第8話 冷気の来訪
予想外の展開に俺は勿論、この場に居合わせる全員が凍りついた。みな口を閉じ、彼女が何を物申すのか息を呑んで待つ。ヒトラーの演説を待ち続ける民衆のように。
向こうで練習しているバスケ部の数人もこちらに釘付けになっている。妙な空気が漂い始め、アリナは息を吸い込み、遂に切り出した。
「あなたたち、約束一つすら守れない生き物なの?」
アリナが冷たく言い放つ。
鋭利な声色が耳に響いた。
全員、彼女の言葉で固まった。容赦ない表現にどう反応していいか皆解らなかった。そして何故彼女が此処にいて、自分たちを叱責するのか。問題児の彼女が進んで切り込んできたのはなぜか。誰一人わかる者はいなかった。
彼女に敵対されているバド部、味方されているテニス部の両者とも混乱していた。
「聞いてるの? 鼓膜が破れるくらいの大声は出してないつもりだけど。誰が聞いてもバドミントン部の一方的で不公平な要求よ。高校生にもなって解らないの?」
言葉の最後に必ず挑発文句を入れる。実に彼女らしい口調だ。
負けじとバド部の女子が口を開く。
「だからあんたにも関係がーー」
「またそれ? さっき後ろのミトコンドリアが裁判だの何だのと言ってたけどおおよそその通りよ。第三者の視点で自分が言っていることを一度考え直しなさい。沸騰しそうなその丸い頭でどれだけ自分たちが自己中心的で生意気で駄々をこねる子供みたいに怒鳴りつけているか自覚しなさい。そもそもあなたたちの先輩の約束事を腐りものみたいに扱っていいのかしら。先輩たちがあなたたちを見たらどう思うでしょうね」
「それは、ちゃんと説明をーー」
「聞き苦しいわね。バド部の先輩に言い聞かせたとして、テニス部の先輩は裏切られたって思うわ。可愛い後輩がバド部の奴らにキツイこと言われてるって、ね。そんな風に先輩たちに哀れまれて、迷惑をかけることはしたくないでしょ? ね、結梨さん?」
「え? あ、先輩には迷惑はかけられないよ」
突然話を振られた結梨は一瞬動揺した。
「それでもまだ不毛な言い争いをしたいなら面倒だけど私があなたたちバド部の先輩を呼んであげるわ。どうする?」
アリナの脅しに近いような言葉にバド部の先頭に立っていた女子がたじろいだ。後ろからは伺えないがきっとアリナの顔は氷河期より冷たく、凍結してる。マンモスもびっくりだ。沸騰したお湯でもそろそろかけないと先頭の子は泣いてしまいそうだ。
俺はそろそろ潮時だと思った。アリナの言うことは最もだがその内容を発言すべき人物は彼女ではない。賞賛したいがこの場にこれ以上いることはかえって話の論点をずらしていくことにしかならないだろう。決して彼女は間違っていないが適切なタイミングとは言い切れない。
「アリナ、帰るぞ」
俺は小声でそう囁いた。耳をピクリともせずに正面に顔を固定する。
数秒の沈黙が流れる。
「ほら、行くぞ」
二度目の声かけでアリナはやっと動いた。何も言い残さず体育館出口の方に体を向ける。そこでアリナの横顔が見えた。相変わらずの冷めた表情だった。だが気のせいかもしれないが、生き生きともしているようにも感じた。きっと俺も混乱しているんだろう。
「結梨、掻き乱してすまん。あとで謝りに行く」
結梨はぎこちなく頷いた。
俺はアリナの後を追って体育館を出た。最後まで二勢力は立ち去る俺たちを唖然として見詰めていた。UFOでも見た後みたいだ。
その後、この騒動がどうなったかは解らない。
アリナは黙々と前進して、帰っていった。
特に声をかけるでもなく俺は見送った。ついてくるなと背中が言っていたからな。
俺は一人薔薇園に戻り、先程の流れを思い返した。
やはりアリナが現れたのが謎だ。俺が体育館に行ったからついてきたんだろうか。それともテニス部が気になったからなのだろうか。だがアリナの性格からしてどうも考えられない。
何よりも面倒ごとを嫌うアリナがわざわざ首を突っ込んできた。その事実が俺をより一層悩ませる。
「解らん」
心の靄が晴れぬまま俺は下校した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます