第3章 あなたが輝く物語

第37話 Discipline committee

 死んだようにテレビ画面を眺めるのが日常に隠れた最高の至福なのかもしれない。俺がそう悟り始めたのは最近だ。

 脳の回転を停止して目で情報を受け取るだけの状態は本当に弛緩の極みである。どうしてここまで幸福に包まれた心理になるのかは俺の脳味噌に電極を刺してモニタリングしてやっと一部を理解できるだろう。

 感覚とは主観なのだ。誰がどう言おうと揺るがない唯一無二の感覚。その人の「感覚」を感じることなどできないのだ。相手の眼に映る視界を覗こうとするくらい馬鹿げている。


「兄ちゃんどけて」


 ソファーに寝転がる俺の足をぺんぺん叩く妹の宇銀。


「母さん。宇銀が俺の足を切断しようとしてる」


 母は食器を洗いながら「はいはい」と頷くだけだった。


「兄ちゃーーん、ノコギリ持ってくるよー」

「物騒なことはやめなさい。俺のよく知る女の子みたいなことを言うな」

「えへ。明日って兄ちゃん文化祭なんでしょ?」

「そうだが」

「私行くね」

「え? 学校は?」

「土曜だしちょうど部活は日曜になったから暇だし行くー」

「そうなのか。勝手に楽しんでくれ」

「兄ちゃんは誰と回るの?」

「誰とも回らんなぁ。文化祭の警備員兼案内係になってるからなぁ」

「一人で?」

「いや、アリナとだ」

「なんだ。アリナさんと回るんじゃん」

「そんなんじゃねえよ……」

「またまたぁ。嬉しいくせに」


 妹まで俺とアリナの関係をからかうようになるとはもう手遅れだな。疑惑をぬぐい切れんところまで来てる。

 

「俺は独身貴族だ」

「そりゃあねぇ。だって結婚できる年齢に達してないし」

「……俺は一生トマトジュースを飲めればいい。それが全てだ」

「話の内容変わってるし。そのトマトジュース好きってやっぱ私が言ったから?」

「どうなんだろうな。宇銀くんにトマトジュースは健康にいいよと言われて以来飲んでるけど健康云々より単純に美味いんだよ」

「げー。すごいね。私トマトジュースきらーい。あんなの飲めっこない」

「人生の8割損してるぞ」

「そんな人生嫌だなぁ」


 アリナと巡回中に宇銀と出くわしたら面倒なことになりそうだな。しょうがない、1日だけ神を信じてやろう。

 神様。どうか明日は宇銀と会わないように世界の操作、よろしくお願いします。





 文化祭当日。


 多少ではあるがいつもの憂鬱な朝とは違い、希望に似た明るくて熱いものが胸に宿っている。

 人の活力をたっぷり含んだ空気が校内に漂っていてのみこまれそうだ。

 朝礼が始まる前からバタバタとクラスメイトらは忙しく動き回っている。午前九時から一般開放なので既にコスプレをしている人でいっぱいだ。一時的に俺のクラスは混沌と化している。年代も世界観もぐっちゃぐっちゃの当初目指していた風景がバッチリ出来上がっている。

 問題の真琴は変わらずのケンタウロスもどきだ。短パン、アロハシャツに馬のマスク。逆ケンタウロスという表現の方が的確なのかもしれない。今は被らなくていいはずなのに彼はもう装着していた。もはや体と一体化している。

 

「逆ケンタウロス。調子は?」

「今までにないくらい快調だよ。なんか爆発しそう」

「そりゃいいことだ。爆発しそうになったらトイレの個室で頼む」

「わかった。舐め回してやるぜ」


 何をだよ。こいつはもうダメだ。


 朝礼後、クラスメイトたちはそれぞれの動きに移行した。一般開放が間も無く始まる。

 俺はそそくさと教室を出て生徒会へと足を運んだ。

 向かっている途中、アリナとばったり会った。


「よう」

「朝から嫌な顔」

「そう言うな。今日はよろしく頼む」

「そ」


 変わらぬ無表情で空返事する彼女。

 だが俺は知っている。

 大きな手荷物を両手に抱えて登校するアリナを。

 俺は知っている。

 それが全て服であると。

 乗り気じゃないような口振りを貫き通していたが実際体の方は正直ならしい。やるからにはやるというアリナの精神は未だご存命のようだ。

 

 生徒会に到着して、まずは封印していた腕章を取り出す。

 

 パブリック・モラル


 そう書かれた腕章を左腕に通す。


「なぁ。なんで英語なんだ?」

「知らないわよ。恥ずかしいわ」

「普通に案内係でもいいだろうに。これも会長の意向なのかね」

「相当バカな会長なのね。その会長」

「バカ、聞こえる」


 わーわー俺が喚くことで声をかき消した。周りには原始人が狂喜乱舞しているように見えただろう。

 折角の文化祭なんだから平和にいきましょうよ。

 

 窓の外は人だらけだった。

 一般人がぞろぞろと校門を通る様子を見て、九時になったことがわかった。

 放送で校内全域に響き渡る文化祭スタートの合図が放送部の声で伝播する。


『文化祭、開幕です!』


 生徒会メンバーたちはオープニングイベントの為に動き始めた。

 ということで俺らも行動開始だ。


「よし、じゃあまずは体育館に行くか」

「あんたオープニング観に行きたいのね」

「そりゃあな。オープニング中は校内が寂しくなるからな。取り締まる気にもならん。だから体育館に行くんだ」

「わかったわ。さっさと行くわよミノムシ」


 ツッコミを入れることすら面倒なのでスルーする。


 榊木彗、日羽アリナはパブリック・モラルを腕に光らせ校内を徘徊する守護神と化した。


 かっこよく言えばそんなものだろうが単純に暇人なのかもしれない。

 俺個人としては仮装を逃れたことが一番の幸運だ。正直、あれはめんどい。

 

 

 体育館の熱狂はとんでもないものだった。

 黒カーテンで遮光された空間にぎっしりの人間。ゴキブリホイホイをイメージしてくれ。まさにそれ。

 ステージは照らされ、各部活動が順番に宣伝を兼ねて芸をしたり踊ったりしている。

 生徒らもノリが良く、ステージの誰かが何かをいうたびに呼応して叫ぶ。普段感じない熱気に俺は圧倒された。光る棒を持ってる奴もいた。(後にサイリウムというものであることを知る)

 バド部の紹介では真琴が既に馬マスクを被っていた。理解不能だった。もう手遅れなのはわかっていたがあそこまでいくともはや別人だ。バド部の連中も苦笑いをしている。隣でアリナが「馬刺しにした方が良さそうね」と辛辣な提案をしていた。

 俺とアリナは背を壁に預けて、オープニングを眺める。アリナは人の多さに疲れているようだった。

 

「出るか?」

「いい。悪くはないから」


 であるならばいいが。

 俺としてはアリナがファッションショー出場に影響が出ないかが心配だ。

 なんとしてでも見てやる。

 仕返しする方法としてベストなのが俺が最前席で居座ることだ。絶対に見られたくないはずだからな。びっくらこいて骨盤落っことしそうだな。その時は拾ってはめ込んでやろう。ガコンッてな。

 生徒会役員もスケジュール通りにことを進めているようで今のところ順調だ。仮にも生徒会に関わった人間なので事の進み具合は大体理解できた。

 つまりそろそろオープニングは終わる。


 

 吹奏楽の演奏をフィナーレにオープニングは終了した。そして関潤会長の文化祭開幕とオープニング閉会の挨拶で文化祭は堂々始まった。


「どれ、行くか」

「ええ」


 パブリック・モラルの名の下、俺たちは文化祭の守護神として動き始めた。

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