先輩ちゃんと後輩くん
ヒトリゴト
後輩くん
理想の男性。
クールな人。
でも後輩くんは違います。
「はぁ、雨なんて聞いてないよー」
放課後。日直の仕事で残っていた私は昇降口でそう呟いた。外はザーザー降りでとても傘無しで帰れるような状況ではありません。どうしよかと考え込んでいると、後ろから誰かが来ました。
「やっぱ折りたたみ傘じゃ心許ないな。うん、普通の持ってきて良かった」
私よりも背の高い男子生徒はそう言った。あれ? これは貸してくれるパターン? そう考えていた私は期待しましたが、男子生徒はこちらをちらりと見ただけで、そそくさ通り過ぎました。
「ちょっと! 」
「っ!? 」
あ、びくってなった。なんか面白い。じゃなくて、
「明らかに困っているでしょう! 困っている人は助けるって習わなかったの!? 」
私はそう言ってやりました。私は立場が逆なら絶対に傘を貸します。お母さんからもそう教えられてきましたし、実践もしてきましたら。それなのにこの男子生徒は……。
「いや、困っている人を見たらほっとけって習いましたよ。その人の試練ですし」
嘘です! 絶対に嘘です! そんな教育をする親がうちみたいな進学校に息子を通わせる訳ない!
ま、まあ教育方針は家庭それぞれですし、本当にそうかもしれないのでいいのですが。
それよりも、今は傘を借りる事をしなければいけません。
「そ、そうですか。あの、傘を借りてもいいですか? 」
「嫌です」
「即答!? な、なんで? 」
「いや、だってほら。貸しても返って来ない場合もありますし、俺になんの得もないですし」
「損得で動くの? 」
「当たり前でしょう。なんの見返りもなくやれる事なんてないです。普通は自尊心が満たされるんでしょうけど、俺にはそういうのはないんで」
ひ、捻くれている。だけどなまじ反論が出来ないからタチが悪い。
「では」
「あっ」
行ってしまう。もう校舎に残っているのは部活に入っている生徒だけだろうし、これを逃したら傘が。濡れて帰らないといけなくなる。
私のそんな思いも知らず男子生徒は立ち去ろうとする。
はぁ、本当にどうしよう。
「仕方ないですね」
「えっ? 」
「雨ん中走って帰っているの見られたらうちの品格が疑われますからね」
そう言ったのは先ほどの男子生徒だった。折りたたみ傘ではなくビニール傘が差し出されている。もしかして、
「貸してくれるの? 」
「特例ですよ」
「あ、ありがとう」
なんだか、回りくどいなぁ。だけどそこでふと一つの疑問がわいた。
「あれ? でもなんで敬語? 」
「いや俺一応後輩ですし。ネクタイ見ればわかるでしょう。バカですか? 」
「生意気な後輩くんだな!? 」
これが私と後輩くんの出会いだった。
***
理想の男性。
気さくに話してくれる人。
でも後輩くんは違います。
「あっ」
「……」
今日は日曜日。私は近くの本屋に本を買いに行った。その帰り道にある小さな公園のベンチで読書をするのが好きなのだけど、今日はなんとベンチには後輩くんが座っていた。後輩くんも読書をしている。
「……」
目、合ったよね? それなのに何も反応がない。挨拶くらいしてくれてもいいんじゃないかな?
「こんにちは」
「どうも」
会話が、会話が続かない。いや、けど続ける必要もないし違うベンチに座ろう。
そう思ってもう一つあるベンチを見るが、そこは既に占領済み。親子で楽しんでいるところに行くのは無理です。
もう一度後輩くんを見ます。後輩くんはベンチの片側に座っていて、もう片側は空いています。なら、ここに座ろう。
「ふう」
少しおばさんくさいでしょうか? でも、5月の暖かい日差しに照らされていると少し暑く感じて、木の陰になっているベンチは涼しくて気持ちいいのです。
隣を見ると後輩くんは私が座った事に何にも興味を示さず、今も本に没頭しています。
私も買ったばかりの新刊を読む事にしました。
ゆったりと時間は過ぎていき、ちらりと腕時計を確認すればあれからもう一時間は経っていました。暑いところから涼しいところに移って本を読んでいたからか、忘れていた喉の渇きが私を襲います。近くに自販機があったからそこで買ってきましょう。
隣を見れば後輩くんも……、あれ? いつの間にかいなくなっています。でも本は置いてある。何を読んでいるんだろう? 少しだけ見てみよう。
掛けられているブックカバーを捲り表紙を見ると、それはなんと私が好きな作家の本だった。しかも今日買った最新作。もしかして、後輩くんも好きなのかな?
「どうぞ」
「え? 」
またしてもいつの間にか目の前に立っていた後輩くん。その手には二本のペットボトル。
「くれるの? 」
「たまたま当たったんで」
「本当! ? 写真撮った? 」
「撮りませんよ。子供じゃあるまいし」
「子供で悪かったね!? 」
本当に生意気です!
「それで、いるんですか? 」
「い、いる。ありがとう」
「……」
「そう言えば君もその本の作者好きなの? 」
「ええ、そうですけど」
え? それでお終いなの? もう少し話しを広げてくれてもいいんじゃないですか?
私が考えている間にも後輩くんは本に没した。……私も読もう。
会話はないけど、何かを話さなくちゃ、という気まずさはない。むしろこれが自然で、あるべき形だと思えるような。
後輩くんの隣は案外居心地がいいかもしれません。
そう思う五月の日曜日でした。
***
理想の男性。
優しい事を進んでやる人。
でも後輩くんは違います。
月日は流れて夏休みを跨ぎ、季節は残した宿題のような暑さのある秋となった。学校はクラスが一丸となって文化祭に向けて準備をしている為に熱気に覆われています。
今年で最後の文化祭。私のクラスはお化け屋敷をする事になった。
「ねぇねぇ、誰と回るの? 」
「私? 」
聞いてきたのはクラスでも仲のいい智恵理さんです。
「智恵理と回ろうと思ってたんだけど」
「えっ? いやいや、回る人決まっていると思っていたから。彼氏と行くわよ、私」
「え? 嘘、酷いよ智恵理〜」
「あんただって気になる二年生と回るんでしょう? 」
「気になる二年生? 」
気になる二年生……誰? そもそも私には今、気になるや好きな人等に当てはまる人はいません。だから智恵理に言われた事もよくわからないのが、嘘偽りない素直な考えです。
「とぼけちゃって。移動教室ですれ違う時に手を振ってる二年生だよ? 」
「手を振っている? 」
手を振っている、手を振っている。それも異性の二年生に。……思い当たる人物は1人しかいませんが、
「ち、違うよ!? 」
確かに後輩くんには手を振っている。でも、それは! 知り合いに会ったけど微妙な距離で声をかけ辛いから仕方なく軽く手を振って挨拶をしているだけです。後輩くんだってようやく会釈をしてくれるようになったんです。
「そう? でもみんなそう思ってるわよ? その時のあんた、なんかいつもと違うしね」
「そうなの? そんな事本当にないんだけどな」
そんな事は本当にないのです。
準備をしていれば足りなくなる材料が出て来ます。私は今まさに足りなくなったものを取りに倉庫に向かっています。すると最近では見慣れた後輩くんの姿がありました。声を掛けようとしましたが、私はそれをやめます。それは一連の言動を見たからです。
「仕方ない、ついでに持ってくか」
後輩くんは何やら呟きました。ですがいつもと違うのは、落とし物でしょうか。手に女の子の物と見えるハンカチがあった事です。どうやら後輩くんはハンカチを届けるようです。偉いじゃないですか。
「金取りてぇな」
呟く言葉は最低ですが。
後輩くんもどうやらクラスで必要な物を取りに来たようで、ダンボール箱を持ち歩き出しました。後輩くんが向かったのはなんと一年生の教室でした。落し物にしっかりと記入されていたからか、後輩くんは迷わず持ち主のいる教室に着きました。そこで後輩くんは特に声をかけるわけでもなく、ドアの近くにあった机にハンカチを置いたのです。
ついでに、と言っていたけど後輩くんのクラスからこの教室は遠い上に回り道でしたが、届けた事すら認知されぬように置いて帰えりました。不器用な優しさです。
文化祭当日、後輩くんはクラスメイトでしょうか? 女子と一緒に歩いていました。私と一緒にいる時と同じようにぶっきらぼうで、めんどうくさそうに荷物を持っていました。
後輩くんの知らぬ一面を見ました。けど、その一面を少しでもいいからもっと私にも向けて欲しいと思いました。
靄がかった気持ちが、あったのです。
***
理想の男性。
みんなから慕われる人。
でも後輩くんは違う。
1年の終わり大晦日。今年も色々なことがあったなぁ、と思い出す時でもあります。あとは、年越しに合わせて神社にお参りに行きます。
私も友達の智恵理から今朝方誘われて、近くの神社にお参りすることになったのです。なのに、当の本人は直前で彼氏と行くからやっぱりごめん、などと自慢気に言ってきました。
本当に調子がいいなぁ智恵理。今度あったらただじゃ済まさないぞ。
でもどうしよう。もう神社近くまで来てしまいました。それに、せっかくお母さんが着付けしてくれたのに誰にも見せないのは。
そこで頭に浮かんだのは後輩くんでした。
「で、急に呼びつけてなんですか」
電話をしたら嫌々ながらも来てくれました。断られると思っていたので驚きました。
「どうかな? 私の格好」
「……」
「ど、どうしたの? 」
「別に、どうもしませんが。似合ってるんじゃないですか」
「っ! そ、そう? 」
あれ、おかしいな。私の予想だと着物は、とか言ってくると思っていたんですが。ど直球の褒め言葉が来たので少し驚きました。それに、なんか嬉しいです。
「そう言えば後輩くん。後輩くんは友達と初詣とか行かなかったの? 」
「そんな仲の奴いませんよ。いたとしても人混みに自分から行くとか、よっぽどじゃない限りしません」
「ごめんなさい」
「別に構いませんよ」
よかったです。何がよかったんでしょう? ああ、怒ってなかったからです。
「でも、後輩くんは寂しくないの? 」
「一人は好きですし、それに、近しい人は数人で十分です」
「そっか」
大晦日、一年の終わりには後輩くんとほんの少しだけど話せました。今年も思いの残す事は何もなくなりました。
***
理想の男性。
清潔感のある人。
でも後輩くんは違う。
推薦をとった事によって進路先も既に決まった二月。私は毎年恒例の聖バレンタイン氏に因んだイベント、バレンタインデー用のチョコを作っています。渡すのは智恵理とついでにお父さん。あと、後輩くんにも上げる事にしました。
後輩くんには何かとお世話になったし、思えばしっかりとしたお礼はしていませんでした。後輩くんのことだ、いちゃもんつけられないか心配だけど。
後輩くんの好みは分かっています。お昼には甘い菓子パンを一緒に食べた事もありまし、スイーツ巡りをしていると言っていました。要するに、甘党なのです。程よい甘みになるよう何回も味見をして、私は当日に向けてチョコを作るのです。
迎えた当日はやっぱり寒かったけど、後輩くんには五月の公園に来てもらうように連絡をした。バレンタインデーだけど土曜日と言う理由だ。
指定した時間一分前に来た後輩くん。もう、来ないのかと思って心配しました。でも後輩くん。格好どうも寝起きっぽいのは勘違いかな? 半纏着ているところとか、凄く似合っているんだけどね。髪がボサボサだよ?
「遅いよ! 」
「いや、時間ぴったりです。それよりも先輩、こんな寒空の下わざわざ呼び出した理由はなんですか? 以前みたいのだったら怒りますよ」
「ち、違うから」
以前のとは、その、間違いなく初詣の事でしょう。
「いや、その、今日バレンタイン——」
「ああ、あの忌々しい日ですか。大量生産の義理チョコをクラスの女子に押し付けられて、過剰利子を要求するアレですか」
「後輩くんのバレンタインは不幸そうだね! ? 」
と言うか印象最悪です。大丈夫かな?
「で、それがどうかしたんですか? 」
「はい、コレ。この流れだと渡しにくいんだけど、バレンタインチョコ。たくさんお世話になったからね、お礼って事で」
「ああ、義理チョコですか。大した義理なんてないと思うですけどね」
義理。そう、これは義理だよね。どうしてもその言葉が引っかかる。その言葉は違う。そう感じる。じゃあ、これは何?
「でもまあ、先輩のチョコですしね。ありがたく頂戴しますよ」
笑った。初めて真正面から向けられた笑顔。いや、はたからみたらわからない程度だけど、確かに笑いました。
顔が熱い。見つめるのは恥ずかしいけど、目が離せません。
ああ、そうだったんですか。
「あの! ——」
***
私が思い描いていた理想とは、かけ離れた後輩くん。
クールじゃなくめんどうくさい。
気さくに話さず黙り込む。
優しいけどどこか不器用。
友達は少ない。
女の子と会うのに格好は適当。
私は自分の気持ちなんてわかってないけれど、胸を踊らせるこの想いは本物だと確信出来る。
どうして好きになったのかはわからない。でも、どうしようもなく後輩くんが好きだと気がついてしまった。
この想いを誤魔化すには、もう、後輩くんの事を好きになり過ぎてしまったようです。
本当に、生意気で可愛い後輩くんだ。
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