07 撤退

 夜襲に失敗したハルス軍指揮官に更なる追い打ちをかけるように飛び込んできた凶報――屍龍がドルザード要塞から這い出てイブリス平原方向へと向かっているという物。

 10月と11月の境目でそれを聞いた指揮官の決断は迅速であった。

 

「……撤退する」


 隊の次席指揮官達の反応は様々であった。致し方ないと納得する者。逆に有り得ないという表情をしている者。

 

「馬鹿な、ここで撤退などしたらアルバトロス軍からの追撃を受ける事になる! そうなれば部隊は半壊します!」

「ここに留まっても同じ事だ。貴官は失墜作戦には参加していなかったな? アルバトロス軍とあの偽龍に挟まれては我らは間違いなく全滅だ。それならば半数でも逃れられる可能性を残した方が良い」

「偽龍が撤退した我らを追って来ない保証がどこにあるんだ! それならばまだ陣地の整っているここで迎え撃った方が……」

「陣地と言っても敵はドルザード要塞の城壁を一撃で打ち抜いてくるような相手だ。こんな設備では掘立小屋と大して変わらんよ」


 会議は紛糾した。既にこの戦場は如何に勝つかという物では無く、如何にして数を残すかという物に変わってしまった。一日も経たない内に目まぐるしく変わる状況に彼らも付いていく事で必死だったと言えよう。問題はその状況の変化への認識が未だ全員で共有されていなかった事にある。それを共有するために四時間。何よりも貴重な時間が浪費された。

 夜明けまで二時間を残したところでハルス軍が動き出す。撤収。慌ただしく動き出したハルス軍の野営地に対してアルバトロス側の動きは見えない。気付いていない事を祈りながら、ハルス軍は撤退を始める。

 

 ドルザード要塞跡から向かってくる屍龍を回避すべく、大きく山脈側へと迂回してアウレシア要塞へと帰還するルートが選択された。幸い屍龍の移動は徒歩だ。速度はデュコトムスの全力疾走並。言い換えれば魔導機士の足ならば囮さえあれば逃亡は可能だと判断された。――老兵と呼べるような操縦兵で編成されたケルベインの一部隊がそれに志願している。だが逆に条件さえよければそこで屍龍を討滅するという選択肢もあった。その為の準備――パイルハンマーを始めとして幾つかの武装が用意されていた。

 

 そうした諸々も移動しながら決められた物だ。その慌ただしさと行き当たりばったりさは下にも伝わっていた。

 

「なーんか急に移動になったよな」


 一際被弾の多い――しかし装甲を貫通する攻撃は無く、動作には全く問題の無いデュコトムスに乗るアーロンが周囲を警戒しながらそうぼやいた。

 

「やはり、噂は本当なのだろうか」


 隊員の一人がそう呟く。戦地ともなれば噂話くらいしかまともな娯楽が無い。その為普段よりもそうした話は多く出回っていた。

 

「噂?」

「王都がアルバトロスに攻め落とされたという……」

「流石にそれはデマだろう」


 幾ら何でも早すぎるというのが聞いた者達の見解で、大概の男は笑い飛ばしていたのだがこの隊員は真に受けたらしい。今も別の隊員が笑い飛ばそうとしたのをやんわりと否定する。

 

「だけど、そんな噂が流れるくらいには王都に肉薄されていると言う事じゃないのか?」

「それは……」


 次の言葉を笑い飛ばす事は出来なかった。火の無いところに煙は立たないという。こうして耳に入った噂の内何割かは真実なのだろうと言う事も彼らは理解していた。重苦しい空気の中、ケビンが呟く。

 

「だとしても王都が徹底抗戦を選べば短時間で落とすのは難しい。その持ちこたえている間にアウレシア要塞から増援を送り込めれば勝ち目はある」


 その言葉に幾人かは安堵した様な声を出していたが、ケビンは心中では別の事を考えていた。今、ログニスはハルスには話を通さずにある作戦行動を実施している。それは半年前からの擬似龍体の建造もそうだし、事後承諾とするには少々独断専行が過ぎる行為の数々だ。

 ともすれば、この戦争が終わった後にログニスと言う国がハルスから排斥される結果にも繋がりかねない。ケビンの危惧はそこだった。

 

(いや、逆なのか? 戦争が終わればハルスにはログニスとの関係を維持する必要が無い。今のハルスに依存した状況を打開しようとしている……?)


 例えばそれは龍族との同盟と言う軽視できない関係であったり、無視できないような大きな功績であったり。そうした物をラズルはこの戦争で得ようと画策しているのではないかとケビンは推理した。正解かどうかは分からないが、決して的外れではないという自信もあった。

 

(にしてもアルバトロスもやる事が変わらない……海からの奇襲。手薄な王都を一気に攻め落とす策。良い様にやられているな)


 それを防ぐ手立ては無かったのかとケビンは溜息を吐く。せめてそれが防げていればイブリスの部隊、屍龍、レグルスの王都奇襲部隊の三つを同時に相手取る必要は無かったはずだった。どの戦場も軽視していい物では無い。それ故にハルス軍は三正面作戦と言う無茶を強いられている。

 この中で最も危険度が高いのは言うまでも王都の奇襲部隊である。他の二つで勝利を収めたとしても、ここでの敗北は即ちハルスと言う国の敗北。だからこそまずはそこを阻止するためにこうして後退しているのだろうとケビンは考えていた。

 

 その考えは正しい。この部隊の指揮官達もそう考えていた。

 

 誤算はただ一つ。

 

 相手の動きを常識で考えていた事である。

 

「順調だな」

「ええ。後半日もすればアウレシア要塞へ帰還できます」


 イブリス平原から撤退して丸一日。予測されていたアルバトロスからの追撃も無く、順調に進んでいた旅路。考えるべきであった。アルバトロスが何故追撃してこないのか。ドルザード要塞の時の例を思い出すべきであった。それはつまり、巻き添えを恐れたのだと。

 

 小休止中の部隊。その中の一人が微かな揺れに気が付いた。

 

「……何か揺れてないか?」

「股関節がイカれてんじゃないのか」

「いや、そう言う感じじゃないって」

「俺も何か揺れてる気がする」

「地震か?」


 大半が口々にそんな事を言う時、失墜作戦に参加していた操縦兵たちは身を強張らせた。この揺れに、覚えがあったのだ。

 

「まさか……」


 視線が南の方を向く。なだらかな丘陵地帯。その地平線の向こうから見える遠近感の狂ったようなサイズの影。それは人型では無かった。それは御伽噺の中から抜け出てきたような姿をしていた。それは――龍と呼ばれる生き物の成れの果てであった。

 

 最初に気が付いた誰かが喉を枯らす程の声量で叫ぶ。

 

「偽龍だっ!」

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