トマトジュース何本飲んだの?」
「7本だ」
「後の3本は?」
「登校中に飲んだ」
「塩分過多で死んじゃうよ……」
「大丈夫だ。妹を信じる」
(バケモンかよこいつ……! 暴飲しすぎだろ!)
心の中で叫びつつ俺は筆箱やらノートやらを机に押し込んだ。まだ教科書を貰っていないので大した物はない。だからこの作業がすぐ終わるのは目に見えていたので困った。この席に居座るべきか、トイレにでも行って離れるか。皮膚にまとわりつく空気が異質に感じるほど居心地が悪い。
校内散策を含めてトイレに行くと決め、立とうとした時。俺の傍らでスカートをフリフリ揺らしていた女子、榊木彗の恋人(?)が俺に話しかけてきた。
「たかね、まこと君って言うの?」
ずいっと首を伸ばして、机の左端に貼られてある俺の名前が書かれた紙片を見てそう言った。
「う、うん」
咄嗟の声がけに吃る。
「私は波木白奈。一年間よろしくね!」
その時俺は彼女が天使に見えた。パッと世界が切り開かれるような新鮮さが弾け、救われた気がした。
「あ、ちなみに俺は榊木彗。ご近所同士よろしこ」
極々自然な流れで榊木彗も缶を揺らしながら自己紹介した。なんだ。第一印象より割と普通じゃん。
俺は安堵の息をつき、「高根真琴。こっちもこれからよろしくね」と言った。
ざわざわと廊下が賑やかになり始めた。廊下の壁に背を預け、生徒たちは俺たちの死角となっている先をジロジロと見ている。
「なんだろう。何かあったのかな?」
白奈が眉をひそめて呟く。
「あれだろ。どっかの生徒が脱ぎ始めたんじゃないのか? この新入生の数を考えても一人くらい極度の露出癖がいてもおかしくない」
「おかしいのは彗の頭だよぅ……」
俺たち三人は立ち上がってそのどよめきの中心地を見に、ドアから顔を出した。
生徒らの視線の先には一人の女子生徒がいた。校内地図を片手に、コツコツと靴音を立てながら近づいてくる。
「うへーすげー美人なJK」
棒読みの榊木彗。
「そうだね」
ムッと頰を膨らませて同意する波木白奈。
その女子生徒を一言で表現するならば『芸術』だ。
すらりと高く伸びた背に、繊細で艶かしい長髪。人形のような生き物とは思えない造形の美しい顔付き。宝石のような瞳はまるで銀河のようだった。
「どひゃーマジで美人だな、あいつ。モデルになったらバカ売れしそう」
「名前が気になるねー。もしかしたら本当に女優さんの娘さんかもよ?」
「どれ、あとをつけてみるか」
榊木彗を先頭に波木白奈、俺の順に列を作り、美少女を追った。
美少女は隣の隣のクラスに入っていった。そのクラスの男子は運がいい。正直めちゃくちゃ羨ましかった。
教室を覗くと探す必要もなく彼女は目立っていた。クラスの視線が集中していたからだ。生徒たちの視線を可視化したらきっと集中線が出来上がっているだろう。
「ひわ?
榊木彗が黒板と日羽アリナが座った席を交互に見てボソッと言った。
この時、日羽アリナの印象は最高だった。ぶっちゃけ一目惚れだった。鼓動が高鳴ったのが苦しいくらいわかった。傍にいた二人に聞こえてしまったと思って焦るほどに。
月日が流れても日羽が気になってしょうがなかった。
だいぶクラスメイトとも慣れ、彗とは一番喋る仲になった。彗の第一印象である『変人』は今も変わらず不動だけど最初よりかは彗が見えてくるようになった。冗談で周りを楽しませるスタンスの彼はどこのグループに色濃く属すわけでもなく、逆に人の輪に入らないというわけでもなかった。人間関係の整理が上手なんだと思う。
俺はバドミントン部に入部した。もともと中学でもやっていたから高校でも続けてみた。一方、彗は仮入部も部活動見学も一切していないようで、放課後はすぐ居なくなる。たまに売店で戦っている姿を見るくらいだ。
「彗は部活に入んないの?」
昼休み休憩に缶トマトジュースを三角形に配置して遊んでいる彗にそう訊いた。周知の通り、彗はトマトジュース中毒者だ。本人から「トマト・アディクト」と呼んでくれと頼まれたけど俺は一度も口に出したことがない。これからもだ。そんな恥ずかしいこと言えない。
「入ってるぞ」
「え!? どこの!?」
彗は口元を引きつり、指を鳴らした。
「帰宅部だ」
(部活じゃねぇ……)
いつもの冗談かと思ったけど過去の彼の様子から分析するに、それは紛れも無い事実だとわかる。
「白奈ちゃんと一緒にテニス部入るのかと思ってたんだけど違うんだ」
「なぜ白奈と一緒の道を俺が選ぶと思ったんだ」
「え、二人はだって付き合ってるんじゃないの?」
「真琴君。俺は独身貴族を貫くと決めた男だ。俺の隣席は一生空席のままだ。誰のためでもなく、誰にも座らせない。なぜかわかるか?」
「いや」
「金を座らせるんだよ。人を座らせてたまるか」
ああ、この人に天誅が降りますように。俺は密かに神様に願った。
白奈ちゃんが不憫だなぁ。白奈ちゃんの気持ちは入学日の時から直感的にわかった。自分に向けられた気持ちを自覚しているのかは彼にしかわからないが、白奈ちゃんに対するさりげない回答すら微塵も示さないのはちょっと残酷だと思った。
本当に気づいていないだけかもしれない。だとしても、白奈ちゃんのためにも少しだけでもいいから反応は見せてあげてほしい。そうでないと報われない。
「で、でででで。真琴の頭には『誰が』花畑で微笑んでいるんだ?」
「ギクッ」
「大腿骨が折れた音か?」
「ち、違うわい」
「日羽アリナが好きで好きでたまらないんだなあ? ふふふ。そりゃそうだよなあ? 究極の美貌を持つ日羽アリナだ。恋に落ちるのは必然だよなあ?」
「な、なんだよ。悪いかよ」
「全く? ただ友人としてお前の身を気遣っているだけだ。噂は聞いてるだろ? つーか事実だが」
日羽アリナは毒舌だった。揶揄いを目的とした毒舌なら笑えるが彼女の毒舌は相手を貶めんとするようなマジの毒舌だった。近寄ってくる生徒は徹底的に牙を見せて追い払う。学年のアイドルになると思いきや、今では学年の問題児となっている。
「聞いてる……俺も現場を見ちゃったことあるし……」
「俺も暇だったからスパイ活動の真似事で覗き見したがいやあ、ありゃひでえわ。バタバタと男子生徒が次々と胸を押さえて倒れる。『気持ち悪い顔ね』『汚い指ね。吐きそうだわ』『なんで二足歩行の豚がいるのかしら』。遠慮なく言いやがる。容姿と頭脳にステータスを振りすぎたんだな。神様も少しは考えてやればよかったのに」
「日羽の噂は凄いよね……」
毒舌薔薇
毒舌少女
薔薇
などの隠語が定着しつつある。
それでも俺の気持ちが冷めて鎮まることはなかった。日に日に気持ちは肥大化する一方だ。
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