第45話 存在意義

「もう私に構わなくても大丈夫だよ、彗」


 初めて日羽アリナと出会った時は本当に面倒なことに巻き込まれたと後悔した。妹にも愚痴ったし、どうすればいいのかわからず困惑していた。

 一方的に罵倒される日々ではあったが時折見せる彼女の微笑みが悪くないと思わせ、つい口元が緩んでしまう日々だった。

 アリナとの会話が楽しかった。我ながら尻に敷かれているなぁと苦笑した。

 この感情は本物だ。


 だからアリナのその言葉は深く突き刺さった。


「彗にこれ以上迷惑はかけられないから。ずっと私たちのために尽くしてくれたんでしょ?」

「それなりに頑張ってはきた」

「もう大丈夫だよ。私がなんとかするから」

「……望んでいる結末はどんなものなんだ?」

「彗と赤草先生とは逆のこと」

「? つまり?」

「私が綺麗さっぱり消える」


 そんな恐ろしいことを平然とアリナは言った。ある意味――死だ。死と同義だ。

 そして問題なのは二人共消えたがっていること。自殺の裏腹とも捉えられる。それを企図しているのなら俺は全力で止めにかかる。

 基本的に命は尊い。残念ながら命の価値は殺人や身分によって揺らぐこともあるし、差がでてしまうこともあるが大切にするべきとても尊い形而上的な概念であり、蔑ろにすることは許せない。


 俺は絶句したままアリナと校内を回った。

 時々アリナは「ここ寄ってこーよ」と誘うのでなんなりと付き合ったが俺はうわの空だった。心ここに在らず、ぼんやりと霧の中でさまよっているような感覚だ。

 アリナの傍にいれなくなるという可能性に恐怖を覚える。日々彼女の存在が心の中で肥大化していたことは自覚していたが箱を開けてみると予想以上に満たされていたようだった。

 そして不意に背中をどつかれた。皮膚も筋肉も突き破って心臓が出てくる勢いでドガンと衝撃が来たので激しく咳き込んだ。


「ごめんなさい、背中にタランチュラがいたからつい」


 暴力者の正体は日羽アリナだった。こんなことをするやつを俺は一人しか知らない。


「どうやらお目覚めのようだな」

「そうね。いきなり記憶が飛んだから驚いたわ。あのステージであんたの顔を見たら次の瞬間、あんたと私が廊下で仲良く歩いてるんですもの。そりゃ脊柱もろとも破砕する威力で殴るわよ」

「チェンジ」

「はい?」

「人格チェンジ」

「そう簡単に切り替わるようなら今頃地球上で燃え盛る戦火は全て鎮火しているわ」

「あんたは神か何かか」


 元の毒舌薔薇に戻ったようだ。 何だろう、この故郷に帰って来た感覚は。妙な安堵感に包まれている。盛大な皮肉だが。


「で、私と何を喋ったわけ?」

「色々とまあ……」

「次、言葉を濁したらインド洋に沈めます」

「……お二人のご関係と過去を少々。あとノートのこともです」


 人格が変わると口調も表情も振る舞いも全てが別物になった。その見事なまでの変容に若干変なものでも見るような目を俺はしていたと思う。きっとアリナにはそう映ったはずだ。

 それを察したのかわからないがアリナは目を点にして呆けた顔になっている。ポカーンと口を丸にして無限遠方の彼方に焦点を当てている。


「ど、どうした」


 すぐにキッとした表情に切り替わった。お前は3Dキャラクターのテクスチャかよ。

 慌てながらアリナは先程のノートを取り出して何かを殴り書きしている。

 書き終わるとすぐにしまいこんだ。どこに隠し持っているかは神のみぞ知る、だ。


「今度これ読んだら懲役800年」

「俺は外国の受刑者かよ」

「ああーもう、なんてことをしてくれんのよバカバカ」

「見ちまったもんはしょうがない」

「うるさい殺すわよ。あんた眼球を舌で転がすとどんな味するか知らないでしょ」

「ハンニバル・レクターといい友達になれるぞお前」

「黙れ変質者」

「紳士だ」


 アリナはそっぽを向いて拗ねた。ツンデレキャラになりつつある。これはもっと調教すれば二号機パイロットを超えるツンデレになると俺は確信した。

 しかしだ。アリナにデレの部分はあるのだろうか。あくまでツンデレっぽく見えるだけで要素が整っているかは正直なところ微妙だ。以前俺が着替えている最中に彼女が入ろうとした事件では顔を赤らめていた。次に俺が誤ってアリナの着替えシーンを堂々見てしまった時は絶対零度のごとく冷めた目をしていた。

 さて、アリナはデレるのか?


 ――イエス、彼女はデレる。


 彼女と接して来てわかったのはアリナは結構「HENTAI」であるということだ。世界共通語となりつつあるHENTAIを彼女はしっかり備えている。


「アリナ。ツンデレって知ってるか」

「知ってるけど」

「お前ツンデレだろ」

「はあ? 話逸らさないでよ。いい? 次ノート見たら本気で茹でるわよ」

「どんなこと言ったらデレるんだ? 教えてくれよ」

「歯茎焼くわよ」

「可愛いなあ!! 可愛いなああ!! アリナちゃ――」


 脳が激震した。

 視界が刹那――途切れる。白くなり、暗闇がゆっくりと世界を覆う。

 残ったのは榊木彗を象る脳が激しく重苦しく揺れた感覚。

 地震よりはるかに揺れる世界に驚く暇もなく俺は倒伏した。細かく流れる時間の中で俺は頬をほんのりピンクに染めているアリナの顔を見た。そういう顔できるならずっとそうしてろよ。勿体無いなぁ。

 アリナに殴られ脳震盪を起こした俺はマジで気絶した。今度はジョークじゃない。本当に世界が暗転した。


 目をゆっくり開ける。意識が濃くなっていくにつれて後頭部の痛みもはっきりと鋭利になってくる。

 知らない天井。

 いや知ってる。薔薇園の天井だ。

 横になったまま俺は首を右に回す。するとアリナが長机に頬杖をついてジト目で俺を観察していた。で、俺はというと長机の上に寝転がっている。儀式に使われる肉体みたいに。枕はお情けだろうか。


「俺を食うつもりか食人族」


 開口一番俺はそう言った。


「元気そうね。ならいいわ」

「マジで死んだと思った」

「ちょっとは心配シタワヨ」

「機械音声みたいなトーンで言われてもなあ」


 長机から降りてとりあえず椅子に座った。

 アリナはまだドレスを着ている。華やかすぎるのでさっさと制服に戻ってほしい。毎回ドキッとしてしまうし、目のやり場に困る。


 ひさしぶりに薔薇園に来た。

 ここ数週間は生徒会に通いっぱなしだったから埃とかが蓄積していると思ったが意外と清潔だった。


「もしかしてここに最近来てたのか?」

「ほぼ毎日来てたわ」

「マジカヨ」

「私の空間だもの」


 昼休みに来ていたのか。よっぽど気に入ってるらしい。


「友達いなさそうだもんな」

「うるさいわね。単にここが好きなだけよ」

「寂しいなら鶴のとこ行けよ。あいつなら嬉しがるぞ」

「私は狼よ」

「薔薇の方がしっくりくる」

「あああーうるさいうるさい。そろそろ休憩時間だから自由にするわ」

「ご自由に」

 

 俺は歩き疲れたのでここで寝ることにした。だがアリナは「ちょっと」と話しかけてきた。


「寝させてくれよ」

「ダメ。出てって」

「おいおい。いくらここが気に入ってるからといって追い出すのはやめてくれよ。ここ以外落ち着いて寝れる場所がないんだ」

「着替えたいんだけど?」


 彼女がシャーペンを逆手持ちした。俺は素早く逃げた。第六感が危険信号を全身に送った。

 逃げなきゃ殺される――。

 自然界って大変なんだなと痛感した。

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