第九章 第一次機人大戦:急
01 ネリンの帰還
「ただいま戻りましたわ!」
昼下がりのある日。喜色満面の表情でバランガ島の中央研究所にネリン・シュトラインが来訪した。むしろその勢いは来訪と言うよりも襲撃と言った方が良い騒がしさであった。偶々休憩中で昼食を取っていたクレアがサンドイッチを食べながら視線をそちらに向けた。
「…………ああ、ネリン。久しぶりね」
「クレア様、貴女今一瞬思い出せなかったでしょう」
「そんな事無いわよ。貴女には感謝しているもの。忘れる事なんてないわ」
クレアの発言は嘘では無かったが真実でも無かった。主語に残して行った本だとか本の内容だとかが加えるとクレアの心情に最も近い物になるだろうか。散々な扱いである。
「行き成り帰るからびっくりしたし、また来るのもいきなりだったわね」
「もう皆さんに会いたくて会いたくて……オルクスはぎすぎすしていて居心地が悪いのですわ」
当然の様にクレアの隣に座ったネリン。そこで彼女はふと何かに気付いた様に鼻をひくつかせてクレアの匂いを無遠慮に嗅ぎ回る。
「ちょっと……」
流石に嫌そうにクレアが身を捩るがお構いなし。しばらくしてよろめいた仕草をしながら愕然と呟く。
「そんな。私が居ない間にクレア様と後輩様がただならぬ関係になっているなんて……!」
「え、匂いで分かる物なの?」
もしかして匂っているのだろうかとクレアは自分の匂いを嗅いでみるが特におかしな点は見当たらない。
「私程の達人となると匂いと後は勘でわかるのですわ」
「それ絶対に勘が九割以上でしょう……」
そんな与太話を終えて、クレアは最初から気になっていた事を尋ねる。
「で、どうやって来たのかしら? ここ数日船は来ていないと思うのだけれども」
現在バランガ島はとある事情で外部から遮断されている。顔見知りであろうとネリンが容易く上陸できる状態では無いのだ。それを尋ねると事も無げに彼女は言った。
「普通にこうぽーんっと」
真面目に答える気が無いのは明らかであった。溜息を一つ吐いて。クレアは別の質問をする。
「貴方はアルバトロスに与して邪神を討つべしと考えている側なのかしら?」
「あら。オルクスの内輪もめだというのに良く知っていますね」
「カスが熱心に調べていたのよ。それで、私の質問に対する答えは?」
クレアはそっと首に下げた指輪の存在を意識する。カルロスが意図したとおり、遠隔での意思疎通を可能にする魔法道具はクレアの危機感を幾人かに伝えていた。もしも、クレアがアルバトロス側だというのならばこれ以上好き勝手にさせる訳には行かない。とは言えその危惧は杞憂に終わった。
「生憎と、私は世界を天秤に乗せたギャンブルには興味が無いんですの。そんなバカげた夢を見た連中をぶん殴って止めるためにオルクスに戻っていたのですわ」
「そう。なら良かったわ」
それはクレアの偽らざる本音であった。ネリンと過ごした時間は楽しい物だったので敵対するのは避けたかった。単純に神剣使いとして手強いだろうと言う事もあったが。
「それで、何でここに来たのかしら? オルクスの方はひと段落したの?」
「ええ。それなんですよ……正直それどころじゃなくなったと言いますか。後輩様はどちらに? 早急に相談したい事があるのですが」
「あーカルロスは……行方不明よ」
「はい?」
「行方不明。厳密にはラズルは知っているみたいだけれども、私たちは今カスが何をしているか知らないわ」
段々と思い出して怒りが込み上げて来たのか。眉を吊り上げながらクレアは愚痴を言う。
「急にしばらく留守にするから、って言ってそのままふらっと一週間もどこかに行ったままなのよ! 何も言わずに、何も言わずに!」
「クレア様落ち着いて」
鬱憤がたまっていたのだろう。その裏側には寂しいという感情が有るのだが、流石にそれは表には出さない。何よりカルロスの行動が必要な物であろうと言う事は予測できていたのだから。それでももう少し何か話してくれても良いのではないかと思うのだ。
「しかし不在なのですか……困りましたね」
「……神権機絡みなのかしら?」
小声でそう尋ねるとネリンは首を斜めに振った。イエスノー。どっちなのか。
「そうでもあり、そうでもないと言った所でしょうか……」
「はっきりしないわね」
「そう言わないで下さいまし。話は変わりますが、私からの手紙は届きましたか?」
「え? ええ。そうね。あの折り紙の手紙かしら」
唐突な話題転換にクレアは少しばかり驚きながらも答える。そしてその露骨なまでの話題逸らしはこれ以上は話すつもりはないという意思表示だった。
「気付いて貰えましたか。アルバトロスに与しようとしていた神剣使いが入手してきた情報を相手に気付かれない様に伝えようとしたのですが上手く行って良かったです」
「まあ、最初は全く気付いていなかったみたいだけれどもね」
その後は他愛ない雑談を続ける。だがクレアの心中には不安が残る。ネリンが意味も無く再来訪する事は有り得ないだろう。まして今は内乱直後。収束したと言ってもそんな危ない時期に国許を離れる理由。唯一オルクスの外に居る神権機に関わる人間であるカルロスを尋ねた理由。それが無関係であるはずがない。
カルロスにしか言えないような事。それが何なのか。その時クレアの頭の中に一つ閃いた出来事が有った。それはカルロスが姿を隠す前に、龍皇の付人であるアルもハルスへと旅立とうとした。その時にカルロスに残していた言葉だ。
『これだけの死者が出ているのに、未だ邪神の欠片が現れない。何かおかしな事が起きている気がします。私はそれを探ってきましょう』
そう言ってアルは未だ激戦区であるイブリスーアウレシア戦線へと単身向かった。そここそが最も犠牲者の出ている戦場である事を理解しながら。その事を思い出しながらクレアはカマを掛ける。
「……イビルピース、かしら」
「っ。何のことでしょう?」
一瞬の動揺。だがネリンはそれを即座に押し込めた。今のは失態であったのだろう。じっと見つめるクレアの視線に根負けした様に手を挙げた。
「その通りです。恐らくは戦死者の数がトリガーとなっていると我々は推測しています。だからこそハルスの戦場でも出現していると思っていたのでそれを後輩様に聞きたくて」
「そうね……いえ、でも私の方ではそんな話は聞いていないわ」
そして実際に、ハルスの戦場でイビルピースは出現していない。だからこそアルは不審に思ったのだ。そして同様の感想をネリンも持ったらしい。
「やはり……イビルピースの出現条件には別の要因が存在している……と言う事でしょう」
ネリンの再来訪。それはイビルピースについての調査が目的だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます