君がため、惜しからざりし命さへ

mokota

第1話 孫の琴です


「おばあちゃん、最近元気無いらしいの。受け答えもはっきりしていないみたいでね。琴ちゃん、たまには顔出してあげなさいよ」

 そう、言われたのは7日前のことだった。スマホに目をやりながら片手間で、分かったと返事をしたことを覚えている。私にとっての1日とおばあちゃんにとっての1日は、同じ長さだったのだろうか。

 今週の土日には会いに行こう。来週の土日こそ会いに行こう。

 そう、思ってもう1年が経っていた。

 おばあちゃんは、おじいちゃんが病気で入院したのをきっかけに近くの老人ホームに入所した。親戚ではこの事案に関して、何度も討論がなされたようだが、共働きである両親におじいちゃんとおばあちゃん両方の面倒はとても見きれなかった。それは、親戚一同にも明白であったし、やむを得ない選択であったと私も思う。

 老人ホームに足が向かなかったのは、忙しさや面倒だけが理由ではなかった。おばあちゃんに会うたびに、私が若返っていく、それが怖かった。この前まで、はっきりと今の私を認識していたはずなのに、次に会う時には高校生になったいるのだ。今まで過ごしてきた思い出が、どんどんとこぼれ落ちている。それが怖くてたまらなかった。

 ただ、いま思えばきっとおばあちゃんの方が何倍も怖かったのだと思う。私が戸惑った表情を見せてばかりいたからだ。どんなことを考えていたのだろう。しかし、7日前の母の言葉を思い返し、それでもそろそろ会いにいかなくてはと、最寄りまでの切符を買いに行こうとした矢先だった。

 おもむろにスマホを確認すると、母からの着信が14件、メールが1件入っていた。


『ことたいへん。おばあちゃんが、ホームからきえた』


 余程慌てていたのだろう、すべてひらがなで打たれている文面がより緊張感を煽った。消えた? 認知症が原因で徘徊をしてしまうケースを多いが、おばあちゃんは自分で体を起こすことも出来ないほど体力が低下していたのだ。自分で消えることなど出来るはずもない。すぐに母に電話をかけなおそうとした、その時、もう1件メールが届いた。初めて見るメールアドレスだった、意味もない数字や英語の組み合わせ。

『こっちん。おばあちゃんは、おじいちゃんと旅行に出かけます。大丈夫だよ。すぐに帰ります』

 こっちん。これはおばあちゃんだけが使う私の愛称だった。悪ふざけにしては、出来すぎている。そもそも、この愛称を知っている人がおばあちゃんを誘拐して、痛めつけようとなんてしないはずだ。この愛称を知っているのは、両親とおじいちゃんくらいなのだ。

 母に折り返し電話をして、このメールのことを話したが、取り乱している様子で全く信じてもらえなかった。


 この時、すでにおばあちゃんの魔法の日が始まっていたことを、まだ私しか気がついていなかった。


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