02 本物と偽物
「おめえは一流には成れても本物には成れねえな」
約半年前、そこそこに仕事を覚えて来たカルロスに対してこの工房の主はそう言った。その直前にカルロスの打った刀を一瞥して眉根を寄せて検分しながらの事である。
「教えた技術は素直に良く呑み込んでやがる。俺なんかよりもよっぽど覚えが良い。もう五年もすりゃ今の俺と同じくらいの腕には成れるだろうよ」
暗に自分は一流だと言い放った老人の言葉は自惚れでも何でもない。この宿場町の人間に聞いたところによれば、若かりし日のこの老人は、この大和と言う国の帝――その膝元で鍛冶場の一切を任されていた御番鍛冶の一人であったという。その際に打ち上げた最上の一振り、興隆正定。帝の脇を固める最高の守りである四天将の一人に下賜され、天下名刀に数えられる程だ。
そんな男が何故こんなところで細々と街鍛冶なんてやっているのかカルロスは知らない。そして何故流れ者である自分なんかを強引に弟子に取ったのかはもっと知らない。ついでに言うと名前も知らない。皆オヤジオヤジとしか言わないのだ。
そんな男からの今の言葉だ。褒められている筈である。だからこそ本物には成れないという言葉の意味が分からない。
「本物とか偽物とかあるのかよ」
「偽物は知らねえが、本物と本物じゃねえものはある。おめえの打つ剣は名剣、業物には成れても魂込めた魔性は宿らねえ。見誤ったか」
最後の一言は、自分に向けて言っている様だった。微かな失意の含まれた吐息。溜息を吐きながら理解していない様子のカルロスへ説明を続ける。
「おめえの技術は小手先だ。本当に大事な心金が抜けてやがる」
「心金が抜けてる?」
鍛冶師の端くれとしてカルロスにも何が言いたいのか分かった。要するに根っこが無い。土台となるべき物が無い。建物で言えば柱が無いと言う事だ。なるほどそれは確かに駄目だろう。ただ、そう言われるのは心外だった。カルロスはこの半年間、全力でこの老人の仕事を盗もうと努力してきたつもりだ。
「おめえは刀を打つ時に刀と向き合っていねえ。ただ虚ろに、その業を淡々とこなしているだけだ」
「そんな事は……」
「本当にやりたい事があるのにそれが出来ねえ。その代りだって面をしてやがるぜ」
「っ……!」
図星だった。カルロスの中に有る未練。それをこの老人は的確に見抜いていた。
「まあ本人にやる気が無いんじゃ仕方あるめえ。そんなんでも食っていくには十分だろうよ」
「なあオヤジ。何でアンタは俺を弟子になんかしたんだ?」
「……単なる気紛れだよ」
「嘘つくんじゃねえよ」
気まぐれで、ここまで命を燃やすかのような指導を行うはずもない。まさしく、この老人の全霊を注ぐかのような修行だった。そんな物が一時の感情で半年も続けられるはずがない。そして何よりも、あの様な失意の息が漏れる筈も無い。口を割るまで折れないと見つめていたら呆れた様な溜息一つ。そして渋々口を開いた。
「最初におめえを見た時。こいつは天に至れる逸材だと思った」
「天?」
「天剣。名刀を超え、魔刃さえも凌駕する。天の頂きをも切り落とす剣(つるぎ)。そいつを、生み出せるんじゃないかと」
「それは流石に……」
買いかぶりだろうと言わずにいられなかった。自分にそんな才能が有るとは思えない。そんな意思が伝わったのか。老人は頷いた。
「まあ買被りだったがな」
「オヤジてめえ」
あっさりと認められるとそれはそれで腹が立つ。
「後はまあそうだな。俺には弟子が居なかったからな。この年になって、俺の業がここで途絶えると思ったら少し怖くなってよ」
そう呟く老人の姿は、修行中にミスをしたら殴りつけてくる厳しい師の物では無く、年老いたただの人だった。
「天剣へと至る夢……まあ最後に良い夢が見れた。俺の技術を一通り伝える事も出来たしな」
そんな会話をした翌日。老人は息を引き取った。身寄りの居ない老人の葬儀はカルロスが挙げた。そうして街の人たちの勧めもあってこの鍛冶場はカルロスの所有となっている。言ってしまえば彼の店だ。
「あら、戒君この前はありがとうね。直してもらった鍋、良い感じに使えてるわ」
「そりゃ良かった。他に穴の開いた金物が有ったら直すから持ってきてくれよ」
「ええ。あ、そうそう。これうちの畑で採れた大根。お礼においていくわね」
「よう、戒。この前頼んだ蹄鉄はどうなってんだい?」
「それなら用意してある。ほれ。合わなかったらまた持ってきてくれ」
「おおありがとよ。そうそう。この前山入った時に取った兎の肉お裾分けだ。食ってくれ」
「かるの字や。儂の鍬の刃が欠けちまったから直してくれい」
「あいよ。爺さんもそろそろ隠居したらどうだ?」
「何の生涯現役よ儂は」
割合と、客は多い。お陰で食い扶持には困らない。専ら仕事としては刀では無く、日用雑貨品の修理が中心なのだが。それでも偶に打った刀を店先に並べておくと旅人が護身用にと買って行く。老人の言った通り、技術だけはそれなりになっているのでそこそこそちらも売れる。ただ完全に旅人の不安定さ依存なのでやはり収入源は日用雑貨だ。
日が暮れたら店じまいである。竈の火を落として、帰り支度を始める。
「戒君。迎えに来ました」
「亜里沙か。ちょっと待っててくれ。今店じまい中だ」
アリッサは鍛冶場の中には入ろうとしない。老人曰く、鍛冶場は女人禁制との事らしい。ただし生娘を許すというのがカルロスには良く分からないルールだった。言うまでも無くアリッサはその例外事項に該当しない。わざわざ破る事も無いので一応守っている。
「それじゃあ帰ろうぜ」
「はい。今日もお土産を貰ってしまいました」
「俺も大根と兎貰った」
「兎……初めてですね」
「鳥っぽいって聞いたけどどうなんだろうな」
穏やかに過ぎていく時間。これまでの人生でここまでゆったりとしたのは初めてかもしれないとカルロスは思う。その停滞が心地よく……同時に胸を掻き毟りたくなる程に苦痛だった。
そんなカルロスの苦悩から目を逸らす様に、アリッサがそっと目を伏せた。ログニスから遠く離れた地。だが、あらゆるしがらみから逃げ切ったとは言えなかった。
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