月曜の朝って最高じゃないですか?
リュート
月曜の朝って最高じゃないですか?
「はあ……」
教室に入るなり、思わずため息をこぼしてしまった。
かといってそれに何か言うやつがいるでもない。というか俺以外に人がいない。
当然だ、なんてったって今日は誰もが嫌がる月曜日なのだから。
こんな朝早くに、何の用もなく教室にいるやつなんてそうそういないだろう。
「朝からなにしてんだろ俺……」
誰に聞かせるわけでもなく愚痴る。
俺の通う「
当然そんな役目をやりたがる人間などおらず、じゃんけんで決めるはめになったのだが……。
負けた。パーを出したら俺以外全員チョキだった。
グーを出せばよかったと後悔するのも今日だけでもう10回目だ。考えても考えても文句しか出てこない。これ以上ため息をついて幸せに逃げられても困るし、ここは頭ではなく体を動かそう。
教室後ろのロッカーから箒とちりとりを取り出す。雑巾も入っていたが、朝から雑巾がけをしてやる義理などこの教室にはない。
「
始業時刻の50分前に来るようにと言われていたので俺は1時間前に来ていたのだが、もう一人の委員長である白川さんの姿が見えない。まさかしょっぱなから遅刻だろうか。
またため息をついてしまいながら、俺は窓ガラスを見た。
そこに映るのは当然俺自身の姿。黒髪短髪、背は170後半の、取り立てて特徴のない男子高校生。
特徴のない俺を、特徴のない俺が見つめる。……ああダメだ、やっぱりダメなところばかりが目についてしまう。
「これもどうにかしないとな……」
俺には人の欠点ばかりを捉えてしまうという癖がある。
今でこそ人並みに社会に溶け込めているが、小さいころ……小学校くらいの俺は、俺一人で世界が完結していた。
他者はいらない、俺しかいらない。どれだけ仲が良かろうと血が繋がっていようと、他人は俺ではないのだから。
俺でないのなら、俺と合わない部分がある。合わないのは嫌だ。だから俺は俺の世界に閉じこもる。
だが時間の経過とは恐ろしいもので、なにか大きなイベントがあったわけでもないのに、いろんな人と関わるうちに俺はどこにでもいるただの高校生に成り上がることができた。
けれど、イベントがないまま緩やかに変わってしまったのがいけなかったのか、人を見るときに欠点――俺と合わないところ、俺が気に食わないところ――ばかりを見る癖はどうにも抜けきらず、俺は毎日人と会うたび、気になって仕方がないその欠点を、円満な人間関係の保持のために必死に見ないふりをしてきた。
誰だって似たようなことはしてるだろう。単純に俺の場合は度合いがひどいだけだ。
隣の席の人の良さそうな女子に、吐き気を覚えるような人間ばかりがこの世に溢れているとは思いたくない。
こんな癖を持っていたら、恋なんて夢のまた夢だろう。
だからせめて、高校生の間にこの癖は直しておきたい。
小さな決意をしたのと同時、小さな音を立てながら控えめに扉が開かれた。
時間ぎりぎりでようやくか――と俺は扉の方へ振り向く。
その時の衝撃を、俺はきっと忘れない。
引き込まれるような黒い長髪は、寝癖でぼさぼさになっていて台無しになっており。
目を奪われるほどの美しい顔は、口元からよだれが垂れているせいでこれまた台無しになっており。
男なら反応せずにはいられない豊満な胸元は、しわくちゃのワイシャツのおかげで見るも無残になり果てている。
そして極めつけは。
「…………すう……」
「立ったまま寝てやがる!!」
なんと白川さんは、教室の入り口に立ったまま器用にも眠りこけていた。あまりの衝撃に大声でツッコんでしまったのが幸いしたのか、俺の声に反応して白川さんが目を開く。
彼女の視界に俺の姿が捉えられる。2、3回ほどまた寝てしまいそうになるのを耐えながら、彼女はその艶やかな唇を動かして声を出した。
「…おじいちゃん?」
「クラスメイトだけど!?」
――これが、俺と欠点だらけの白川さんとのファーストコンタクトだった。
*****
「白川さん、ちりとり貸し……起きて白川さん!」
「大丈夫……あと5分だけだから……」
「なにも大丈夫じゃないよ!?起きて!」
あれからようやく掃除に取り組み始めたが、白川さんはずっとこの調子だ。目を離すと眠っている。なんなら目を離さなくても眠っている。
どんだけ朝弱いんだ。
とはいえ、かくいう俺もぶっちゃけだいぶ眠い。日曜が終わってしまう悲しみに耐えられずに遅くまでゲームをしていたツケがここで来ている。
その上、目につく欠点が多すぎて吐き気までしてきた。
これはいかんと首を大きく振って眠気と吐き気を飛ばす。
きっと黙々と作業しているのが悪いんだ。そう結論付けて口を開く。
「これから毎週掃除しなきゃだし、自己紹介とかしとく?」
俺の提案に、彼女は眠そうな目をこすりながらも小さく首を縦に振った。
俺は声の調子を整えるように軽く咳ばらいをして、『それじゃあ』と自己紹介を始める。
「俺は
「
「うん、びっくりするくらい予想通りだったから大丈夫」
むしろその髪型を『自分でセットしている』など言われたらひっくり返るレベルだ。
ただ、それ以外にちょっと気になったところがある。
「……名前、好きじゃないの?」
「読みづらい。変だから笑われる」
「あー……ちょっと分かる。俺も一発で読んでもらえたことないし、何回訂正しても俺を『よう』って呼ぶ奴いるし」
「それはない……けど」
「そうですか……」
一人で盛り上がってしまったみたいで恥ずかしい。思わず顔を手で覆いながら彼女に背を向けていると、次は白川さんから話しかけてくれた。
「名前、好きなの?苦労してるのに」
「んー、まあ苦労してるけどさ。かっこいいじゃん?」
「それだけ?」
「それだけ」
それきり白川さんは黙ってしまう。
なにか話しかけようと思ったが、さっきまでのように寝そうになっているわけでもないし、彼女みたいな人間と必要以上に仲良くする必要もないだろう。
少し話したいことはあったけど、それは胸の内にしまっておく。
箒が床をこする音と、時計の針の音だけが聞こえる。
時計を見ればもういい時間だ。そろそろ誰かしらが来る頃だろう。
横を見れば白川さんも同じことを考えていたのか、集めたごみをちりとりに入れ始めていた。
初めての月曜の朝はそろそろ終わるようだ。これが毎朝続くのかと思うとちょっとだけ気が滅入る。
「
何もなく初めての朝が終わってしまうのが嫌だったのか、気づけばついさっき胸にしまった言葉が口から漏れていた。気付いた時にはもう遅く、箒をロッカーにしまっていた白川さんが暗い目つきでこちらを見ている。
「なんで……?」
「あ、えっと……」
思わず口ごもってしまう。だが、意識せずとはいえ言い出しっぺは俺だ。黙りこくっているわけにもいくまい。
「その、どうでもいい理由なんだけど、笑わない?」
「……たぶん」
そんな回答をしながらも、白川さんには笑う気配など見えない。
それはそれで言うのが怖いが、言ってしまったものは仕方がない。覚悟を決めて理由を話そう。
「ほら、俺の名前って曜日の曜じゃん?それで白川さん名前は月だから、合わせると『月曜』だなって……そんな二人がこうやって月曜の朝に掃除してるのって、運命を感じるっていうか……その、掃除自体は憂鬱だったけど、名前のおかげで実は少しだけ楽しみだったといいますか……」
言っているうちにどんどん語調が弱くなっていく。
ああ!改めて口に出すとほんとどうでもいい!というかほぼ初対面の女の子に『運命を感じる』とか俺は何を言ってるんだ!
恥ずかしさに耳が真っ赤になるのを感じながら、恐る恐る白川さんを見る。
白川さんは、下を見ながらプルプルと肩を震わせていた。
もともと名前を呼ばれたくないと言っていたのだ。それをこんなくだらない理由で呼ぼうとしてたとか、怒らせてしまっても仕方ない。
恐怖やら羞恥心やら吐き気やらで心臓をバクバクさせながら、白川さんの次の言葉を待つ。
「ふ、ふふっ」
何を言われるのかとびくびくしていた俺に聞こえてきたのは、そんな笑い声だった。
一瞬、何か別の音を聞き間違えたのかと思ってしまったが、どれだけ耳を澄ましても笑い声にしか聞こえない。
……どうやら、怒っているのではなく俺のことを笑っているようだ。
「本当に……どうでもいい……」
「ひどくない!?」
「ご、ごめん。でもだって……ふふっ。どうでもよすぎて……笑える……」
「だから笑わないか聞いたのに……」
ふてくされながら箒にもたれかっている俺を見ないようにしてるのか、彼女はずっと下を向いて笑っている。そのせいで彼女がどんな顔をしているのか見ることができなくて少し残念だ。
彼女の笑っている姿をしばらく見ていると、遠くから足音と話し声が聞こえてくる。朝練が終わった生徒か、少し早めに登校してきた生徒なのかは分からないが、このクラスに俺たち以外の生徒が入ってくるのもそろそろだろう。
いまだ笑っている白川さんを見ながら、俺も箒をしまい席へと戻ろうとする。
「いいよ」
「え?」
その途中で、白川さんが俺に向かって呟くように声を出した。思わず聞き返してしまった俺に、彼女は優しい声でこう続ける。
「私の名前、掃除のときだけなら呼んでいいよ」
「ほ、ほんとに!?えっとじゃあ……」
嬉しさで弾む気持ちを深呼吸で落ち着かせる。吐き気は収まっているが、念のためさらに深呼吸を2回ほどしてから、意を決して名前を呼んだ。
「る、
……呼び捨てが照れくさくて、思わずちゃん付けして呼んでしまった。
ちゃん付けは予想外だったのか、月るなちゃんは眠そうにしていた瞳を少しだけ見開いている。その表情を見るとまたさらに自分が恥ずかしくなってしまう。
「本当に……面白いね」
言い返せる言葉もなく、ただただその言葉を受け入れる他ない。恥ずかしさのせいで体が熱くなっていくのを感じながら、俺は天を仰いだ。……天といっても天井だけど。
「それじゃあ」
再度声を掛けられ、俺は
そこにいた
俺はその笑顔に何も言えなくなってしまっていた。
「これからよろしくね、
――その時の感覚を、どんな言葉で表せばいいか分からない。
俺の体は呼吸を忘れ、思考を忘れ……もしかしたら心臓さえ動くのを忘れていたかもしれない。
本当にそう思わせるほど、俺は彼女の笑顔に――いや、彼女自身に心を奪われてしまったのだ。
きっと先生が来るまで彼女はもう起きないだろう。
やがて教室の扉が開き、少しずつ教室に人が増えていく。
人の数だけ喧噪の波は大きくなっていくが、そんなものはもう俺にとって些末なことだった。
今はもうすべてがどうでもいい。
俺の思考は、次に彼女と二人きりで話せる機会――つまり、来週の月曜のことしか考えてくれない。
月曜の朝になれば彼女と会える、彼女と話せる、そしてもしかしたら彼女の笑顔をもう一度見れるかもれない。
考えるだけで胸に言いようのない感情があふれてくる。
俺はこんなだから、少なくとも癖を完璧に直せるまでは恋なんてできないだろうと思っていた。
もしも俺が恋をするとすれば、俺が欠点を見つけられないような完璧な人間に対してのみ。そして、現実にそんな人間がいるとも思えない。
だから諦めていた。俺にとっての青春は、友達と遊び、勉学に励み、部活動を頑張って……けれど、そこに恋が混じることはないと。
だが、彼女の笑顔はそんな俺の世界をぶち壊してくれた。
だってそうだろう?こんなこと想像できるわけがない。
欠点だらけなのに――それを全て受け止めてでも、手に入れたい笑顔が存在するなんて。
あの笑顔を見るために、俺は頑張りたい。月曜の朝のわずかな時間で、彼女を俺に振り向かせたい。
ああ、月曜の朝が待ち遠しくて仕方がない!
月曜の朝なんて大嫌いだ。
月曜の朝なんて憂鬱以外のなにものでもない。
俺はほんの数分前までそう考えていた。
けれど今の俺は逆にこう尋ねよう。
――月曜の朝って最高じゃないですか?
月曜の朝って最高じゃないですか? リュート @ryuto000
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