第44話 ぐちゃぐちゃマインド
冷静になって考えてみるとおかしな点が露呈していることに気づいた。
まず二人。優しいアリナと毒舌アリナ。
二人の意見だけではどちらが基本人格なのかは断定できない。二人とも相手のことを基本人格と述べているからだ。それに記憶の断絶もある。確かなことが何一つもない。
日羽アリナという肉体の歴史は優しいアリナの方が理解が深いことだけわかった。彼女は小学六年生から世界を観測している。六年生以前の自分は毒舌アリナに教えてもらったと明言しているが毒舌アリナ自身は中学三年生以前の記憶がないと言う。
俺はもう一人の人格の可能性を考えた。二重人格ではなく多重人格ということだ。しかし二人ともその存在は認知していないように見える。しかし可能性としては捨てきれないだろう。
アリナは向日葵のような満開の笑顔を振りまいて俺と歩いている。すれ違う生徒らは三度見くらいして鼻の下を伸ばしていた。
もちろん今も生徒会所属の風紀員として職務を全うしている最中だ。
「あれ楽しそー!」
指差す先は俺の教室、二年二組だった。
「ちなみにコスプレ会場じゃないぞ。あれは喫茶店だ」
「へえ。二年二組だから彗のクラスだよね?」
「まあ」
「コスプレしないの?」
「しないんだなあそれが。この仕事を引き受けたから免除してもらった」
「ふうん。面白そうなのに勿体無いなあ」
「あ、やべ逃げるぞ」
「え?」
手斧を持った馬面が虚無の目でこちらを見据えながらに近づいてきた。
「ちょちょ、彗、誰?」
「高根真琴だ」
アリナはノートをめくりながら、
「あーっと、私に告白した人だっけ? で、彗と親友って書いてるけど。変わった人が好きなんだねぇ」
「お前に告白したやつなんて腐るほどいるだろ」
「そうだね。合計七十二人って書いてある」
「すげー。とんでもねー」
「全部断っておいた、って書いてある」
「こえー」
「前向いて前。いるって」
首を正面に戻すと馬の鼻先が眼前にあった。
「近いぞ、真琴」
「Come with me」
「何だって?」
「Follow me」
彼に腕をぐいっと強引に引っ張られてアリナとの距離が開く。腕を千切る勢いの握力でだ。やめろって、マジで痛い。憎しみが籠ってる
俺は壁に背を預けることになった。
馬は鼻先を相変わらず俺に突きつける。その鼻先を震わせながら馬は喋った。
「ただの美少女じゃねぇか……!」
「流歌さんのことですか?」
「確かに流歌も可愛いけど……! 日羽はどうしちまったんだ……!? あれじゃあただの美少女キャラじゃねぇか……!」
「まあいつものアリナじゃないよな」
「もはや別人だろっ……! しかもあのドレス……! 美しすぎる……!」
「それは俺じゃなくてアリナに直接言ってやれよ。俺からは何も出ないぞ。トマトジュースぐらいならドロップするが」
「スライム倒したほうがマシだ、腐れ人間」
やはり馬のマスクを被っていると性格がだいぶ強気になるようだ。
無益不毛と判断した俺は三森流歌に目で意思疎通を図った。着物が似合うお淑やかな流歌にこの凶暴ホースを対処してもらおう。
『こいつの相手をしてやってくれ』
伝わっただろうか。
すると流歌は割り箸を持って口にくわえた。そして首をかしげる。
(どう解釈したんだ……?)
どうやら彼女は天然らしい。お淑やかな雰囲気に天然。モテそうだなあ。
残念ながら一切伝わってないようなので最終手段だ。俺はわざとらしく声を荒げた。
「助けてくれェ! 誰か引き剥がしてくれェ! この馬の化け物を!」
流歌はハッとして指を鳴らした。そして足早に近づいてきて真琴の腕を抱きしめて強引に連れて行った。
背を向けたまま流歌はグッドのサイン。俺もグッドラックの意味を込めて親指を立てた。さようなら真琴。お幸せに。
サイコ馬から解放されてノートで顔半分を隠してじっと待っているアリナの元に戻った。
「みーんな知らないや」
「無理もない。逆にお前はかなり有名人だけどな」
「そうっぽいね。赤草先生からも聞いてるし、ノートを読むとそんな関係がなんとなーくわかった。毒舌薔薇ちゃんは悪目立ちしてるんだね」
「毒舌薔薇っていうのもノートから?」
「うん。自分の呼ばれ方とか書いてるよー。日羽さん、アリナさん、アリナちゃん、毒舌薔薇って。ちなみに彗から『お前』って呼ばれるのは嫌ならしいよ。おもしろーい。気に入られてるんだね」
「はいはい光栄光栄」
「本当にノートに書かれてる通りの人なんだね」
日羽アリナは俺の左腕を抱きしめて自身の体にすり寄せた。咄嗟のことに脳がフリーズし、魂が抜けるように声が漏れる。
「ふわああああああんー……」
「えっ!? なになに!? ときめいてる!? ドキッとしてる!?」
これは――サービスだ。
第三次産業、サービス業。日本国において75パーセントを占める産業、サービス。
キャバクラに行ったことはないし興味もないし年齢的にもアウトだけれど、このようなおもてなしを提供してくれるのであればお金を払う価値はあるのかもしれない。大人になったら一度は行ってみようかなと思わせてくれる。
体が――弛緩して溶けそうだ。なんて華奢な体つきなんだろう。
「なんかね、ノートに『榊木彗と交際疑惑が周囲で噂になってるから気をつけて』って書いてあったんだけど」
「ぞ、存じ上げませんでした」
「ウソツキ。ふぅん。私もやりすぎました」
左腕は解放されとても軽くなった。不思議だ。毒素を抜かれたのだろうか。どうやらこのアリナは毒を吐かず毒を吸い取るようだ。
とにかく調子がいい。今なら砲丸を月まで飛ばせる。
「仕事に戻りましょうアリナさん」
「はーい」
再び歩き始めた。もう優しいアリナさんについていけない。テンションが違う。波長が違いすぎる。
『相反する性格』
内側にこもり、周囲を排他する。
外に広がり、のみこんでゆく。
二人が同時に存在したらお互いどんな話をするんだろう。相当面白い絵になりそうだ。
「ねえ。彗って私をどうしたいの?」
不意の問いに俺は戸惑った。
独り言のようにさらっと言ったアリナは微笑んでおり、すぐに真剣な質問だとすぐわかった。
「正直、わからなくなった。始めは毒舌を治すことから始まった。そして二重人格と知り、今のお前を取り戻すことに疑問を抱きながらも当初の目的から切り替えた。すると次は『日羽アリナ』の姓名を授かったのは毒舌アリナだとお前は言い張る。もう何をすればいいのかわからないというのが本心だ」
アリナは「ふぅん」と鼻を鳴らした。
そして優しいアリナは言った。
「もう、私たちに構わなくてもいいんだよ?」
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